2018/08/17
日本100名城・続日本100名城のお城 【日本100名城・七尾城編】上杉謙信も攻略に苦戦した能登の日本五大山城!
七尾城は、石川県七尾市古城町にある山全体を使った巨大な山城です。日本100名城にも選ばれ、能登畠山氏が戦国時代前期に築いたとされています。「七尾城の戦い」の舞台でもあり、城攻めの名手・上杉謙信が、攻め落とすまで約1年も苦戦するほど難攻不落のお城でした。山頂にある本丸から広がる七尾湾の絶景に、上杉謙信も感動して漢詩を詠んだとか。のちに織田信長の家臣・前田利家も城主になった、歴史ある七尾城についてご紹介します!
みどころは“野面積み”の石垣と“七尾湾”の絶景!
七尾城跡の石垣を眺めながら登山が楽しめる
石川県七尾市古城町の、標高約300mの石動山山系にある七尾城。ふもとから山頂までを有する全国屈指の大きな山城です。能登守護の畠山氏が、戦国時代前期の永正~大永(1504~1528)頃に造ったと言われています。能登半島の七尾湾が一望できる景色の美しい場所にあり、日本五大山城の一つと言われ、日本100名城にも選ばれています。
現在は廃城になっていますが、本丸の石垣と各曲輪の石垣が現存し、本丸、二の丸、三の丸、調度丸、桜馬場、石垣、空堀、土塁などの遺構を見ることができます。国指定史跡で、現在は天守台と石垣のみですが、見事な石垣からはかつての栄光を感じられます。七尾城の名前の由来は、七つの山の尾根にわたって造られているため。尾根には、松尾・竹尾・梅尾・菊尾・亀尾・虎尾・龍尾という名前があり、それぞれ七つの門が造られていました。
みどころは“野面積み”などの技術が使われた石垣。本丸は三段石垣で、桜馬場門は五段石垣になっています。調度丸と桜馬場に残っている石垣は、低い石垣を段にしていて、高石垣のような迫力があります。西の曲輪にある巨大な九尺石は、大手門だったという説も。さまざまな石垣が残っていますが、ほとんどは前田利家が造ったと言われています。本丸と長屋敷の間には大堀切や、山麓には崖を使った長さ約1kmの総構えという外郭もあり、それぞれの跡地には説明の看板があるので、復元イラストや縄張り図なども見ることができますよ。
軍神・上杉謙信が苦戦した「七尾城の戦い」
武具を整えるための調度丸跡など、さまざまな跡がある
天正4年(1576)の12月頃から、七尾城主・畠山氏と、越後の武将・上杉謙信による「七尾城の戦い」が2度にわたって起こりました。上杉謙信は、対立していた武田信玄が亡くなったため、能登に勢力を広げます。能登の要である七尾城があれば覇権が握れるため、何としても落城したいと考えました。畠山氏は長らく七尾城に篭城していたため、城内の環境が悪化し、疫病が流行りました。そして畠山氏の家臣・遊佐続光の裏切りにより、上杉謙信は約1年かけてやっと七尾城を攻め落としました。
戦国最強の戦上手で、「軍神」「越後の龍」と呼ばれていた上杉謙信ですら、攻め落とすのに約1年も要した七尾城、どれだけ堅牢なお城なのかがわかりますよね。
上杉謙信は本丸からのあまりの眺めのよさに、「絵像に写し難き景勝」と絶賛し、「霜は軍営に満ちて秋気清し」から始まる、唯一の漢詩を詠んだと言われています。上杉謙信は、織田信長や柴田勝家との「手取川の戦い」の後に亡くなり、天正9年(1581)に、織田信長の家臣だった前田利家が七尾城の城主になります。前田利家は、立地が不便だった七尾城を廃城にして、近くの小丸山城に居城、その後金沢城に移って、初代加賀藩主になりました。
七尾城の主・能登畠山氏にまつわる歴史
能登畠山氏の居城の七尾城は、現在は城跡のみが残る
室町時代に、足利氏一門の畠山基国(もとくに)が能登、越前、越中などを治めていましたが、応永15年(1408)に、次男の畠山満慶(みつのり)が能登国の守護になり、能登畠山氏が成り立ちました。
当初畠山氏は京都にいて、実際は家臣の遊佐氏が治めていました。文明10年(1478)に、3代目の畠山義統(よしむね)の頃に、京都で「応仁の乱」が起きたため、戦乱を逃れて能登にやってきました。7代目の畠山義総(よしふさ)の頃に、京都から文化人が移り住み、城下町には京都から伝わった華やかな「能登畠山文化」が広がりました。安土桃山文化を代表する絵師・長谷川等伯も、この頃に七尾の城下町で生まれました。
その後、能登畠山氏は名目上の主で、遊佐続光(ゆさつぐみつ)、温井総貞(ぬくいふささだ)、長続連(ちょうつぐつら)など、「畠山七人衆」と呼ばれる家臣たちが実権を握っていたと言われています。11代目の畠山義隆(よしたか)が亡くなったあと、幼い畠山春王丸(はるおうまる)が跡を継ぎますが、「七尾城の戦い」で流行り病にかかり、170年間続いた能登畠山家一族は滅亡。何とも物悲しい末路ですね。能登の周辺は一向一揆があったりと、戦乱も何かと多かったようです。
本丸跡地のすぐ側にある、城山神社
展望台や懐古館も!七尾城の楽しみ方いろいろ
七尾湾の美しい景色は一見の価値あり
七尾城は山の上にあるため、登山だと1時間くらいで到着します。城跡からは七尾湾を望み、絶景スポットとしても知られています。付近の七尾城山展望台からは本丸を一望でき、ハイキングするなら、秋の紅葉もおすすめ。本丸跡地には城山神社と、徒歩5分ほどの距離に駐車場もあり、車ですぐ側まで行くこともできます。
ふもとの「七尾城史資料館」では、七尾城に関する展示と、日本100名城のスタンプがあり、七尾城プロジェクトによる「七尾歴史たびマップ」も配布。敷地内には江戸時代の古民家を利用した、国登録文化財の「懐古館」があり、囲炉裏や庭園なども眺められます。七尾駅ではボランティアガイドや、レンタサイクルも利用できます。また、周辺には平安時代から続く和倉温泉もあり、観光も楽しめますよ。
※スタンプの設置場所は変更になる場合がありますので、事前にご確認ください
所在地 :石川県七尾市古府町、古屋敷町、竹町
アクセス:JR「七尾駅」から市内循環バス「まりん号」で約15分、「城史資料館前」下車
七尾城史資料館から山頂の七尾城本丸跡まで、登山道を徒歩で約1時間
執筆/yotusiro(よつしろ)
北海道出身。北海道のグルメと観光に詳しく、幕末と刀剣が好きな歴女。戦国武将や城郭を巡る旅行が趣味。
※歴史的事実や城郭情報などは、各市町村など、自治体や城郭が発信している情報(パンフレット、自治体のWEBサイト等)を参考にしています