超入門! お城セミナー 第44回【歴史】城下町ってどんな街だったの?

初心者向けにお城の歴史・構造・鑑賞方法を、ゼロからわかりやすく解説する「超入門! お城セミナー」。今回は、おいしいグルメや昔ながらの町並みを楽しめる城下町です。築城当時にタイムスリップしたような感覚を味わえ、人気の観光スポットにもなっている事も多い城下町ですが、元々どのような役割を果たしていたのかを解説します。

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国宝天守を持つ犬山城下は1日に約4500人が訪れる人気観光スポットとなっている。人気の秘密は江戸時代の面影が残る町並みや、カラフルなお団子に代表される「城下町グルメ」だ

情緒あふれる城下町が生まれるまで

古い町並みが残っていて情緒たっぷりの城下町を散策することは、お城探訪の楽しみのひとつですよね。「小京都」や「小江戸」と呼ばれることもあり、現存する武家屋敷や町家の見学施設、代々続く老舗、地酒を醸す酒蔵、再生町家のカフェ…。魅力的な観光要素がたくさんあるので、お城には行かず城下町だけを訪れる人の方が、むしろ多数派でしょうか。実は、現代日本の人口10万人以上の都市のうち、半数以上が城下町として誕生した街なのだとか。すっかり近代化された街もありますが、気を付けて見ると城下町らしい痕跡が意外に残っているものです。では、大名が領主として君臨した時代の城下町はどんな様子で、城と大名とどんな関係にあったのでしょうか?

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姫路城天守から姫路駅方面を見る。姫路駅から城までの範囲は、かつて武家地だった中曲輪と町人町・寺町が置かれた外曲輪だった

城下町が誕生したのは、戦国時代。山城の麓に居館や政庁を設け、その周りに城下町を造成したわけですが、多くは山あいの川に沿った盆地部分。地形を利用した防御がしやすいものの、都市としてはちょっと手狭でした。

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越前の大名朝倉氏が本拠としていた一乗谷城(福井県)は、山城と山麓の城下町がセットになった中世城郭の典型例だ。発掘調査や復元が進み、当時の城下町を知る貴重な手がかりとなっている

やがて近世城郭が誕生し、城が平地へと移っていくと、それとともに城下町も変化していきます。平山城や平城の場合は山城に比べて周囲が開けていて、川の下流域、海岸線といった広大なスペースに城下町を造成できます。多くは近くの川を天然の堀として利用しましたが、これは氾濫のリスクと背中合わせ。治水が重要な事業となります。平地でもより堅固な城にするため、また大きく豊かな都市を造るためには、膨大な規模の普請(土木工事)が必要でした。大名の権力が増大していったからこそ、これが可能になったのですね。

立派な城下町を造ることは、城と大名にとってどんなメリットがあったのでしょうか。城下町が担った役割のおもな柱は、防衛・行政・商業の3つ。それぞれについて見ていきましょう。

領国経営の中心を担った城下町

1つ目の防衛とは、城下町自体が城にとっての防御装置だったということです。まず、城の近くには上級武士、その外側に下級武士を住まわせた武家地(侍屋敷町)を造り、さらに商人や職人を集めた町人地、そして外縁には城のように堅固な造りの寺や神社を集めた寺社地(寺町)を配しました。すき間なく建物を建て、要所に堀や門・木戸などを設けて守りを固めていました。織田信長と豊臣秀吉は直線を多用したようですが、多くの城下町には、カクカクと曲がる鉤(かぎ)の手や丁字路、食い違い、行き止まりとなる袋小路など複雑な道をめぐらせて城にたどり着きにくくしました。こういう構造は交通にものすごく支障をきたしますが、今でも意外にたくさん残っています。そして、城下町ごと土塁や城壁で囲ってしまう「惣構(そうがまえ)」は、この防御装置の最たるものでした。

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大坂城の惣構堀として豊臣秀吉が改修した東横堀川。秀吉は城下町を囲む堀として、川を活用していた

次に、行政について。大名のお膝元である城下町は、いわば国の顔。円滑な都市経営のため、町奉行や与力といった大名側の役人が、町人の代表である町役人などを統括し、城下町の行政・司法を取り仕切っていました。役所である町奉行所などは城下町にありました。でも、テレビもラジオもない時代、大名から町人たちへの通達は、どうしていたのでしょうか。答えは、「制札」。時代劇でもよく見る、高札・御触書とも呼ばれる立て札です。禁止事項や決まり事などを板に書き、人が行き交う所に立てて周知をはかりました。江戸時代になると、屋根付きの「高札場」も登場し、今でも城下町に残っているところもあります。

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東海道の起点として知られる日本橋も、南の橋詰に高札場が設けられていた

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府中宿(東京都)に残る高札場。制札は城下町の他に宿場町などにも掲示されていた

ちなみに今年の「お城EXPO 2018」では、信長が自軍兵士たちに出した城下での乱暴・狼藉を禁じる制札や、本能寺の変直後のゴタゴタのなか、斎藤利堯(としたか)や秀吉が出した貴重な制札が展示されるそうですよ。

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「お城EXPO 2018」で展示される織田信長の制札(撮影:東京大学史料編纂所、協力:お城EXPO実行委員会)。岐阜城下で出されたもので、陣取や濫妨・狼藉を禁じた内容だ

そして、近世城下町の最も重要な役割が、商業。近世に入ると、土地の分捕り合いから貨幣経済に移行していったため、国力を上げるには商いの発展と保護が必須でした。城下の賑わいが国の豊かさを反映するため、城主は築城の際に城下に街道を引き入れて人と物の流れを呼び込み、集住させた商人に活発な経済活動をさせました。

このように、城下町は城と大名にとってなくてはならない重要な存在でした。この構造のはじまりとなったのは、近世城郭のはじまりと同じく信長の安土城築城時だとか。以降、城造りは町造り、ひいては国造りとなり、城と城下町が一体となった開発が行われるようになったのです。

いまやゆったりとした時間が流れているような、ノスタルジックな城下町。実は骨太な(?)存在意義があったのですね。今後は団子をパクつきながらも、そこを治めた大名が国をどう守り、どんな町を造りたかったのかも、しっかりと感じ取ってみることにしましょうか…。


執筆・写真/かみゆ歴史編集部
「歴史はエンタテインメント!」をモットーに、ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。手がける主なジャンルは日本史、世界史、美術史、宗教・神話、観光ガイドなど歴史全般。最近の編集制作物に『完全詳解 山城ガイド』(学研プラス)、『エリア別だから流れがつながる世界史』(朝日新聞出版)、『教養として知っておきたい地政学』(ナツメ社)、『ゼロからわかるインド神話』(イースト・プレス)などがある。


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