2025/05/30
前田慶次の自腹でお城めぐり 【第25回】凸名古屋城 後編~城下町まで歴史尽くし~
お城に関する豊富な知識を持つ前田慶次様(名古屋おもてなし武将隊®)が、全国のお城を実際にめぐりながら歴史・特徴・魅力を解説する人気連載。今回は慶次様の本城、名古屋城の後編です。後編の後半は、城下町へ飛び出します!
皆の衆、我こそは名古屋おもてなし武将隊天下御免ノ傾奇者前田慶次である。
此度(こたび)城びとと同盟を結び、此の前田慶次が連載を持つ事と相成った。
先ずは、名乗りを上げよう。

演武といったパフォーマンスなるものを披露し、全国各地に遠征を繰り広げる。
結成十六年目を迎え、全国の武将隊の先駆けとして日ノ本を代表とする武将隊である。
して、儂前田慶次は現世に蘇り歴史の語り部として多くの戦に出陣して参った。
伝統芸能を伝える舞台出陣、歴史学者との対談、寺子屋(学校)での歴史授業。
名古屋城検定名誉顧問に叙任され、検定過去最高得点を叩き出す。
日本城郭検定にも挑戦し合格。
日ノ本が誇る歴史文化をより多くの者に伝えるべく、城びとでの連載を始める次第。
題して

【前田慶次の自腹でお城めぐり】
他の連載と何が違うのか!?
・現世に生きる戦国武将自らが感じたことを紹介!
・傾奇者による城郭魅力度数値化!
・城巡りの手引書(案内)となる!
・地域の特色を織り交ぜ、観光が楽しくなる!
・イケメン(前田慶次)が見られる!
・要点を抑えた紹介!
・兎に角分かりやすい!
全国の城に直接己が足で出向き、城の見方、歴史を伝え、
其の城の傾き所(見所)や天守閣、男前田度(イケメン)を前田慶次の独断で評価する。
歴史初心者から玄人まで楽しめる、国宝連載となっておる。
ただ城を巡るのではなく! 儂の金子(金)で城に登城する。つまり限られた金子で巡る
旅の道中劇にも注目してもらいたい!!
また巡り方については、王道の道順を歩む故に参考にすると良い。

旧国宝第1号は完全復元できる城郭!?

【基本情報】
城郭構造 :平城
主な築城者:徳川家康
主な改修者:徳川家
築城年 :1612年(慶長17年)
廃城 :1871年(明治4年)
主な指定文化財:特別史跡、重要文化財、名勝
【歴史】
■徳川の城なのに他家が築城した国家事業の狙いとは?
1600年関ヶ原の戦いの後に徳川家康は征夷大将軍となり、江戸幕府を開府。徳川の治世となるが、先代の支配者である豊臣家を叩く為に“天下普請”と全国の大名に城の築城・大規模な改修を命じる。大半は豊臣家に従った西国大名家で費用も負担させた。また、大坂城を包囲する態勢を整えた。結果的に1614年“大坂の陣”が起き豊臣家は滅びる事になった。此の天下普請事業で最も力を入れて築城された城が“名古屋城”であった!
■尾張の拠点を清洲から引越し!
1609年当時、尾張国は清洲城が中心となり栄えていたが、徳川家康の家臣“山下氏勝”の提案から拠点を変え新たに城を築城しようとなった。家康の子9男である“徳川義直”と共に清洲城へ入城し地選をしたと言われる。幾つかの候補から選ばれたのが廃城していた那古野城の場所、今の名古屋城であった! 1612年清洲の町ごと名古屋へ引越しが始まる。人口は5万人を超えており寺社や橋も移された!
■最強の城は異例の早さで築城!
1610年2月から築城は始まった。半年足らずで普請の大半が終わり、1年以内に普請は完成した! 同規模の築城となると最低でも3年はかかるものである。西国大名を中心に20家が担当し、普請奉行には我が一族名を与えた“滝川豊前守忠柾”も名を連ねる! 作事奉行は“小堀遠州”、縄張には“藤堂高虎”も尽力。作事も当代一流の大工であり幕府御大工頭“中井正清”を迎え、材料を事前に集め効率性を重視して進められた! 1612年には殆ど完成し、御殿は後回しで1615年完成! 此れは合戦に備えての意味合いが大きく、総構で造る予定であったが、大坂の陣が終わった為に必要性が無くなり現在の形で完成した! 城郭としての要素はいずれも最大級の規模を誇っており、築城の早さは恐らく日本一であろう。
■拘りの城下町は現代にまで活かされる!
城造りと並行して行う必要性があるのが、町作りである。即ち城下町は合戦を想定して作られておるが、名古屋城は合戦だけでなく平和になった後も考えられた町作りとなっておる! 企画者は天下人徳川家康自ら、という特別な町である。北西が湿地帯に囲まれた名古屋台地の西北端という名古屋城の位置は、合戦を想定の地選であるが、東南は町割をされ武家地、町人地、寺社地と分別された! 中でも城の大手正面(南)に広い“碁盤割の町人地”が築かれ、各主要街道を通すことによって町が賑やかさになるよう力を入れた! また、城下に大きな川が無かった故、資材運搬が為に人工河川である堀川を築いた!
■国が守った名古屋城
明治政府は名古屋城を陸軍の軍事拠点とした。名古屋城の象徴である金鯱は日本初の産業博覧会で展示された! 東京、名古屋、京都、大阪、金沢、松山、国外ではウィーンなどの博覧会に展示され人気を博す! 明治時代、各地で城郭が廃城する中で、名古屋城と姫路城は保存の声が多く永久保存が決まる! 昭和になり旧国宝第一号にも指定される! 文化財という概念が無かった明治時代で認められたのは異例である! 名古屋城は離宮となり皇族の宿泊施設としても活躍した!
■復元事業が注目される
昭和の戦争で名古屋城の建物は焼失した上、天災等でも被害を受けたものの、名古屋城の資料が豊富に残っている為、全国でも数少ない復元できる城郭となっておる! 実際、復元に向けて進んでおり、第一弾として本丸御殿が10年の歳月で木造完全復元された! 天守閣も木造復元が決まっておる!
「【第25回】凸名古屋城 前編~ここだけの話~」も再読じゃ!

