熊本城の「いま」 第4回 城だけじゃない!加藤清正の思いが込められた城下町を歩く

熊本地震から2年。復興に向かって進んでいる熊本城の「いま」をお伝えする企画。今回は、熊本城を築いた加藤清正の素顔と、清正の思いが込められた城下町をご紹介します。

加藤清正は武闘派というよりお金の計算が得意だった?

熊本城、
熊本城から少し歩くだけで趣ある街並みに出合える

博多祇園山笠人形、加藤清正
加藤清正をモデルにした博多祇園山笠人形(熊本城ミュージアムわくわく座2階)

これまで何度も登場してきた加藤清正の素顔に今回は迫ってみたいと思います。

清正は、尾張(現在の愛知県西部)に生まれ、豊臣秀吉とは母親がいとこ同士だったという説があります。秀吉の元で出世を重ね、若干27才ながら肥後国(現在の熊本県)を治める大名に抜擢されます。同じく豊臣秀吉の家臣であった小西行長と、肥後を2分する形で入国。その後、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは、小西行長が西軍に属し敗れたため、清正が肥後全体を治めるようになりました。

虎之助という幼名、また石田三成と比較されるため武闘派のイメージが強いですが、実は財政や物流の才能にも長けていました。加藤清正が持つ官位は「主計頭(かずえのかみ)」。似たような名前が最近のニュースでもよく取り上げられていますが、会計の責任者を表しています。

清正は、戦乱で荒れていた肥後を立て直すために、治山治水工事(山や河川の整備)や、水田開発を実施。現在でも利用されているものもあり、清正の功績を表しています。南蛮貿易にも積極的に取り組み、肥後は豊かになりました。現在も、「清正公(せいしょこさん)」と熊本市民から親しみをもって呼ばれています。

熊本城の加藤神社では2018年は7月22日に清正公祭が開催。東京でも、5月4~5日に覚林寺(東京都港区白金台)で「清正公大祭」が開催されるなど、清正にちなんだお祭りは全国的に残っています。

熊本城だけではなく城下町も加藤清正デザイン

熊本城、大天守、小天守
熊本地震前の熊本城大天守・小天守

そんな清正だからこそ、日本三名城に数えられる巨大な城を築き上げることができたのでしょう。そして、天守のみならず、飯田丸五階櫓、宇土櫓など、ほかの城であれば天守に匹敵しそうな櫓の備え。しかも「武者返し」に代表される石垣を積み上げるなど、清正の築城術と用意周到さがあふれ出ているのが熊本城なのです。

実は熊本城だけでなく、城下町にもその性格は出ています。熊本の城下町と言われても、城のイメージと規模が大きいため、あまりピンと来ないかもしれませんが、路面電車が走る素敵な町並みを楽しめます。加藤清正公像の背後を流れる坪井川を沿いに歩きながら、城下町へ向かってみましょう。

熊本城、加藤清正公像、飯田丸五階櫓
スタートはもちろん加藤清正公像。復旧工事が進む飯田丸五階櫓から坪井川をはさんだ向かいに立つ

熊本城、内堀、坪井川
熊本城の内掘の役割を果たした坪井川

船場橋にあらわれる動物○○○とは?

船場橋、坪井川、熊本城
かつては坪井川の船着き場であったことに由来する船場橋

船場橋を渡ろうとすると、何とも不思議なオブジェが目に飛び込んできます。エビ・・・?橋を渡ると路面電車の「洗馬橋」停留所に到着。タイミングよく路面電車が来たかと思うとなんとも懐かしいメロディー。

あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ 船場(せんば)
船場山には狸がおってさ それを猟師が鉄砲で撃ってさ 煮てさ 焼いてさ 食ってさ それを木の葉でちょいと隠(かぶ)

小さい頃、メロディーに乗せてボールやまりをついた方も多いのではないでしょうか。この歌は『肥後手まり唄』といい、歌に登場する「船場山の狸」がこの近くにいたとされます。

