前田慶次の自腹でお城めぐり 【第23回】凸松本城 後編~戦乱と泰平を伝える城~

お城に関する豊富な知識を持つ前田慶次様(名古屋おもてなし武将隊®)が、全国のお城を実際にめぐりながら歴史・特徴・魅力を解説する人気連載。今回は、現存12天守にして国宝5城でもある松本城(長野県松本市)の後編です。

皆の衆、我こそは名古屋おもてなし武将隊天下御免ノ傾奇者前田慶次である。

此度(こたび)城びとと同盟を結び、此の前田慶次が連載を持つ事と相成った。
先ずは、名乗りを上げよう。

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

前田慶次齢四八十三歳。戦国の世では天下御免ノ傾奇者として名を馳せ申した。現世に蘇りは名古屋おもてなし武将隊の一角として、名古屋城を拠点に名古屋を世界一の観光都市にせんが為、日々戦働きに勤しむ。

演武といったパフォーマンスなるものを披露し、電波放送戦(テレビやラジオ)は常戦番組(レギュラー)持ち、全国各地に遠征を繰り広げる。
結成十六年目を迎え、全国の武将隊の先駆けとして日ノ本を代表とする武将隊である。
して、儂前田慶次は現世に蘇り歴史の語り部として多くの戦に出陣して参った。

伝統芸能を伝える舞台出陣、歴史学者との対談、寺子屋(学校)での歴史授業。
名古屋城検定名誉顧問に叙任され、検定過去最高得点を叩き出す。
日本城郭検定にも挑戦し合格。
日ノ本が誇る歴史文化をより多くの者に伝えるべく、城びとでの連載を始める次第。

題して
 
前田慶次の自腹でお城めぐり、犬山城

【前田慶次の自腹でお城めぐり】

他の連載と何が違うのか!?

・現世に生きる戦国武将自らが感じたことを紹介!
・傾奇者による城郭魅力度数値化!
・城巡りの手引書(案内)となる!
・地域の特色を織り交ぜ、観光が楽しくなる!
・イケメン(前田慶次)が見れる!
・要点を抑えた紹介!
・兎に角分かりやすい!

全国の城に直接己が足で出向き、城の見方、歴史を伝え、
其の城の傾き所(見所)や天守閣、男前田度(イケメン)を前田慶次の独断で評価する。
歴史初心者から玄人まで楽しめる、国宝連載となっておる。

ただ城を巡るのではなく! 儂の金子(金)で城に登城する。つまり限られた金子で巡る
旅の道中劇にも注目してもらいたい!!
また巡り方については、王道の道順を歩む故に参考にすると良い。

松本城(長野県) 城郭の魅力度を数値化

 
前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

現存最古の5重6階天守は圧巻! 

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

【基本情報】

城郭構造:平城
主な築城者:島立氏、石川数正、康長(父子)
主な改修者:武田家(馬場信房)、松平直政
築城年:永正元年(1504)(深志城=前身の城) 天正10年(1582)(松本城と改名)
廃城:明治4年(1871)
主な指定文化財:国宝 国の史跡

【歴史】

■戦国最強武田が32年も支配した前身深志城!
信濃を支配した小笠原氏は、本城である林城の支城として永正元年(1504)松本城の前身の城である深志城が小笠原氏の命によって家臣島立氏が築城! その後、戦国最強と謳われた武田信玄が侵攻してきて、城を奪取! 信濃支配の拠点として深志城を選び、築城名手馬場信房に改修させる!

■松本城は混乱の中で誕生?我が主君のお陰!
武田家は織田信長によって滅亡。旧城主小笠原氏は、我が主君上杉景勝を頼り天正10年(1582)「本能寺の変」の動乱に乗じて奪還! 深志城を松本城と名を改める!

■秀吉の命令!家康対策で改修したのは旧家臣!?
天正18年(1590)羽柴秀吉が天下統一を果たす。好敵手徳川家康は関東に移封され、松本城城主小笠原氏は家康に従い、関東は下総へ移る。これに代わり入城したのが、嘗て家康の右腕として活躍した石川数正と子、康長であった! 城と城下町を大改修して近世城郭の基礎を築いた。秀吉が家康を意識したのであろう。

■再び小笠原氏が入城。然し…
江戸時代に突入し石川氏に代わり、旧城主であった小笠原氏が再び入城! 然し、大坂の陣以降は松平氏が入城し今の松本城へ改修する!

