萩原さちこの城さんぽ 〜日本100名城・続日本100名城編〜 第20回 大阪城 豊臣の城と徳川の城が共存する稀有な城

城郭ライターの萩原さちこさんが、日本100名城と続日本100名城から毎回1城を取り上げ、散策を楽しくするワンポイントをお届けする「萩原さちこの城さんぽ~日本100名城と続日本100名城編~」。20回目の今回は、豊臣の城と徳川の城が共存する稀有な城といわれる大阪城(大阪府)をピックアップします。

大坂城
大坂城。大坂夏の陣で豊臣家が滅亡後に徳川幕府により築かれた

大坂城は太閤・秀吉の城ではない?

“太閤・秀吉の城”として親しまれている大坂城。実は、豊臣秀吉が築いた城ではないのをご存知でしょうか。私たちが目にしている大坂城は豊臣の城ではなく、慶長20年(1615)の大坂夏の陣で豊臣家が滅亡した後、徳川秀忠の命により改築された徳川の城です。改築といっても建物を建て替えるような部分的なリフォームではなく、秀吉時代の大坂城を1〜10メートルほど埋め立て、その上に築かれたまったく別の城。石垣も堀も、現存する櫓もすべて徳川幕府によるもので、秀吉時代の大坂城は地下に眠っています。

秀吉は、主君・織田信長が本能寺の変で倒れた翌年、天正11年(1583)に大坂城の築城を開始します。どうやら信長には、天下統一の暁には大坂城を築いて国の中心地にする構想があったよう。秀吉は信長の後継者であることを示すべく、信長の構想を受け継いで大坂城を急ぎ完成させたとみられます。信長が横死しなければ、また豊臣家が滅亡しなければ、現在の日本の首都は大阪だったかもしれません。

大阪城、本丸、石垣
本丸東面の石垣。高さ30メートル以上もある

日本一の高石垣の上に、櫓がずらりと建ち並んでいた

現在の徳川大阪城も、豊臣大坂城に劣らず見事です。江戸幕府の威信をかけた城だけのことはあり、スケールの大きさも技術の高さも群を抜いています。

見どころのひとつは、「天下普請」で築かれた最高峰の石垣です。天下普請とは、幕命で全国の大名が行う築城工事のことで、秀吉のもとで築城の技術を磨いた精鋭の大名が結集しました。石垣で日本一の高さを誇る約30メートルの本丸東面の高石垣などは、芸術の域に達します。

建物の規模も桁外れです。本丸の周囲には、11の三重櫓と多聞櫓がずらりと建ち並んでいました。壮大な高石垣の上に天守並みの三重櫓が並び建つようすは、かなりの威圧感だったでしょう。玉造口から大手口までの石垣の上にも、7つの櫓がそびえていました。

現在建てられている「大阪城天守閣」は、徳川大坂城の天守台の上に、昭和6年(1931)に建造されたものです。豊臣大坂城の天守は31年、徳川大坂城の天守は40年で焼失したため、築80年超の大阪城天守閣はもっとも長い歴史を誇ります。外観は忠実ではありませんが、平成9年(1997)には国の登録有形文化財に指定されています。最上階の壁面を見ると、黒く塗られ、金色で虎などが描かれています。江戸時代初期の屏風絵に描かれた豊臣大坂城の天守を見ると、やはり壁面は真っ黒。黒漆塗りの壁に金の彫刻が施され、最上階には金箔で虎や白鷺が描かれていたようです。

大阪城、南外堀、六番櫓
南外堀と、現存する六番櫓。かつては7棟の櫓がずらりと並んでいた


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執筆・写真/萩原さちこ
城郭ライター、編集者。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演など行う。著書に「わくわく城めぐり」(山と渓谷社)、「お城へ行こう!」(岩波書店)、「日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)、「戦う城の科学」(SBクリエイティブ)、「江戸城の全貌」(さくら舎)、「城の科学〜個性豊かな天守の「超」技術〜」(講談社)、「地形と立地から読み解く戦国の城」(マイナビ出版)、「続日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)など。ほか、新聞や雑誌、WEBサイトでの連載多数。公益財団法人日本城郭協会理事兼学術委員会学術委員。

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