お城の現場より〜発掘・復元最前線 第27回【浦添城】戦災を乗り越えよみがえるグスクの姿

城郭の発掘・整備の最新情報をお届けする「お城の現場より〜発掘・復元・整備の最前線」。第27回は、琉球王国の伝説の王・英祖王(えいそおう)が本拠にしたという浦添城です。太平洋戦争で遺構が大きく損壊したグスクは、本来どのような姿だったのか。復元や調査でよみがえる浦添城について、浦添市教育委員会の仁王浩司さんと又吉幸嗣さんが紹介します。

浦添城、グスク
浦添城は、東シナ海を望む丘陵上に築かれたグスクである

これまでの復元整備

石灰岩丘陵上に位置する浦添城跡は沖縄戦や戦後の採石などにより著しく損壊しているが、近年は復元整備が進んでおり、かつての姿を取り戻しつつある。

浦添城跡の北側に所在する浦添ようどれは13世紀に英祖王によって造られたといわれる王陵で、17世紀に尚寧王により改修された。沖縄戦により大きく損壊していたが、発掘調査や古絵図・古写真の分析、聞き取り調査により詳細な復元整備を行い、2005年に完了した。

浦添ようどれ
英祖王と尚寧王が眠る浦添ようどれ。城跡北側に位置し、2005年に整備が完了した

2007年度には浦添城跡西側で、これまで地表に現れていなかった城壁を確認した。城壁は横長の長方形の切石を積み上げる“布積み”と呼ばれる技法で、目地が縦方向に通るものであることが判明し、これをもとに2007年度及び2009年度に復元整備を実施した。

城跡西側、城壁、浦添城
復元された城跡西側の城壁

2006年度は浦添城跡南側にある石畳道の発掘調査を実施した。この石畳道は1597年、尚維衡(しょういこう)の曾孫・尚寧王(しょうねいおう)の命により浦添と首里をつなぐ道として整備され、浦添城跡の一角には竣工記念碑として「浦添城の前の碑」(1999年復元)が立てられた。石畳道は2008年度に復元整備を行っている。

石畳道、浦添城
2008年に復元された石畳道

ワカリジーは浦添城跡東端に屹立する岩で古くから信仰の対象となっており、岩盤が不安定化して危険な状態であることが判明したため、2013年度に崩落対策工事を行った。工事にあたっては岩塊根固めの前面に石灰岩の切石を積み上げ、表面に自然岩盤風の彫刻を施している。

巨石、ワカリジー
城域東端に屹立する巨石・ワカリジー。古くから地元の信仰を集めていた拝所である

近年の発掘調査

浦添市教育委員会では2006年度より浦添城跡の西側から南側にかけての城壁を復元するための発掘調査を行っている。2014年度の発掘調査では比高差2~3mの琉球石灰岩の岩盤上に最大7段の石積を確認するとともに、城壁が失われていた箇所でも切石を据えるために岩盤を平坦に削った痕跡を確認し、これを含め23mの城壁ラインが明らかになった。

岩盤、切石
切削された岩盤。かつてはここに切石が積まれていたと考えられている

2015年度と2016年度も引き続き城壁ラインを探ることを目的とした調査を実施し、岩盤の際に据えられた切石を確認した。特に2016年度の調査では比高差5~6mの岩盤上に調査区を設定し、最大3段の切石を確認している。

切石積、城壁
2016年の調査で発掘された切石積の城壁

また、2017年度の発掘調査では高さ2m、石積10段の城壁を確認しており、破壊の進んだ浦添城跡でこれほどまでの良好な状態で城壁が残存していることが明らかになるという、予想を超えた成果となった。浦添城跡はいまだ解明されていない部分も多く、今後も発掘調査および整備を進めていく方針である。

琉球石灰岩
2017年に発見された城壁。斜面に沿って琉球石灰岩を加工した切石が積まれている


浦添城(うらそえ・ぐすく/沖縄県浦添市)
浦添城跡は13世紀末に築かれたグスクで、中山(沖縄本島中部)の拠点と考えられている。14世紀後半から15世紀前半ごろには大規模なグスクとなった。首里城に政権拠点が移った後の16世紀からは尚真王の長男である尚維衡とその子孫が居住するが、1609年の薩摩侵入により焼失した。1945年の沖縄戦では激戦地となり、残っていた石積み城壁などは失われた。

執筆/仁王浩司・又吉幸嗣(浦添市教育委員会)

写真提供/浦添市教育委員会


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