加藤清正は武闘派というよりお金の計算が得意だった?
清正は、尾張(現在の愛知県西部)に生まれ、豊臣秀吉とは母親がいとこ同士だったという説があります。秀吉の元で出世を重ね、若干27才ながら肥後国(現在の熊本県)を治める大名に抜擢されます。同じく豊臣秀吉の家臣であった小西行長と、肥後を2分する形で入国。その後、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは、小西行長が西軍に属し敗れたため、清正が肥後全体を治めるようになりました。
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