お城紀行〜城下と美味と名湯と お城紀行〜城下と美味と名湯と 第8回 |【大和郡山城・前編】環濠集落で迷子、のち郡山城攻め

お城はもちろん、その城下町にある美味しいグルメや温泉を紹介する「お城紀行〜城下と美味と名湯と」。今回は、大和郡山城(奈良県)攻めの前哨戦として、稗田環濠集落に攻め込みます! ※初掲 2018年8月30日。2022年10月6日更新



大和郡山城、追手門向櫓
追手門・東隅櫓とともに復原された追手門向櫓

やみつき必至?「村の城」環濠集落

大和国(奈良県)最大の城郭・大和郡山城(以下、郡山城)とその城下町を訪ねようと、大和郡山市にやって来ました。せっかく史跡の宝庫・奈良に来たので、お城に行く前に車で10分ほどのところにある「稗田環濠集落(ひえだかんごうしゅうらく)」を訪ねることに。
探訪の拠点は、集落の南東に鎮座する賣太神社(めたじんじゃ)が最適。古代の幹道「下ツ道」沿いで平城京羅城門の真南に位置し、ケガレを払う重要な場だったようです。ご挨拶&道中の安全を祈願して参拝します。祈祷中のため御朱印は遠慮し、そのまま徒歩で集落内におジャマします。

古代の環濠集落は城の原型だといわれますが、ここ大和郡山の3集落の成立時期は不明。室町時代には確かにあったようです。農民たちが自治防衛のために集住して村の周囲を濠で囲み、出入口に横矢掛かり(側面攻撃できる場所)を設けた軍事的防御施設である環濠集落は、いわば「村の城」。はたして無事生還できるのか? 緊張の道行きがスタートです。

大和郡山城、賣太神社、濠、稗田環濠集落
左/田園地帯に残る稗田環濠集落の東側の濠。左手前は賣太神社の建物 右/甲羅干ししながら監視中?のカメ兵士たち

南の濠沿いを歩き始めると、そこにはすごい数のカメさんが平和に甲羅干し中。しかし異変を察した彼ら、次々に濠の中にボチャン!ドボン!と姿を消していきます。その水音で侵入者を知らせるかのように。残ったカメ兵士たちも、首を伸ばしてこちらを監視。むむむ‥‥油断は禁物です。

濠沿いを外れ、内部へ歩を進めます。南北・東西の広い道以外は、壁や軒が左右に迫る迷路のような小路がはりめぐらされていて、閉塞感でドキドキします。

T字・食い違い・湾曲で先が全く見通せず、行き止まりもあって気を抜くと迷子になります。小窓から監視・攻撃も容易にできそう。これが戦だったらいったい何回討死したことか。

大和郡山城、集落、民家
左/民家の軒・壁・門が、視界と行く手をはばむ集落内の小路 右/こちらは湾曲によって先が見通せなくなっています

なんとか迷路を抜けて北側の濠へ。妙な疲労感がありますが、うららかな春の日差しと田園風景に癒され、手入れされた古民家とキラキラ光る水面の調和の美しさに、ほうっとため息。

なるほど、この「緊張と緩和」が探訪者の心をわしづかみにするのかも。これはクセになります。でも探訪時は静か〜に盛り上がって下さいね。

大和郡山城、環濠
環濠の幅は10m前後、深さは2〜3m。奈良県景観資産にも選ばれています

ご自宅蕎麦屋さんで生き返る

討死気分は美味しいランチで払拭すべし。今回は郡山城西側の外堀近くにあるお蕎麦屋さんに行きます。ご自宅を改装したお店でレベルの高いお蕎麦がいただけるとか。のぼりがなければここでも迷子になりそうです。

オーダーした天ざるそばの天ぷらは、桜えびがメイン。私、小ぶりなエビが苦手なのですが、この天ぷらの桜えびはふわふわでクセがなく、ほんのり甘くて絶品です。お蕎麦は細くてコシのある絹挽き。ツルッと喉ごしよく香りも立っています。

大和郡山城、桜えび天ざるそば
桜えび天ざるそば。春にふさわしい桜えびの天ぷらはふんわり&サックリ

アットホームな接客で一見でも心配ナシ。次回は、そばがきにそば味噌、それからそばアイスもいただきたいなぁ。

天守台の展望施設が完成した郡山城へ

お蕎麦で生き返り、いよいよ城攻めです。郡山城は、2017年3月に天守台の整備と展望施設の工事が完了。廃墟感漂う城跡はたまりませんが、町なかの城跡は安全と保存のために整備が必須です。城下町ごと外堀で囲んだ惣構のお城で、整備された平山城なので軽装で大丈夫。西ノ京丘陵端っこの傾斜を利用しています。

近鉄の線路を渡ると、鉄門跡の石垣がドドン。なんとも豪壮な石垣です。坂道を直進すれば天守台への最短アクセスですが、まずは2つの櫓と一緒に復元されている追手門(梅林門)から。立派な枡形です!

大和郡山城、追手門、桝形
復原された追手門の枡形。門には豊臣家の桐紋が輝き、さすがの威圧感

和洋折衷の華麗な建物・城趾会館の近くから、本丸を囲む堀に沿った「城趾散策道」がのびています。堀の広さや深さ、そして石垣を堪能できておすすめです。

大和郡山城、城址散策道、天守台西面
城趾散策道からみた天守台西面。水が少ないと構造や深さがよくわかります

小径の終点・中仕切門跡を堀沿いに左折すると、鳥居の立つ土橋が見えてきました。いよいよ本丸へのメイン虎口に到着です。

次回、転用石が独特な味わいをかもし出す天守台の石垣と奈良盆地の眺望を堪能してから、城下町を歩きます。

「お城紀行~城下と美味と名湯と」の他の記事はこちら

大和郡山城(やまとこおりやま・じょう/奈良県)
大和郡山城は、豊臣秀吉の弟・秀長が大和国100万石の領主として入城した城。江戸時代には松平氏や本多氏などの譜代大名が城主を務めていた。大和国は石垣に使う石材の産出地が少なかったため、大和郡山城の石垣は寺院などから集めた墓石や石仏などが転用されている。

執筆・写真/山本ミカ(やまもと みか)
兵庫県出身・歴史ライター。小4の時に歴史に目覚め、書店・大学出版会勤務を経てフリーライターに。現在の活動はもっぱら日本史関係書籍の執筆協力。石垣・巨石・製鉄が好物(鉱物?)。日本城郭協会に入会し、近ごろはお城にどっぷり

※歴史的事実や城郭情報などは、各市町村など、自治体や城郭が発信している情報(パンフレット、自治体のWEBサイト等)を参考にしています

関連書籍・商品など