【名古屋城の小天守最強説!?】
天守は大天守が象徴として注目されるが、名古屋城小天守は他天守に比べて驚きの備えが御座り史上最大の小天守である。
此の重厚な見た目は異常な大きさなんじゃ! 2重2階、地下1階の層塔型で他の城郭の大天守に匹敵する大きさである。1階の面積は彦根城や松本城天守よりも広い! 名古屋城は隅櫓も11基も存在した故にこれらも天守級の大きさであった故に、合わせると13基の天守があると言っても過言ではないのが名古屋城!
慶次「敵からすればこれ程恐ろしい守りは無い。いずれも窓の数が多く鉄砲で蜂の巣となるのは必定!」
して、守備を高めるべく小天守は“金蔵と倉庫”の役割もあり戦時には欠かせない存在である。
また、大天守に登ろうにも小天守から登り間に橋台を作り、門は総鉄板張に加え石落としも備えており突破は至難の業であることは童でも想像が付く。
慶次「金蔵を要する名古屋城小天守は城の心臓である。金鯱の鱗を盗む奴はおったが金蔵を襲った奴は聞かぬ。大天守に匹敵する最大規模の小天守の倉庫は数多の武器を備えておったであろう。城内で最も危険な建物である! 儂のように華ある大天守に心奪われがちであるが、支える名脇役の小天守も城好きは見逃すでない!」

【天守小話】
大天守の石垣は壮大ながらも僅か3カ月足らずで築城された名を轟かせておるが…後に殆ど積み直しされておる! 大天守の重みに耐えきれず湿地帯であったのも原因であろうが、沈んだのが築城してから150年後の話。
江戸中期に大規模な改修工事で積み直しを成功させ4分の3は新たな石垣に積み直されて、当時の石垣は目の前に礎石として残しておる! 再び沈まぬ策として、竪樋を装着し水捌けを大切にし瓦も銅瓦に変更し軽量化した!
慶次「戦国・江戸時代は天守を上回る大きな建物が無かった故に、雷被害で焼失が誠に多かった。名古屋城は被害が無く昭和まで現存し続けたのは奇跡なんじゃ!」

