2025/03/04
前田慶次の自腹でお城めぐり 【第24回】凸大阪城 後編~鏡石と天守の真実~
お城に関する豊富な知識を持つ前田慶次様(名古屋おもてなし武将隊®)が、全国のお城を実際にめぐりながら歴史・特徴・魅力を解説する人気連載。今回は大阪城(大阪府大阪市)の後編です。見どころしかない大阪城、連載3回目にしても回り切れない!そして気になる天守の「男前田度」は?!
皆の衆、我こそは名古屋おもてなし武将隊天下御免ノ傾奇者前田慶次である。
此度(こたび)城びとと同盟を結び、此の前田慶次が連載を持つ事と相成った。
先ずは、名乗りを上げよう。

演武といったパフォーマンスなるものを披露し、電波放送戦(テレビ)は常戦番組(レギュラー)持ち、全国各地に遠征を繰り広げる。
結成十六年目を迎え、全国の武将隊の先駆けとして日ノ本を代表とする武将隊である。
して、儂前田慶次は現世に蘇り歴史の語り部として多くの戦に出陣して参った。
伝統芸能を伝える舞台出陣、歴史学者との対談、寺子屋(学校)での歴史授業。
名古屋城検定名誉顧問に叙任され、検定過去最高得点を叩き出す。
日本城郭検定にも挑戦し合格。
日ノ本が誇る歴史文化をより多くの者に伝えるべく、城びとでの連載を始める次第。
題して

【前田慶次の自腹でお城めぐり】
他の連載と何が違うのか!?
・現世に生きる戦国武将自らが感じたことを紹介!
・傾奇者による城郭魅力度数値化!
・城巡りの手引書(案内)となる!
・地域の特色を織り交ぜ、観光が楽しくなる!
・イケメン(前田慶次)が見られる!
・要点を抑えた紹介!
・兎に角分かりやすい!
全国の城に直接己が足で出向き、城の見方、歴史を伝え、
其の城の傾き所(見所)や天守閣、男前田度(イケメン)を前田慶次の独断で評価する。
歴史初心者から玄人まで楽しめる、国宝連載となっておる。
ただ城を巡るのではなく! 儂の金子(金)で城に登城する。つまり限られた金子で巡る
旅の道中劇にも注目してもらいたい!!
また巡り方については、王道の道順を歩む故に参考にすると良い。
凸大阪城(大阪府) 城郭の魅力度を数値化

復興天守として文化財!5重8階天守の秘密とは!?

【基本情報】
城郭構造:平城
主な築城者:豊臣秀吉、徳川家、石山本願寺
主な改修者:豊臣家、徳川家
築城年:1583年(豊臣秀吉時代) 1620年(徳川時代(寛永期))
廃城:1868年(明治元年)
主な指定文化財:重要文化財、特別史跡
【歴史】
■戦国最強の石山本願寺の拠点!?
大阪城の地は室町時代から安土桃山時代初期にかけては浄土真宗の寺院である石山本願寺が拠点としていた! 当時は大坂御坊や石山御坊と呼ばれておった! 堀や土塁で防御を固め、見た目は城同然であった! 戦国時代の一大勢力を誇ったが、1580年石山合戦(織田信長との戦い)で本願寺の住職である顕如が明け渡し石山本願寺の時代は終りを迎える。
■織田信長も注目した土地!
大阪城と申せば、豊臣秀吉様の印象を抱く者も多かろう。然し、秀吉の主君織田信長様が本願寺から奪い取った後に信長様は西日本を抑えるのにこの土地に注目され巨大城郭築城を決められていた! 安土の城も築城された丹羽長秀様がこの地を守備を任せられていたのは、築城を考えての行動であったやもしれんのう。
■豊臣秀吉の大阪城は大願であるが居城は短い?
1583年に豊臣大阪城築城開始! 奉行には築城の名手黒田官兵衛孝高が担当し10年以上の歳月をかけて水上都市大阪城は完成した! 秀吉様は1586年には聚楽弟、後に伏見城も築城され居を移されているが、現世では滅んだ豊臣家を神格化したせいか大阪城が政権の中心のように見えがちである。
■徳川家が築いた日本一の大阪城
戦国最期の決戦大坂の陣を経て豊臣家が滅亡し徳川家が大阪城を手にする。1620年天下の大号令で大阪城は大改修される。現在の大阪城へと生まれ変わるのじゃ! 普請だけで10年近く年月をかけて日本一の高石垣と巨石を築いた!
■重兵器を生産!復興天守第一号!
明治時代陸軍の所轄地となり、巨大城郭大阪城の広さを活かして大砲、車両等の重火器を生産する大阪砲兵工廠が造られる。アジア最大の軍事用工場として名を馳せる! 故に太平洋戦争ではアメリカ国から攻撃対象となってしまう。昭和6年1931年には復興天守が完成し全国初、復興天守第一号である! 現在は文化財指定も受けておる!