■天守が傾く?現代の困難を乗り越えて…国宝!
明治時代廃城令に伴い、天守が競売にかけられ解体の危機。それを地元の有力者達が破却を延期させた! それに留まらず、天守で博覧会を開きその収益で天守を購入し城を保護した! 明治30年(1897)頃には、天守が大きく傾き危機であったが、修理費の寄付金を募り明治の大修理を行う!
昭和5年(1930)国の史跡に指定。昭和11年(1936)天守を始め5棟が国宝に指定される!

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊


前田慶次,名古屋おもてなし武将隊
 

 【本丸御殿は…】

櫓門が実質名古屋城と分かり大興奮の儂の士気を更に盛り立てのが本丸!!
(本丸=昔は主郭とも申して城の中で最も重要な曲輪は区画。天守の多くは本丸に建つ!)
ご覧の通り天守が見え、周りの物見遊山者(観光客)も写真をバシャバシャ写して景観が良い!

慶次「それだけで楽しむのは勿体ない! 天守の目の前に注目じゃ! 何じゃ此の田畑の様なものは…?」

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

瓦で柵も築き区画割が見られる。
此の仕切りをしてある内側が”本丸御殿”であったそうじゃ!

慶次「地上目線じゃと分かり辛い故に天守に登って上から見ると分かり易いぞ!」

本丸御殿詳細
・建物5棟 ・830坪 ・60を超える部屋数 ・御殿周りには塀 ・天守と同時期に築城
・能舞台、大広間完備 ・中庭付き

見所部分を取り上げ申した!
他にも家臣達の執務する間や軍議・接客をする間、城主の私的空間があり機能的にも申し分ない御殿であったのが分かる!

慶次「能舞台があり鑑賞ができるのは良いな。城主が数寄者であった事が分かる!公務接客にて鑑賞をよくしたのであろう。現世でも斯様な文化がまだあると聞くが、城の中にあるのは驚くであろう?また、時計ノ間があり和時計を設置して太鼓楼に報せる役割があったと見る!」

二の丸御殿も松本城にはある故に、どのような違いがあるのか後ほど参ろうではないか!

もう一つ大事なことがある。
松本城本丸の秘密…湿地帯であるということじゃ!
更に驚くべきことは本丸だけでなく、松本城全体が湿地帯!!
故に地盤が安定し辛い。そこで松の木を枕木にして城の奥底に埋めておる!

慶次「この土地柄性と工夫は名古屋城も然り。湿地帯は建物も沈みやすいからこそ城造りが難儀するのじゃ!では、天守へ参ろう!」

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

【縁の下の力持ち!?天守台】

天守に入城する前に土台となる石垣にも注目致そう。※現在はご覧の通り、修繕作業も行っておる。
天守台築城は文禄年間(1593-1594)ではないかと考えられておる。つまり石川父子時代に築城したされたもので、土台は松の木。筏状に並べ地面や石垣が崩れぬようにし土台柱となるのも松の木である。その数何と16本の柱が天守の重さを均等に受け支えておる!(※昭和期に鉄筋コンクリート製の柱に変えたそうじゃ。耐震の考えての策!)
石垣は野面積みで築城時の状態で積み替えは行っておらんと!(※修繕はしておる)
四隅は算木積みとなっており、完成形ではないが当時の最先端の築城技術で積まれた事が分かる!

慶次「秀吉様が徳川軍に対して警戒していたのが、築城術から伝わって来るのう!」

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

【松本城天守男前田度(イケメン)発表!】


98点‼
松本城天守は戦国期と泰平期を織り交ぜた全国でも唯一無二の男前な外観! 櫓を備え小天守を渡櫓で連結した”連結複合式天守”は其の貴重な見た目は壁も必見! 下部は柿渋で仕上げた下見板張りは黒く武骨な男らしさを感じさせ上部は白漆喰仕上げの二刀流!
して、後に改修し増築した月見櫓(※写真は工事中)は高欄を備え朱色が全体の姿を差し色で武家と公家文化の融合の様にも感じさせる! 正に現世で申せば異国の血との混血、即ちハーフ顔の美麗な容姿である! 
更に天守内部は望楼型の構造なれども外側は層塔型天守のようである。此れには儂も驚いたわ! 時代で見ても此の造りはそうとう早く誕生しておる層塔だけに! ワッハハハハハハ。貴重性も5重天守の現存は現世で姫路城と松本城のみ。国宝指定も受けておる!
故に比べられぬ此の天守は98点の高得点である! 修繕後ならば儂100点出したやもしれんな! ワッハハハハハハ! 正に顔面国宝は松本城であろう!