【復元への拘り!西の丸御蔵城宝館】
名古屋城は完全復元叶う唯一の城郭と儂は伝えたい。何処の城も完全復元叶わず、再建に励んでおる。中には全く異なる建物を再建する城もあるほどじゃ。城が観光資源として活躍する時代故にそれも良かろう。
じゃが、見るなら昔の姿を楽しみたい者もおるはずじゃ。それは名古屋城に任せよ!
大天守も外観復元を叶えておるのは有名な話。建物だけでにゃーて城として復元出来る故に、足を運ぶ度に景観の違いを楽しめる!
最近復元されたのがこちら“西の丸御蔵城宝館”。
嘗ての3番4番蔵である米蔵(1-6番まで存在していた)を外観復元し中は展示室として民が楽しめるように工夫を施しておる!
慶次「貴重な文化財史料などを題目はテーマなるものを設けて期間限定で様々な展示を公開しておる! 儂も毎度見るのが楽しみな程、珍かな展示の数々だで名古屋城に登城した時は必ず足を運ぶべきじゃ!」
城宝館の目の前には名古屋城正門売店があり

(名古屋おもてなし武将隊の鼓舞する品々も販売中!!)

御城印も此方で購入が叶うし、店の前では大型御城印と写し絵が写せるぞ! 恐らくこれ名古屋城しかやっておらんのではないか?


して、名古屋城で忘れてはならんのが我等武将隊と忍者隊の存在!
おもてなしの出陣中であれば共に写し絵を写す事が叶う!交流したい者は声を掛けよ!
最初は驚く程緊張するぞ恐らくな!ワッハハハハハ
毎週土日祝日であれば「おもてなし演武」を披露しておる!(※雨天や場合によっては無い)
殺陣あり舞あり寸劇あり和太鼓演奏ありが無料で楽しめるからのう見逃すでないぞ!
さぁ此処からは

名古屋城外、即ち城下町を案内するぞ!
名古屋城東門から下城すると直ぐ近くに見て欲しいもんがあるのじゃ!!

【愛知県庁・名古屋市役所は文化財】
現在の名古屋市役所本庁舎は三代目であり、1933年昭和天皇御大典事業として建てられ申した!
西洋建築様式に日ノ本の要素を加えたとして高く評価を受けており、愛知県県庁と共に国の重要文化財に指定されておる。最近屋根を葺き替えたばかしで銅瓦として赤金色が眩しく光っておるぞ!
此れが錆びると現在の名古屋城大天守の如く緑青色に変わるというわけじゃ!
慶次「名古屋城天守復元すると此の瓦になる可能性が高い! 印象が随分変わるじゃろ? ほいで、役所が目の前にあるのは“城あるある”と言えよう。城が役所としての機能もあった故に全国各地で此の光景は見られるはずじゃ!」

【国会議事堂と名古屋だけ?聖地として有名な役所】
此の大理石は国会議事堂の余材を再利用しており、名古屋市役所と国会議事堂だけの特別な石である。
慶次「石垣を自慢とする名古屋城と共に役所も石が自慢であるぞ! 此処は市役所だで誰でも入城が叶う」
此の写し絵は入口で映画・ドラマのロケ地なるものでもよく利用されておる! 貴賓室や屋上には入れぬ故にそこは注意致せ!

(「虎に翼」という有名な作品も此処で撮影しており、その証が展示されておるぞ!)
さぁ役所を下城し向かうは名古屋城築城の拠点ともなったあの聖地である!

【桜天神社は加藤清正の拠点!】
役所から南に下り外堀を抜け“久屋大通”まで参る隣が丸の内である。儂は徒歩で参ったが凡そ15分程歩くと考えるが良い!
辿り着いたが此の桜天神社である!
元々那古野城時代に織田信秀様が菅原道真様を信仰しており城内に祠を設けたのが始まり! それが1538年に現在地に移したのじゃ! この辺りは当時桜の名所であり、境内に桜の大樹があった故に桜天神社と命名された!
1599年福島正則が制礼を建て、名古屋城築城の際には加藤清正が本陣として築城の指揮をとり、井戸を掘り愛飲した! 名古屋三名水の一つに数えられる!
慶次「清正は大天守の土台にも井戸を掘ってその清水が評価された! 清正は水の神様なのやもしれん。」
御利益もどえりゃー神社であるぞ!

願の水の牛と呼ばれし石像が見えるであろう。これに年の数だけ柄杓で水をかけて願い事をすれば
“願い事が叶う”と言われておる!
慶次「儂の場合は483歳だで…大変じゃ。」
※10歳以上は10年を1歳として加える!
学問の神、菅原道真様の御利益故に殆どが受験の勝戦祈願であった!

儂も御先祖様に参拝。文化人としてより一層活躍したく願い申した!
して、此処から当時城下町で人々の憩いの場になっておった大須に参る!
(すぐ目の間に丸の内駅→大須観音駅)10分ばかしであるぞ!