船場橋停留所の向かいにある熊本中央郵便局にも、タヌキのオブジェが載ったポストがあります。ちなみに、歌の2番はタヌキの代わりにエビが主人公のため、船場橋にエビのオブジェがあったわけです。

洗馬橋停留所、タヌキ、熊本城
洗馬橋停留所ではタヌキの親子がお出迎え

熊本城、熊本中央郵便局、タヌキ
熊本中央郵便局のポストにもタヌキのオブジェ

船場橋、エビ、オブジェ、熊本城
船場橋のエビのオブジェは、「肥後手まり唱」2番で歌われているのにちなんで

まるで「要塞都市」のような城下町を散策

熊本城、坪井川、旧第一銀行跡、明十橋
明十橋から坪井川を望む。一番手前の建物が旧第一銀行跡

タヌキだらけの「新町二丁目」交差点から南側に進むと、また坪井川が見えてきます。明治10年(1877)に造られた「明十橋(めいじゅうばし)」を渡ると、雰囲気のある建物に出合います。大正8年(1919)築の国指定登録文化財の建物は「旧第一銀行」。現在はピーエスオランジェリー社によりショールームとして利用されています。

ピーエスオランジェリーが面する通りは「唐人町通り」と呼ばれ、町屋がところどころに残っています。このあたりは「古町」とよばれ、熊本城の城下町にあたるエリア。たくさんの商人が住んでいた名残が感じられます。

古町を歩いていていると、似たような造りをした区画ばかりなことに気が付きます。これはお寺を中心にした区割りがたくさん残っているため。「一町一寺(いっちょういちじ)制」と呼ばれる独特の区割りで、加藤清正が考えたとされています。寺を中心に町屋で囲んだ区割りは、もし戦いになれば寺を軍事拠点として利用し、さらに墓石を石垣代わりに使おうとしたそうです。

ここにも加藤清正の細心の注意が払われています。熊本城だけでなく城下町も敵に備えた「要塞都市」だったのですね。

熊本、町屋、寺
町屋の合間の細い路地から寺が見える。同様の区画がたくさん残っている

石垣に囲まれた「石垣の間」で九州食材ランチ

唐人町通り、ピュリィレストラン
唐人町通りでもひと際存在感のある町屋を活用したのがピュアリィレストラン

古町の歴史散策もひと段落し、「石垣に囲まれたレストランがある!?」という噂を聞きつけて、再び唐人町通りへ。3つの町屋が並ぶ古民家の中に、「ピュアリィレストラン」が店を構えています。

築140年、明治初期の古民家。地下1階ではなんと石垣に囲まれた空間で食事を楽しむことができるのです。

料理は自然栽培(肥料・農薬不使用)の食材にこだわり、熊本をはじめ九州産の野菜やお米を使用。ランチメニューは「野菜」「魚」「肉」の3メニューの中から選べ、毎月内容が変わります。産地だけでなく食べ方にもこだわり、ごはんは、白米と七分つき米から選ぶことができます。七分つき米というのは、胚芽と繊維質をほどよく残し、玄米よりも消化しやすく、白米よりも栄養価が高いお米です。

ピュリィレストラン、石垣、坪井川
石垣に囲まれた地下1階。坪井川が見える開放的な造り風通しも良い

ピュリィレストラン、ランチメニュー
旬の食材をふんだんに使った野菜のランチメニュー1300円(税別)。魚と肉のメニューは1800円(税別)

いただいた食材は1階の食材コーナーで購入することもできます。取材当日のランチメニューに使用されていた「稲本さんの米」を探すと、目立つところにありました。稲本さんの笑顔とこだわりが見え、いただいたお米が一層ありがたいものに感じられました。

元々この建物のオーナーが、健康を大切にしようと一念発起したことにレストランの創業は由来します。「ナチュラルなライフスタイル」を目指し、ピュアリィレストランの入る町屋のモールでは、食材店Vegiee Root’s(ベジルッツ)、自然素材の衣料品Lili cotton(リリコットン)なども運営している。さらにクッキングスクールや建築スクールも開催し、ナチュラルなライフスタイルを目指しているのです。詳細についてはhttp://nh-purely.co.jp/をご参照ください。

