2018/08/30
お城の現場より〜発掘・復元最前線 第16回【福井城】復元された山里口御門
城郭の発掘・整備の最新情報をお届けする「お城の現場より〜発掘・復元・整備の最前線」。第16回は、山里口御門が今年3月に復元された福井城について、福井県交通まちづくり課の井波智博さんにレポートしていただきます。門の復元に先立って行われた発掘調査。そこで得られた知見は復元整備にどのように活かされたのでしょうか。
2018年3月に完成した山里口御門
山里口御門の復元と発掘調査
現在では本丸と内堀周辺の石垣が残るだけの福井城であるが、福井県では2013年に策定した「県都デザイン戦略」に基づいて、本丸西側に位置する山里口御門(やまざとぐちごもん)の復元整備を進めてきた。高石垣に挟まれて建つ櫓門の復元には、遺構から得られる情報が重要な根拠となることから、2013年には御門内の通路部分を、2015年から2016年にかけては御門周辺の石垣の発掘調査を実施した。今回は、御門の復元に関する成果を中心に紹介する。
通路の調査状況
石垣の表面には御門の柱や梁などの構造部材がはまっていた彫り込み痕が確認され、櫓門の規模や高さを復元する根拠となった。また、往時の地表面にあった排水溝が石垣裾部に沿うように残っていたほか、門の柱を支えた礎石が複数見つかり、その位置関係から門が一度は建て替えられたことが分かった。
周辺石垣の調査状況
石垣の解体調査では、火災の熱を受けて褐色に変色した痕が築石の正面以外の面にも確認できた。このことから、寛文9年(1669)の大火で焼失した山里口御門の再建時に、築石の向きを変えて石垣が積み直されていたことが判明した。石垣の一部に古い石を再利用したことは「御焼失後御普請出来場所(ごしょうしつごごふしんできばしょ)」(松平文庫、福井県立図書館保管)にも記録があり、その大きな裏付けとなった。
火災を受けて褐色に変色した築石
出土した土塀の腰板石
石垣の裏込めや盛土からは石瓦やいぶし瓦、陶磁器等とともに土塀の腰板石が見つかった。福井城では、主要な建物(大手筋の櫓門、本丸の櫓・門・塀)の屋根瓦や土塀の腰板に足羽山(あすわやま)(福井市)で採掘された笏谷石(しゃくだにいし)が用いられており、今回の調査で初めて腰板石の実物が確認された。
復元された枡形門
調査の成果に基づく復元
2018年3月、山里口御門の復元整備が完了した。石垣に接する建築部材や排水溝は、石垣に残されていた痕跡に合わせて復元されており、笏谷石で葺かれている屋根も出土した石瓦を参考に部材寸法などを復元している。
現在、福井城の天守や櫓などをCGで復元するARアプリの制作を進めており、2018年秋に開催される福井国体へ向けて、かつての福井城を現地で体感できるサービスを提供する予定である。
福井城(ふくい・じょう/福井県福井市)
慶長5年(1600)、徳川家康の次男・結城秀康が初代福井藩主となり、翌年から6年をかけて築城。幕末まで越前松平家の居城として存続した。天守は寛文9年(1669)の火災により焼失し、以後再建されることはなかった。
執筆者/井波智博(福井県交通まちづくり課)
写真提供/福井県