大人も学べる 理文先生のお城がっこう 大人も「お城がっこう」|歴史編 第51回 秀吉の城3(大坂城天守の姿)

豊臣大坂城(大阪府)は大坂夏の陣によって焼け落ち、その後徳川幕府による徳川大坂城築城に際し、完全に地中に埋められてしまいました。発掘調査もほとんど未実施で、前回見たように「詰ノ丸石垣」などほんの少ししか確認されてはいません。シンボルである天守については、外観を伝えるのはわずかな文献と屏風でしかありません。天守台すら確認されていない「幻の城」にもかかわらず、多くの人が豊臣秀吉の城を身近に感じているのは、昭和6年(1931)に「大坂夏の陣図」屏風を参考にして再建された秀吉時代をモデルにした天守閣があるからでしょうか。

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