(※“大阪”“大坂”表記は正式名称に基づいて表記しております。大坂城時代の話でも現在大阪城表記のため大阪城としています。)
【天守入城して参る前に、大阪城天守男前田度は…】

慶次「まだ推し量らぬぞ!!」
常に天守前に来て男前田度(イケメン指数)を計っておるが、此度は大阪城の天守内部にも潜入し再建された秘話を知らねば計れぬと思うた故に、最後に発表致す!
慶次「美味しい食べ物は最後に取っておく方式で参ろうか此度は! つまり実に面白い天守話というわけじゃ! 期待致せ!」
天守の昔について伝える
大阪城は、羽柴秀吉様が城主となるまでは壮大な天守は存在せず、1599年秀吉様が築かれた5層6階地下2階の8階建ては当時最大の望楼型天守であった!
無論傾奇者でもある秀吉様らしく金鯱も飾るだけでなく、軒丸瓦、飾瓦等に黄金を装飾し黄金が映えるように壁を黒漆塗にしておったのじゃ! また、世の全ての者が圧倒される見た目の最大の特徴は朝廷から許しを得た菊・桐紋を大きくあしらった! 世は【三国無双の城】と評する程常軌を逸した天守であった!
慶次「簡単に紹介したが、此れを読む者はゾクゾクしたであろう?」
そして、大坂の陣を経て徳川家が造り直したのは有名な話。此れ迄の記事でも案内したが、時の将軍徳川秀忠(2代目)は豊臣家時代の倍の大きさにしよ!と1619年命じ、10年掛けて堀と石垣が日本一となった! 天守は5層5階地階1階総塗籠の白漆喰で58mという巨大天守へと生まれ変わった。
因みに秀吉様時代の天守は40m程とされる! 江戸時代に落雷、火災で天守は焼失となる。
現在は合わせ技か? では、内部に参るぞ!!


現在5層8階58mからの眺めは如何であるか? 徳川再建時代と同じ高さで復興された現天守は平城としては日ノ本最高の高さである! 故に多くの民は異国からの物見遊山者も多く廻縁はごった返しておったわ!

【此の鶴絵はまさかの…】
慶次「最上階に見事な鶴が描かれておる! どことなく戦国の世の雰囲気が伝わるであろう? 此れは豊臣家時代の天守最上階に描かれておった鶴を再現したものとなっておる!」
史料は何処に?と思うであろう!
“大坂夏の陣図屏風”という福岡藩黒田家伝来の重要文化財に指定される作品に描かれておるのじゃ!
当時を伝える貴重な作品となっておる。
慶次「徳川家再建の天守の見た目と思うたが、豊臣家時代の天守なのか!? 見逃すであろうが、細部まで拘りがあるのが良き哉」

(なにわ風景:障壁画で嘗ての姿が見られる)

【最恐の3重櫓】
嘗ての大阪城は3重櫓が13基!?も存在したそうじゃ! 日ノ本で最も多くあったであろう!
3重櫓は通常で考えれば大天守と等しい。つまり10基以上の天守級を備える堅牢な城!!
慶次「攻める気骨のある武士おったらば紹介してくれるか?」

7階は秀吉様が豊臣を賜る以前の歴史について。大阪城は石山本願寺が拠点とした当時の状況もよう分かり申すぞ!
6階は回廊となっており立入は禁じられておる!
続いて

(大坂の陣の陣形)


5階は大坂の陣についての展示がされておる! 儂が指しておる絵は我が甥にして大将を務めた前田利常である! 現世でも有名な大坂冬の陣にて真田丸を築いて前線守備で活躍した真田幸村に敗れたのが、前田家じゃ!!!!!!これ以上は何も申さん!!
此の階で注目して欲しいのが

こちら!!
豊臣大阪城時代の本町橋周辺総構堀である! 大坂の陣の逸話としては儂が好きな話が此処なんじゃ! 皆、塙団右衛門という武士知っておるか? 浪人として豊臣方として戦うが、現世の名刺配りを最初にした男である! 名を残す為に行ったわけじゃが、団右衛門が戦った(夜討ちを仕掛けた)のがこの場所なんじゃ!
大河ドラマ「真田丸」で大きく取り上げられた故に機会あらば見るとより楽しめるぞ!

内部の見所は格天井に造りに加え朱色の高欄が内部にあり、見た事もない装飾性に儂も驚いたわ!
3.4階は企画展示をしており展示物も入れ替えを定期的にしておるようじゃ!
慶次「黄金の茶室の原寸大模型があり皆の心も天下人になれるであろう! ワッハハハハハハ」
続いては2階ぞ!