ピュリィレストラン、食材、購入
旬の食材は1階で購入することもできる

ピュリィレストラン、ディスプレイ
生産者の想いが伝わるディスプレイ

ピュリィレストラン、店内
明るい店内では、幅広い客層が食材を買い求める

<基本情報>
ピュアリィレストラン
住所:熊本県熊本市中央区中唐人町15
電話番号:096-323-1552
営業時間:11時30分~14時30分(オーダーストップ14時)
※カフェ営業は14~17時(オーダーストップ16時30分)、夜は要予約
定休日:水曜

いつの間にか熊本城を見失ってしまう「侍」ゾーン

明八橋、城下町、城内、境界
明治8年に造られたことにちなんだ「明八橋」。城下町と城内の境界だ

唐人町通りを西側に歩き、坪井川に架かる「明八橋(めいはちばし)」を目指します。明治8年(1875)に架けられた眼鏡のような形をした橋。橋を渡ると「新町」と呼ばれる、かつて侍や職人たちが住んでいた区割りに入ります。

この明八橋は城下町(現在の古町)と城内(現在の新町)を分ける境界線なのです。明治21年(1888)創業で根強いファンの多い「松石パン」や、元禄年間(1688~1704年)創業の玩具問屋「むろや」、文政年間(1818~1831年)創業の製薬所「吉田松花堂」など歴史ある個性的なお店が点在しています。

この新町にも加藤清正の工夫が込められています。均一に区割りされているのかと思いきや、短冊形に区割りされた街並みをずらし、直線的にお城が見えないようになっています。ですので、熊本城に向かって歩いているつもりが、微妙にずれており、方向感覚が鈍る構造になっているのです。加藤清正恐るべしですね。

吉田松花堂、諸毒消丸
熊本地震の影響が残りブルーシートが覆う吉田松花堂。江戸時代末期に疫病が流行した際に効果を発揮した「諸毒消丸」で有名

加藤清正が「鉄壁のディフェンス」を敷いたワケ

熊本城、坪井川
熊本城を囲むように流れる坪井川もかつては激しい流れだった

さて、清正は何に備えてここまで厳重な守りを敷いたのでしょうか?熊本城の南東に広がる侍が住む新町、そして要塞のような城下町・古町、さらにさらに遠くに視線をやると。。。

そうです、島津家が治めていた薩摩国(現在の鹿児島県)に行き当たります。戦国時代に勇猛さで名を馳せ、関ヶ原の戦いでは敗れた西軍についた島津家。徳川幕府にとって、危険な存在である島津家の抑え役として、加藤清正が重用され、鉄壁の熊本城と城下町が造られたのです。

加藤清正の努力が実ったのは熊本城を築城してから約270年後。これまで度々登場してきた西南戦争で、薩摩軍を率いた西郷隆盛は、ついに熊本城を落とすことはできませんでした。

おしゃれ書店の喫茶室で路面電車を眺めながらコーヒータイム

長崎次郎書店、新町、ランドマーク
長崎次郎書店は新町のランドマーク的存在

加藤清正をたどりながらの古町・新町散策もいよいよ締めくくり。新町停留所に戻り路面電車で帰路につく前に、停留所近くの書店「長崎次郎書店」へ。2年前の熊本地震直後、真っ先に営業を再開させ、熊本市民に勇気を与えたお店です。ここには、熊本地震や熊本ゆかりの作品が豊富に揃っています。そして2階には味のある喫茶店があるのです。

書店の2階は「長﨑次郎喫茶室」。建築家・保岡勝也さんが造った瀟洒な空間。保岡さんは東京駅近くの丸の内赤煉瓦オフィス街を設計したことで有名です。イギリスで建築を学んでいたこともあり、随所にそのブリティッシュな影響が残っています。天井が高くて開放的。蓄音機も置かれており、建物と雰囲気がよく合っています。