では唯一無二の男前田天守の中へいざ、出陣!

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

【天守内部一階】

松本城天守は5重6階である!一階では、いきなり作事中(工事中)!!!
渡櫓で接続された乾小天守には残念乍この日は目にする事が叶わず! 残念至極! 故にまた参る!

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

天守一階の役割は兵糧・弾薬の倉庫として機能させたそうじゃ!

慶次「合戦時にわざわざ上まで登って必要物資は取りに参らんからのう。一階は倉庫機能が多いぞ!」

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

【壁が湾曲!?】

此の写し絵をよく見てちょ!然し、写し絵からでは中々判断し辛いが、壁が湾曲しておるのじゃ!

慶次「1階だけでなく2階も湾曲しておる。実は松本城1.2階は通柱となっており、土台の歪みに合わせて造られた故に湾曲しておる。当時の石垣技術では天守台を矯正するのは出来なんだわけじゃな。儂は細かい事はよう分からんが、城造りはやはり難儀するし巨大天守は色々と課題が出てくるわな!」

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

展示物も多く先に案内した松の木による土台や柱の事についても学べるぞ!

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

【これ使えん狭間だわ!どうなっとんだで!?】

狭間とは城壁に穴を築き弓や鉄砲を放つ防御策の一つ! 松本城天守には115の狭間が設けられておるそうじゃ!
その数には敵も驚くわな! 一斉に100発以上放てるわけだで!

慶次「ん? 此の狭間おかしいのう。“矢狭間“と表記してあるが低すぎる!!此れでは弓がつがえぬ。鉄砲狭間の間違いではないのか!? しかも鉄砲でも目の前に来た奴しか撃てんぞ此れ!!

と騒いでおったらば…

係の者「流石は殿! その通りでございます!

鉄砲が主流となってきて、松本城も900挺以上の鉄砲を備えておったわけじゃ!

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

2階に登ると大きな窓が御座った! 窓は電気も無い我等の時代において採光として重要である!

慶次「此の城にしては窓大きすぎる! しかも幅もある。かなり低い位置まで開かれ…! 此れまた鉄砲撃つ気満々じゃな!!」

係の者「殿流石でございます!」

儂は全てお見通しよぉー!ワッハハハハハハ
して、窓から外の眺めを見たらば不思議なものを見つけた!

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

【捨て瓦】

平瓦が幾つか敷かれておるのを見つけた! 此れは雪がよく降る地域に見られる”捨て瓦”と呼ばれる備えである!

慶次「雪が落ちてきた時に丸瓦が損傷しないように捨て瓦で守っておるわけじゃ! 儂も北陸・東北にも居を構えた故に雪の備えは詳しいぞ!」

2階は松本城自慢の鉄砲が展示してあるぞ! 3、4階は倉庫や御座所となっており
5階は…

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

5階は巨大な千鳥破風の中へ入る事ができる! 破風は装飾であり、このように採光の役割もある! 千鳥破風や入母屋破風は大きい故に空間が生まれて場所によっては鉄砲も撃てるようにしておるぞ!

して、遂に最上階へ参る!

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

慶次「どうじゃー絵になるじゃろ! 6階最上階は物見が為に四方に窓を配置。」

29.4mからの絶景は時を忘れてしまう程見入った! また、現存天守としては高さ2番目でもある故に、当時に想いを馳せると良かろう!

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

【最高位は4階!?】

降りる時に4階に注目すべし。(牛田様:こちら原稿は小見出し横になっておりましたが、システムの都合でこの一文も大文字になってしまうため、改行させていただきました
他の階と違い天井も高く柱も少なく屏風の仕切りがある! 圧倒的に他の階との違いを感じる4階こそが城主が籠城した時に籠る階となっておる! 勿論6階も城主の座所となるが4階が基本使用する場所なのは明白であるな!