【金鯱と虎の壁画は何と…】
金鯱は8階から覗く事が出来るが此方は同じものとなる! 目の前だで分かり易いわな。大阪城には金鯱が多く取り付けられておるのも特徴の一つである!
して、此の虎の壁画であるが此れは豊臣大阪城時代上層に飾られておった虎の壁画の原寸大複製となる! 先に紹介した鶴の絵と同じく虎の絵も飾ってあったとされておるのじゃ!
見学だけでなく体験もできるのが大阪城!
有名武将の兜、陣羽織の試着体験が叶う! 異国の者がどえりゃー列成しておったぞ!

儂も秀吉様の“一の谷馬藺兜”を抱えて一枚写したぞ!
慶次「絵になるじゃろー! ワッハハハハハハ! 民の皆は被れる故に体験してちょ!」

徳川と豊臣の城の違いが図で分かりやすくなっておるぞ! 埋め立て盛土の様子見ると、驚くじゃろう!?

1階では土産処があり儂の所望する“登閣証”(御城印)も此方で買えるぞ!! 城巡りの者達は忘れるでないぞ!!
天守を下城し次は…

【重要文化財 金明水井戸屋形とは】
天守から移動する前に小天守台に御座る此の井戸屋形であるが、天守焼失の時に焼失を逃れた奇跡の建物である! 故に現在は重要文化財に指定されておる。
此の井戸は水面まで33mあり、井戸は徳川幕府が再建時に造ったものである。井戸が1624年、屋形は1626年創建也! 因みに、綺麗な水が未だに湧いておるそうじゃ!
慶次「間違っても汲むでないぞ!!」
本丸には見所がえりゃーあるぞ!

蛸石 高さ5.5m、横幅11.7m!※前田慶次背丈六尺(182㎝)

【日ノ本最大の巨石、蛸石】
本丸の虎口桜門枡形に日ノ本一の鏡石である蛸石が遂に儂の目の前に!
慶次「噂で聞いておったが…噂以上に感じる鏡石。流石の儂も此れには口が開いたままであった。」
表面積が36畳の重さ108トンとな…。規格外じゃな。
驚きなのは、鏡石大きさ全国番付で1~3位を岡山藩、池田家が担当という事実!
1位の蛸石、2位が肥後石、3位が振袖石、すべて担当したのは、岡山藩“池田忠雄”(池田輝政の息子)じゃ!
慶次「尾張荒子生まれの池田家が天下一ぞ! 実質名古屋築城術が日ノ本一じゃな!」
また、模様にも注目して欲しい!
“蛸石”の名は蛸のように見える事が由来! 雨降った日が一番分かり易いぞ!
更に目の前には

桜門

【完成された高麗門、桜門(重要文化財)は海外の…】
桜門は豊臣時代に此の辺りに桜並木があった故に“桜門”という名が付いた! 現在は1887年に左右の土塀と共に再建されたものが現存しており重要文化財に指定されておる!
見所は“高麗門”が完成形という点じゃ! 黒漆塗総鉄板という防御性も腐食性にも長けた最先端の門である! 扉の角の金具は聞けば“イギリス国”から輸入されたものを使用しておるとか!
日ノ本の城郭でまさかのヨーロッパ産があるとは、傾いておるぞこれは!

内堀の壮大さと石垣の切込接ぎの布積みは圧巻である!
二の丸へ参る!

【豊国神社】
秀吉様を祀るが豊国神社であるが、大阪城内にもあり申す。儂も秀吉様に御挨拶じゃ!
明治天皇様より1879年建立され1961年にこの地に遷座され申した! 秀吉様の像は2007年に復元された故に更なる輝きを感じるよのう。
慶次「出世運を始め皆も祈願しに参るんじゃぞ!」

【〇〇番櫓とは】
“六番櫓”見に参りたかったが、修繕中の為に近寄う寄れず…無念。
大阪城には六番櫓の如く一番~七番まで櫓があり、何れも規模感は同程度である! 1628年に六番櫓は創建され重要文化財に指定されておる!
【大阪城以前は石山本願寺の拠点】
何度か案内しておる、大阪城築城以前は石山本願寺の拠点であった此の土地を伝える碑が六番櫓近くにあり申す! このまま“西の丸庭園”に参りたかったが…儂が時を掛けて堪能しすぎた故に刻が無く参れず…。皆の者儂の代わりに行ってちょ。
続いては三之丸へ向かう。

【巨大櫓門(多聞櫓)は最大級】
二の丸から三の丸への虎口部分は巨大な櫓門であり、続櫓にもなっており多聞櫓形式となる。1848年に再建された! 現存する多聞櫓では日ノ本最大となっておる! 高さ14.7m内部は70畳の広さ故に多くの武器等、兵を配置可能とし窓も多く攻守の高さい驚く! 最強の多聞櫓大阪城に在り!
国の重要文化財指定である。