長崎次郎喫茶室店内
木のぬくもりが感じられる長﨑次郎喫茶室店内

長崎家は1800年代初め、熊本城主・細川家の指物師(茶や花や掛け軸などを揃える)として京都から熊本に移住。長男の伊太郎が「静観堂」の屋号で道具屋を営みました

明治5年(1872)に学制が発布されると、次男の次郎が書店を開業。人力車で教科書を配布するようになりました。「熊本県内の子供へ、一人残らず教科書を届ける」のが使命でした。その後、大正13年(1924)に建築家・保岡勝也さんが建てたのが現在の建物です。

長﨑次郎喫茶室、長崎圭作さん、天主
長﨑次郎喫茶室への想いを語る店主の長崎圭作さん。建物や本への強いこだわりがあふれる

「これから暑くなる季節には水出しアイスコーヒーですね。8時間かけて抽出し、1日15杯の限定販売なのでぜひ味わっていただきたいです」と店主の長崎圭作さんが自信をもっておすすめします。

「コーヒーに合わせるスイーツにはドラ(どら焼き)が人気ですが、阿蘇神社の横参道で名物の『阿蘇 縁結び最中』や、熊本県西原村から仕入れている『福猫最中』もいかがでしょう。おみやげにもぴったりですよ」と長崎さん。

注文をしてコーヒーを待っていると、ガタゴトという音と共に揺れる店内。何だろうと驚いて窓の外を見ると、店前を走る路面電車。窓から路面電車が走っている様子を眺めながら、コーヒーを味わえるのはこのお店でしか体験できません。「路面電車が走る城下町」というのも、熊本ならではの風景ですね。

長﨑次郎書店、路面電車
路面電車がよく見える窓側の席が人気

長﨑次郎喫茶室、ドラ、水出しアイスコーヒー
店主おすすめの「水出しアイスコーヒー」750円と「ドラ(どら焼き)」200円

長﨑次郎喫茶室、福猫最中、阿蘇縁結び最中
左から「福猫最中」200円と「阿蘇 縁結び最中」200円

長﨑次郎喫茶室、熊本
熊本ならではのお菓子も豊富に揃っている

<基本情報>
長﨑次郎喫茶室
住所:熊本市中央区新町4丁目1-19 2階(新町電停下車すぐ)
電話番号:096-354-7973
開園時間:11時26分~18時26分
定休日:水曜

いかがでしたでしょうか?熊本城を築いた加藤清正と、城下町についてご紹介させていただきました。せっかく熊本城を見学したなら、城下町も散策してみたいですよね。加藤清正のこだわりを感じながら歩きつつ、歴史ある建物でランチやコーヒーブレイクを楽しめるのが熊本の魅力。せっかく熊本まで来たなら、熊本城だけではもったいないですよ!

今回ご紹介したのは、城下町散策の楽しみ方のうちのほんの一部。もっと深く楽しみたい方は、「くまもとよかとこ案内人の会」(第1回参照)にぜひご相談ください。
ガイドさんと一緒に城下町の物語や地元のお話を聞けば、ますます熊本散策が満喫できますのでおすすめです。

※記事中のデータはすべて取材時(2018年4月4日)の情報となります。

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執筆・写真/藪内成基(やぶうちしげき)
奈良県出身。30代の城愛好家。国内旅行業務取扱管理者。出版社にて旅行雑誌『ノジュール』などを編集。退職し九州の城下町に移住。観光PRやガイドの傍ら、「城と暮らし」をテーマに執筆・撮影。『地域人』(大正大学出版会)など。海外含め訪問城は500以上。知識ゼロで楽しめる城の情報発信を目指す。

※歴史的事実や城郭情報などは、各市町村など、自治体や城郭が発信している情報(パンフレット、自治体のWEBサイト等)を参考にしています

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