【国宝古事記の聖地!大須観音と名古屋城】
大須と申せば此方! 大須観音である。名古屋城とも関りが実は深くてのう。大須観音は当時美濃国は岐阜県に真福寺と名を申して鎮座しておった!
そこで、名古屋城築城の際に徳川様が水害があった際に真福寺が危険であると考え名古屋に移築したわけじゃ! 明治時代に大須大火の被害となり本堂等は焼失したが再建され申した! じゃが、昭和の時代に名古屋空襲によって再び焼失。当時は五重塔も存在したがこちらは再建されず。
して、現存する日ノ本最古の古事記の写本を所蔵するのが大須観音である! こちらは国宝指定!
慶次「多くの者が大須商店街で観光して参拝が出来る故に、大変な賑わいでも有名な大須観音。正に徳川様が移築を命じて此処に築いたのは正解であった! 流石征夷大将軍也!」

【芸の町名古屋】
大須観音のすぐ傍には“大須演芸場”があり申す! 此処は芸どころ名古屋を現在も発信し続ける演芸の地。月初めの週は定期公演を行っており伝統芸能落語や講談、漫才等が楽しめる!
大須という土地は嘗ては、芝居小屋も多く大変な賑わいを見せた土地。よく武士達が仕事を放棄して遊びに来ておったそうじゃ! 戦後の名古屋で唯一寄席として機能しておったと言っても過言ではない! 現在も芸を発信してその歴史を語る貴重な場所である!
慶次「儂も立った事が御座るし講談の真似事もやったのう! 情景が見事だで皆も武士の休日を味わう為に行ってみよ!」
更に大須を歩けば

食べ歩きにも誂え向き!
団子は名古屋らしく5本刺さっており値段も手頃! 大須商店街は嘗ての賑わいに匹敵する。
現在は衣・食・絡繰り販売を始めサブカルチャー呼ばれし文化が盛り上がっており目的が無くとも楽しめる要素が満載ぞ!!

【名古屋城と共に移転した万松寺】
織田家の菩提寺として建てられた万松寺は、先程参った桜天神社の辺りに御座った! 創建時の坪数は15000坪!? どえりゃー広い寺であったわけじゃ。徳川家康様が織田家の人質時代は万松寺で過ごしておる!
また、他と同様であるが名古屋城築城の際に徳川様の命で現在地に移転された。
現在は信長様を模したからくり人形の幸若舞が見られたりと参拝以外の客人も多く訪れる場所となっておる!
斯様に寺社巡りが楽しめるのが名古屋城城下町である! 歴史溢れる町を歩きながら巡れるのは名古屋の強み。最後に腹が減った故に縁起の良い名古屋めしを皆には食べてもらおう!

【勝ちめし!味噌カツで戦に勝つ!】
名古屋名物の代表格でもある味噌カツである。此れは“矢場とん”殿の「わらじとんかつ」である!
矢場とん殿は名古屋市内に多く店を構えておる故に近くの店を訪れると良かろう。
因みに儂は「ラシック」殿の高層階に構える矢場とん殿に訪れた! 天守級の高さで食べる味噌カツは絶品である!
慶次「わらじとんかつは見ての通り、草鞋に匹敵する肉の大きさが見所! 揚げ立てのカツは歯ごたえも良く、自慢の甘さある味噌だれで米が進む!儂は米のおかわりを申し出たくらいじゃ! 腹ごしらえして戦に勝つ気が高まって来たわ!」
矢場とん殿は1947年創業の老舗として地元で愛されておる。皆も名古屋めしで名古屋を余す事なく楽しんでちょ!!
【まとめ】
城びと連載一回目に紹介した名古屋城は月日が経ち、新たな見所を皆に知ってもらえたはずじゃ。無論本丸御殿は日ノ本最強の御殿である故に説明要らずであろう。今後も石垣の積み直しも一部が2026年に完成する予定。毎年姿が変わるのが名古屋城の面白さでもあろうぞ!
此度は城下町も案内し城巡りは街歩きの面白さもある。そこには城との密接な関係も多々存在するのじゃ! 天下三名城の一角名古屋城は、城下町まで広く楽しんでちょーよ! 儂はいつでも名古屋城で待っておるで!
次回の記事も楽しみにしてちょ!
以上
名古屋おもてなし武将隊
天下御免ノ傾奇者 名古屋城検定名誉顧問 城びと連載人
前田慶次郎利益
凸伝令
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▶「【第25回】凸名古屋城」前編
執筆・写真/前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)