超入門! お城セミナー 第53回【構造】一度入ったら逃れられない!? 恐怖のキルゾーン「枡形虎口」って?

お城に関する素朴な疑問を、初心者向けにわかりやすく解説する連載「超入門! お城セミナー」。今回のテーマは枡形虎口。城の守りの要である虎口(出入口)の最終進化形である枡形ですが、いったいどのような仕掛けになっているのでしょうか? 一度入ったら逃れられない、枡形虎口の恐ろしい構造を解説します。

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 城を守る上で最も重要な場所である虎口。近世に考案された枡形虎口は、大軍を殲滅できる近世城郭最大のキルゾーンである。写真は大阪城大手門

城郭防御の最重要拠点・虎口は「枡」で守る!

城びとでは過去に連載「超入門! お城セミナー」第13回にて『お城の入口を「虎口」って呼ぶのはなぜ?』で、城の出入口である「虎口」には様々な種類があると説明しました。今回は、多種多様な虎口のなかでも「最強」とか「完成形」などといわれる「枡形虎口(ますがたこぐち)」についてのお話です。いったい「枡形虎口」とはどんな構造で、またそれがなぜ最強といわれるのでしょうか?

まず、「枡形」とは何でしょうか? これは、字のごとく「枡の形」。一般家庭では最近は少なくなりましたが、以前はお米などを計るのに使われていた四角い容器です。樽酒を鏡開きして、「カンパーイ!」とやる時にも使われますね。つまり、枡形とは「四角い形」。枡形虎口は「四角い形の出入口」ということになります。

城攻めの時に敵兵が殺到する虎口は、守りの最重要ポイントです。まともに敵の圧力を受け、簡単に門を突破されては困るのです。なるべくここで敵の勢いを削ぎ、食い止め、弱点である側面を突き、そしてできれば、確実に仕留めたい……。

仮に門を突破されても敵が城内へと直進できないようにするため、「一文字土居(いちもんじどい)」や「喰違虎口(くいちがいこぐち)」といった工夫がされてきましたが、最終的にたどり着いたのが、虎口に四角い空間を設ける「枡形虎口」でした。枡形に敵を誘い込んで身動きが取れないように封じ込め、そこに三方から集中攻撃をかけて仕留める! のです。この恐怖のキルゾーンの構造、もっと詳しく見てみましょう。

枡形虎口を上から見た図
枡形虎口を上から見た図。櫓や塀をめぐらせた土塁や石垣で区切った方形の空間に敵を誘い込み、一斉に銃や弓矢で攻撃する(イラスト=香川元太郎)

恐怖の枡形虎口には、曲輪の外側に付け足したような「外枡形」と、曲輪内の一画を使用する「内枡形」があります。いずれにしても枡形の外と内の2か所に門を設けるのですが、一ノ門の前には土橋や木橋のアプローチ。そして一ノ門から左右どちらかに直角に曲がった先に、二ノ門を設けます。これが枡形虎口の基本的な構造です。

敵を誘い込んで四方から殲滅

ではここからは、城攻め兵になって大阪城大手口の枡形虎口攻めを体験してみましょう!

さあ、正面に門が見えます。「かかれーっ!」と号令がかかりますが、そこには広大な水堀。門に取り付くには、手前の土橋を渡らなければなりません。渋滞を起こしつつ列になって土橋を渡っていると……土橋左側に建っている千貫櫓から、突然横矢(側面攻撃)が! 脱落者を出しながらもなんとか土橋を渡りきり、一ノ門である高麗門にたどりつきます。両側の銃眼からも容赦なく攻撃されますが、近世城郭ではこの一ノ門を敢えて設けないことも多かったそうですので、この門は比較的たやすく突破できたことにしましょう。

大阪城、大手口、高麗門
 大阪城大手口の高麗門前。一見、何もない門に見えるが、堀を隔てた左手にある千貫櫓から横矢がかかる仕組みである

いざ、門を抜けると……。おおっと、正面は巨石を使った石垣がドーンとそびえて直進できません。右を向いても雁木(石段)と壁で行き止まり。二ノ門は、残る左側です。直角に左折して門に向かいますが、この巨大な門は、上部に兵を待機させておける櫓門。しかも巨石の石垣の上まで渡櫓が続いています。門の前は広い広い空間になっているので、城攻め兵はどんどんなだれ込んできます。ハッとして改めて見回してみると、そこは遮断された四角い空間……枡形です。身動きができなくなったこちらに、櫓門、渡櫓、雁木の上の三方に配置された城兵から、無数の銃口が向けられます。……これはマズい!すでに脱出不能!!このままでは十字砲火のえじきに!……次の瞬間、「放て〜!!」の号令がかかり……。

多門櫓、石垣
一ノ門を抜けると目の前には頑丈な石垣と、左側には櫓門が構えている。もちろん、櫓と門の窓からは火縄銃がこちらを狙う。銃弾が雨あられと降る枡形内を生きて出るのは、至難の業だ

どうですか? キルゾーンで十字砲火の的になり、討死気分を味わえたでしょうか? 三途の川から引き返して、ちょっと思い返してみましょう。完成形といわれるこの枡形虎口では、土橋、高麗門、巨石の石垣、櫓門と、何段階にも分けて敵の勢いを削ぐ仕掛けが施されていましたね。これらを突破できても、巨大な枡形に誘い込まれ、挙げ句に十字砲火で殲滅させられてしまいました。まさに最強。恐怖の仕掛けだったのです。

一ノ門、二ノ門、多聞櫓というこの構造を開発したのは、この連載にも何度も名前が出てきている築城名人・藤堂高虎だそうです。以降、全国の近世城郭に取り入れられ、いわば標準装備とされるようになっていきました。

藤堂高虎 
枡形虎口を完成させた藤堂高虎は、徳川家康の元で活躍した築城名人で、江戸城や徳川期大坂城の縄張は彼が手がけたものだ(東京大学史料編纂所蔵・模写)

しかし、山城でも、枡形虎口はかなり使われていました。もちろん土塁で囲んで枡形を構成するわけですが、そのパターンは地形などに合わせてさまざまだったとか。敵を直進させ、その両側から横矢を掛ける形は、武田氏の城に多かったそう。武田勝頼(たけだかつより)が最後に築城したものの未完成に終わった新府城(山梨県)では、多彩な枡形虎口が仕掛けられていたようです。当サイトの連載記事「ナワバリスト西股さんと行く!ビギナー女子の山城歩き」にも登場していますので、ぜひ参考にしてみて下さいね。その他有名どころでは、竹田城(兵庫県)も枡形虎口を駆使した技巧的な縄張になっています。

新府城乾門の枡形
新府城乾門の枡形。完全に進路が屈曲していないが、方形の空間に誘い込み、多方向から攻撃するのは近世の枡形虎口と一緒である

お城を訪れた時、門の近くに石垣や塀などで囲まれた四角い空間があったら、それはきっと枡形。攻め手の目線で歩きながら見渡して、その恐怖を体感して下さい。続いて、守る側の目線で狭間をのぞいたり、雁木や櫓から見わたしてみるのもオススメです。枡形虎口の構造やその恐ろしさがわかれば、お城探訪の楽しみはまた何倍にもふくらみますよ〜!

執筆・写真/かみゆ歴史編集部
ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。かみゆ歴史編集部として著書・制作物多数。

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