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

3階は倉庫となっておる!他と違い天井も低いであろう!

大天守だけではないのが松本城!

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

辰巳附櫓にはご覧の通り展示物が御座るが、それだけで満足してはならんぞ!

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

華頭窓が御座る! 天守を始め城郭建築としては格式の高い窓となっておる! 元は寺社建築に使われていた様式である!

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

【戦う備えが無い平和の象徴】

櫓と申せば、城郭の攻守の要。松本城の月見櫓は戦の為の備えはなく珍らかな櫓となっておる!
将軍徳川家光が宿城として利用する(1634年)為に後から増築されたものである!
然し、道中で落石があり家光は来松する事が無かったと。(将軍来城が為に増築は名古屋城本丸御殿と同じような歴史を持っておる)
月見する為に戸は薄く外せるようになっており、畳敷きであったとか。畳は当時高級品だでな!
現在は修繕中で廻縁も高欄も見られずちと残念であるが、次回の楽しみに取っておく!
此れを読むお主は見られたか!? 高欄は朱色の漆が塗られており見栄えが誠に良い!

天守から下城し本丸にある売店に戻に参る!

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

信濃名物“りんごサイダー”なる飲み物を頂戴する!この日は暑くてのう。
此れ異な飲み物で飲むと喉がシワシワして面白かったぞ! りんごの風味がよく出ており一気に飲んでしもうた!

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

して、城内の何処かしらに我が連載の証“城びと共闘シール”を貼らせてもらった!
読者の皆は隠れ前田慶次と思い探してみてちょ!!

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

売店の隣である松本城管理事務所にて御城印を購入! 皆も忘れずに手にしておけのう!

さぁ此処からは搦手方面に向かうとするぞ!
一度黒門を抜け二の丸へ戻り搦手(裏手)へ!

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

【内堀の水堀】

水堀が印象的な松本城! 思わず手に持つ名物りんごサイダーと共に写し絵をパシャリと。

慶次「うむ。松本市の広告になれんか儂!? ワッハハハハハハ儂を城主にする声待っておるぞ!」

して。
此の水堀(内堀)気になるはずじゃ。

慶次「随分と浅い…。此れでは微力な足止め程度にしかならんぞ。されど、天守を始め建物との距離は確実に鉄砲意識の様に感じるのう」

どうやら堀は土砂などで埋まってしまって浅くなったようじゃ。ほいで堀は天守まで約60mの距離でぎりぎり火縄銃で狙撃できる距離になっておる!

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

【珍らかな造り】

北面には橋が掛けられておる。此れは“埋見橋”と申して1955年に掛けられた! 朱色の高欄が取り付けられており月見櫓の雰囲気に合わせたのではなかろうか? 埋見門は脱出の為に石垣の中に築かれる事が多く斯様な派手な橋で連結させたらば、目立って逃げられんわな! ワッハハハハハハ

慶次「現世でえりゃー人気の箇所となっておるし、儂も渡りたかったが生憎、橋も修繕中であった!ワッハハハハハハ」

して、此処から儂は観光案内所で手にした古地図記載の地図を頼りに北側の馬出を探しに参る!

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

【城と神社は密接】

二の丸を出て北に歩むと直ぐに松本神社が御座る!
嘗て、此処は“五社”と呼ばれていたが、松本城二の丸西北に鎮座していた若宮八幡宮と一緒になり松本神社と名を改めた! 松本藩藩主戸田家の先祖を祀っており松本城との歴史が古く現在も親しまれておる!

慶次「神社は城築城以前から鎮座しておる事が大半で戦国期においては城の守り神として城主達が定期に参拝する!」

境内には湧き水が御座り、誰でも利用してよいと! 儂も飲んだが誠に綺麗な水で美味い!
松本の地が水の都であると確信した!(他にも湧き水利用してよい箇所が幾つもあるそうじゃ!)

