前回は、久野城の歴史や構造を中心に見てみました。そして、復元時期をどのようして決めたのか、復元するにあたって過去の発掘調査成果について担当者が集まって話し合い、検出遺構の性格やその時代についてすり合わせを実施したこと等を紹介しました。こうした検討により、天正18年(1590)の久野城の姿がほぼ判明したのです。これによって、やっとイラスト作成に移ることができるようになりました。今回は、香川元太郎さんとのやり取りとイラスト完成までをまとめたいと思います。
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