城をめぐる最新研究|小和田哲男 城をめぐる最新研究 第2回「坂本城の石垣と堀がみつかる」

お城の歴史や造りにおいて長年定説とされてきたことが、新たな研究によって覆されることは珍しくありません。そうした最新研究にスポットライトを当てる、小和田哲男先生の連載講座「城をめぐる最新研究」。第2回でピックアップするのは、今年(2024年)2月に大ニュースになった坂本城の石垣と堀の発掘についてです。

坂本城の石垣と堀の発見の意義

明智光秀が近江琵琶湖畔に築いた坂本城(滋賀県大津市)は、短期間で廃城になってしまったことと、廃城後、開発が急速に進んだことから、遺構がほとんど失われ、長いこと「幻の城」などとよばれてきた。ところが、今年に入って、遺構の一部が姿を現しはじめたのである。この「城びと」でも、かみゆ歴史編集部の滝沢弘康氏による「【現地説明会レポート】世紀の発見!「幻」の坂本城石垣を見た!!(滋賀県大津市)」というタイトルですでに報告されているが、改めて、今回の石垣と堀の発見の意義についてみておきたい。

小和田哲男,連載
出土した坂本城の堀と石垣

坂本城の概要

坂本城は、織田信長が元亀2年(1571)9月に、比叡山延暦寺を焼き討ちしたあと、寺を監視する目的で、麓の坂本に明智光秀に命じて築かせたもので、早くも、その年の12月には築城にかかっている。光秀と親しかった吉田兼見の日記『兼見卿記』によって、坂本城には天主が建てられていたことが知られる。信長の安土城天主より早い。残念ながら、坂本城天主がどのようなものだったのかは史料がなくわからないが、ルイス・フロイスの著わした『日本史』にも、坂本城について、「それは日本人にとって豪壮華麗なもので、信長が安土山に建てたものにつぎ、この明智の城ほど有名なものは天下にないほどであった」と記していることからも想像されるように、安土城に匹敵するものだったと思われる。

これまでの大津市教育委員会による部分的な発掘調査によって、坂本城は本丸が琵琶湖に突き出る形で築かれ、内陸部に二ノ丸、三ノ丸が続く連郭式とよばれる縄張だったことが推定されてきた。たまに、琵琶湖が渇水状態になったとき、本丸の石垣が水面からわずかに顔を出す程度で、石垣列や堀の具体的な様子は謎であった。そのため、「幻の坂本城」などとよばれてきた。

異例の現地説明会参加者数、そして保存へ

ところが、今回、三ノ丸と推定されている一画から石垣と堀 がみつかったのである。もっとも、今回の発掘調査は、遺跡の保存や調査を目的としたものではなかった。むしろ、逆で、宅地開発のための事前調査をしたところ、偶然、石垣と堀にぶつかったというわけである。このような場合、これまでだと、どんなにすごい遺構が出土しても、計画通り、発掘調査が終われば埋め戻され、工事が進められるということになる。

しかし、今回は違っていた。それは、発掘現場の現地説明会に2日間で何と2000名もの見学者が訪れたからである。4年前のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」で坂本城が取り上げられたことも一つの要因かもしれないが、城跡の発掘調査の現地説明会にこれだけの人が集まるというのも注目される事柄である。城に関心を持つ方が増えた結果といってよい。

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出土した坂本城の堀と石垣。別角度から

そして、注目されるのは、このことが行政を動かしたことである。これまで、今回のような場合、開発を前提とした発掘調査は、前述したように、そのまま埋め戻され、計画通り、工事に入るというのが当然といった流れであった。ところが今回、大津市と開発業者が計画変更をして、遺跡として保存することに合意したのである 。

私としては、現地説明会に全国から駆けつけてくれた2000人の方一人ひとりに感謝したいぐらいだし、大津市および開発業者の不動産会社の関係者に敬意を表したいと考えている。そうしたこともあり、私が理事長を務めている公益財団法人日本城郭協会の今年の日本城郭協会大賞で、賞とは別に審査員特別表彰というものを設け、大津市と株式会社三王不動産流通を表彰することになった。市は、今後、坂本城を史跡として保存する方向とのことで喜ばしい限りである。


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執筆/小和田哲男(おわだてつお)
公益財団法人日本城郭協会  理事長
日本中世史、特に戦国時代史研究の第一人者として知られる。1944年生。静岡市出身。1972年、早稲田大学大学院文学研究科 博士課程修了。静岡大学教育学部専任講師、教授などを経て、同大学名誉教授。
著書 『戦国武将の手紙を読む 浮かびあがる人間模様』(中央公論新社、2010)
   『地図でめぐる日本の城』(帝国書院、2023)ほか多数
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