大手門

狭間

【大手門と千貫櫓! 天下人が欲した!】
桜門と同様に高麗門造りで先の巨大多聞櫓と合わせて枡形門造りとなっておる! 格式の高さに奮えて来るのう。1628年創建で両端の土塀合わせて重要文化財指定である。
大手門枡形部分の石垣は肥後藩、加藤忠宏(加藤清正の息子)が担当しており池田家の次に大きな鏡石を築城しておる! 後に改修を久留米藩有馬家が担当! また、此処の見所は土塀と石垣の合間に穴が空いており“狭間”となっておる! 内側が如何になっておるかは自身の目で確認せよ!!
ほいで、奥に見える二重櫓の名は“千貫櫓”と申す! 石山本願寺と織田勢が戦っておる時分は石山合戦時に織田軍が横矢で苦しめられた故に信長様が「アレを落とした者には千貫分の銭をやろう!」と仰った逸話は有名!
現在のは1620年に小堀遠州設計の元築城されたもので城内では乾櫓に次ぐ古き建物で重要文化財である! つまり、徳川時代に再建されたものになる!

【どえりゃー映える南外堀】
三の丸の南側を歩むと、えりゃー景観が圧巻なのがこちら“南外堀”である! 斯様な堀の大きさに驚くであろう? 前田家の堀の次に良いな! ワッハハハハハ(前編読むが良い)と申すが前田家も此方担当しており57家で築城された大掛かりな堀である。
幅は広い箇所で75m、石垣の総延長は約2km!!(西外堀150mで最長となっておる。これまた刻許さず見れず…無念)
南外堀の水は徳川時代から湧き水で築き上げられておる! 現在は下水処理場から送られておる。
手前に見えるが六番櫓であり、現在は御座らんが隅には〇番櫓が連なっておったわけじゃ! 屏風折れの如く石垣に出っ張りを築きあげ銃火器の恐ろしさを感じるのう。
此処は写し絵が撮り易いように拓いておった故に皆も撮ってちょ!
さぁという事で全て回り切れなかったのが悔しいが、それが大阪城の魅力である!(広いし見るとこだらけ!)
此処で待たせたのう! 天守の男前田度を発表致す!!

99点
大阪城天守男前田度(イケメン指数)は脅威の99点! なれども気持ちは満点100点を贈りたい!
先ず、先述した豊臣家時代の天守の要素を入れ(上層の壁画)、徳川家時代の要素を掛け合わせた天守というのが傾いておるではないか! どこの城も“此の時代”と区切って再建、復元するが両方入れるとは面白い! また、復興天守としては日ノ本初!という偉業であり築90年故に復興天守も重要文化財に指定される貴重な面構え也! ほいで高さ58mという日ノ本一を誇り、背が高いのはイケメンの定番要素! 金鯱が多いという現世のハイブランドアクセサリーなるものに匹敵するであろう! その装飾性に負けぬ城漆喰の外観と重厚感が派手な面構えと言えよう! 正に儂前田慶次!
故に100点と申したいが、この先此れを超える天守に儂は出会うという期待から1点引いて99点!
えりゃー歩いた故に腹も減ったからのう大阪の美味い物食いに参るぞ!!


大坂の玄関口大阪駅目の前にある阪神梅田店に参った!
穴蔵は地下1階にスナックパークという飯処がある! 此処にはお得な大阪名物が数多あると聞き食して参る!

“お好み焼きフクさん”

“元祖ちょぼ焼き本舖”
たこ焼きの先祖と呼ばれるちょぼ焼きとお好み焼きを頂き申した! ちょぼ焼きの素材はこんにゃく、ねぎ、しょうが、天かすで作られる粉ものに候。大正時代に誕生し駄菓子屋等におやつとして人気を博す!
見た目はたこ焼き?であるが、美味いしおやつとして人気を博したのがよう分かる。お好み焼きは米と共に食うという戦国時代で考えれば贅沢の極み! 米に合うのじゃな!
腹も満たし儂は尾張へ帰陣致した!
皆如何であったか? 大阪城の魅力伝わったかのう? 天下人である織田、豊臣、徳川全員が関わる城であり、現在もその姿を楽しめるだけでなく日本一の要素も多い故に初心者も興奮するじゃろうな! 何より広く、儂も全て見る事が叶わなんだ!! 皆は刻を十分に確保し登城するが良いぞ!!
次回の記事も楽しみにしてちょ!
以上
名古屋おもてなし武将隊
天下御免ノ傾奇者 名古屋城検定名誉顧問 城びと連載人
前田慶次郎利益
凸伝令
その他の連載もお楽しみください!
執筆・写真/前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)