現地レポーターが語る!国宝・犬山城の見どころ3選!

日本全国には、お城が大好きで、日々SNSなどでお城の情報を発信し続けている方が、たくさんいらっしゃいます。今回は、愛知県犬山市在住の「たかまる。」さんが登場。「たかまる。」さんは、地元の方を中心に、犬山城好きが集まり、ワイワイガヤガヤ語るイベント「わいまる。」の主催者でもあリます。 そんな“犬山城愛”溢れる「たかまる。」さんからみた犬山城とは―――。



犬山城天守には独特の見どころが3つある!

天文6年(1537)、織田信康が標高88mの丘陵に築いたといわれる犬山城。天守は正面から見ると、何とも愛くるしい子犬のようにも見えますが、左方向から見るとキリッとしたイケメンのようにも見えます。角度により異なった表情を見せるのは、ここ犬山城の天守ならでは。それでは早速、天守の見どころを具体的に3つ紹介したいと思います。
 
犬山城、天守
子犬のような表情(?)の犬山城天守

まず注目したいのが、唐破風です。これは弓なりにカーブを描いている屋根の部分で、南面(正面)と北面につけられています。天守を見上げると、まず最初に目に飛び込んでくる印象的な破風で、犬山城天守の表情を決めているといっても過言ではありません。

次に華頭窓です。天守最上部にある釣り鐘のような形の窓で、炎を思わせる曲線から「火灯窓」とも書かれます。格式が高く、神社仏閣に使われる様式です。しかし、窓と言っても窓枠だけ。つまり装飾なのです。

最後は天守最上階にある、真壁造りの外壁です。天守の外壁は白漆喰総塗籠という真っ白な壁か、下見板張りという黒い板が張り付けてあるのが一般的です。しかし、犬山城天守は梁と柱がむき出しになっています。耐候性は低いですが、装飾性はズバ抜けて高い造りとなっています。
 
犬山城、天守、最上階
天守最上階には独特の見どころが詰まっている

この3つのポイントに共通することは“装飾性が高い”ということ。天守はお城のシンボルでもあり、だれもが見上げる存在です。だからこそ、装飾性や格式の高い様式が好まれたと考えられます。犬山城の装飾は、他の天守とはひと味違った趣がありますので、比較しながら見てみるのも面白いですよ。

犬山城天守は増築物件だった?

犬山城天守は望楼型天守というタイプです。入母屋造りという二階建ての建物に、望楼(いわゆる物見櫓)が乗ったような構造をしています。通常、天守は一階から最上階まで一度に建てられますが、犬山城天守は一階・二階部分と望楼部分とは違う時期に建てられたということが、調査の結果わかっています。つまり、望楼部分は増築されたということです。さらに、先ほど出てきた唐破風も増築によってできた部分です。

現存する12天守のなかにも望楼型天守はいくつかありますが、このように増築して高くしたという例は、犬山城をおいて他にはありません。とても貴重な成り立ちをしていることがわかりますね。

増築は、関ヶ原の戦い以降、平和な時代が訪れるころにされたと言われています。犬山城天守は、“戦うための城”から、“シンボルとしての城”への転換点を今に伝えているのかもしれません。
 
犬山城、月
趣のある夜の犬山城

また、望楼型天守の特徴でもあるのですが、外観の屋根の数と内部の階が異なっています。犬山城天守の場合は三重四階という構造ですが、これは屋根の数が三重で、内部が四階建てということを表しています。しかも、一階・二階部分と三階・四階部分は建てた時期が異なるわけですから、おもしろい構造をしていますよね。こういったことも豆知識として覚えておくと、お城巡りがいっそう楽しくなりそうですね!

城主が見下ろした景色 vs 足軽が見上げた景色

さらにおすすめポイントは、何といっても天守最上階の廻縁からの眺めです。北には悠々と木曽川が流れ、遠くは岐阜城まで眺めることができます。南は扇状に広がる濃尾平野です。天気が良い日には織田信長が造った小牧山城や、尾張藩の名古屋城なども見ることができます。ときの城主は天守に登ってこの景色を楽しんだのでしょうか? それとも敵への警戒を怠らずに監視していたのでしょうか? そんなことを想像しながら見る景色は、また格別です。

犬山城、濃尾平野
犬山城は濃尾平野の扇頂部に位置し、木曽川を挟んだ美濃と尾張の境に建てられました。木曽川の水上交通の要衝でもあり、上流より流される材木を管理する任もあったと言われています

眼下には城下町が広がり、江戸時代の町割りが、ほぼそのまま残るため、天守から見下ろすと当時の町が再現されているようです。

もう一つおすすめなのが、木曽川越しに見上げる犬山城です。特に夕日の時間帯はおすすめで、オレンジ色に染まる空に浮かぶ天守の姿は、時間を忘れて見惚れてしまうほどです。木曽川の北側は美濃でした(現在の岐阜県)。美濃から攻めようとした足軽たちは、何を思ってこの景色を見ていたのでしょう。自然豊かな木曽川の畔で、悠久の歴史の中生き残った天守を、当時の人たちに思いを偲ばせながら眺めてみてはいかがですか?

犬山城、白帝城、長江流域
犬山城の別名「白帝城」は、長江流域にある白帝城になぞらえて荻生徂徠が命名したと伝えられる

名称:国宝 犬山城(通称:白帝城)
形式:平山城
天守構造:望楼型・三層四階地下二階・複合式天守
築城年:天文6年(1537)
築城者:織田信康(織田信長の叔父)
主な城主:織田氏・池田氏・石川氏・成瀬氏
所在地:愛知県犬山市犬山字北古券65-2
アクセス:名鉄犬山線「犬山遊園駅」から徒歩約15分

執筆・写真/たかまる。
犬山市在住。犬山城のことが好きで、ブログやSNSを使って犬山城のことを発信中。
たかまる。さんのWEBサイトはこちら⇒ https://www.takamaruoffice.com/

※歴史的事実や城郭情報などは、各市町村など、自治体や城郭が発信している情報(パンフレット、自治体のWEBサイト等)を参考にしています

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