慶次「因みに、松本という名前であるが為に現世の小町はアイドルの松本殿の家臣が数多参拝にも参るそうじゃ! 嵐殿は我等名古屋おもてなし武将隊と結成日が同じ!11月3日!余談であった…」

古地図によれば松本神社の北側の街道は

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

【周囲の防御網】

北不明門と馬出があったそうじゃ! 周りはご覧の通り住宅街となっておるが、此の街道は道路こそが嘗ての虎口であったからこそ!
北に馬出を構え更に北に進むと現在は開智小学校。
馬出の東側には馬場を築き周囲は総掘にする事で虎口を狭くし侵入を阻む!
その遺構は目では確認できぬが、想像して楽しむのじゃ!
また、此度は巡る事が叶わなかったが、城郭に入る為の虎口は全部5カ所! 大手門は前編で紹介した枡形虎口になっており、他4カ所は此の北側同様に馬出虎口になっておる! 馬出への左右の道はどれも実に狭く作られており大軍での進軍は難儀するであろう! 見事な守備じゃ!
ぐるり周囲の現存する堀を眺めながら東側へ移動!

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

【東の守り太鼓門枡形と鏡石】

東側三の丸から二の丸へ参るには此の太鼓門枡形を通らねばならぬ! 此処が二の丸へ入城する大手門の役割を担っておる!

慶次「現在は堀を埋め立てて三の丸大手門から二の丸へ直接移動できるように整備されておるわけじゃ!」

太鼓門北側台上に鐘や太鼓を備えて、何かあれば鳴らして藩士に報せた!故に太鼓門と名付けられた!
また、大手門としてもの役割があった故に城内で一番大きな石である“鏡石”である玄蕃石を据えてある!

慶次「鏡石はその藩の力の象徴。大きければ大きい程外から参った人間は驚くわけじゃ! 現世でも営業先に出向いて取引先のビルがデカければ驚くであろう。仕事を円滑にする為の牽制でもある!」

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

【二の丸御殿!本丸御殿との違い!】

太鼓門を抜けて北側が二の丸御殿である! 現在は本丸御殿同様に跡となっており、嘗ての図面が建っておる!
二の丸御殿は副政庁であったが、本丸御殿の焼失(1727年)に伴い正政庁となり、後には県庁として使用されたが明治時代(1876年)に焼失した。敷地は約1900坪、建坪は約600坪で部屋数は50程。故に本丸御殿よりもちと狭いが仕様は本丸御殿とほぼ同じとなっておる!

慶次「松本城内の主要箇所を巡り腹も減った故に、松本名物を食すぞ!」

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

【信州手打ちそば こばやし本店】

松本城より南に下り三の丸大手門より東側に店を構える”こばやし”に参った!
風流な店構えに異国の客人も多く訪れておった!

慶次「現世の麺料理は儂も好んでおる故に松本名物楽しみである!」

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

お品書きはご覧の通り!

慶次「儂は“かもせいろ”を頼んだが、天ざるも食べたかったのう!」

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

かもせいろ2200円也!
そばは伝統の手打ちそばを現在も大切にしておるようで、喉越しの良さは天下一品であった! 誠に美味であった! 薬味と黒一味にも拘りを感じ味変も楽しめるとは名古屋めしのようで気に入った!

店内も日ノ本の象徴を重んじる内装で多くの者が心を落ち着かせて一息入れられる良き場所である!

■店情報
所在地:長野県松本市大手3-3-20
https://www.kobayashi-soba.co.jp/

腹も満たした故に名古屋へ帰ろうではないか!

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

松本駅に着陣!

慶次「うむ。歩いたらまた腹が減った! もうちいと松本名物を楽しもう! ワッハハハハハハ」

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

松本駅構内でええ匂いがする! 此の辺り…

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

松本名物“山賊焼”発見じゃ! 所謂唐揚げと呼ばれし美味し食べ物である。
松本に参ってから地元の者が皆総じて「山賊焼食べてみて下さい」と口を揃えておったで帰りの鉄籠内で食べようではないか!!

山賊焼とは鶏もも肉を醬油タレで揚げたからあげである! 地元の“山賊”という居酒屋が始めたとの事でこの名前であるが、愉快なのは揚げておるのに“焼き”なのがええではないか!

量も多く戦ばかしの我等武士に誂え向きな武士めしと言えるであろう!
大満足の松本城めぐりであった!

次は何処の城へ参ろうか! 皆も松本城へ参る際は参考に巡ってみてくれ!

此度の城巡り費用総額15070円

次回の記事も楽しみにしてちょ!

以上
名古屋おもてなし武将隊
天下御免ノ傾奇者 名古屋城検定名誉顧問 城びと連載人
前田慶次郎利益

凸伝令

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執筆・写真/前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)