ご当地武将隊のお城ちょこっとガイド 躑躅ヶ崎館の真の出入口は?(躑躅ヶ崎歴史案内隊・山梨県甲府市)

詳しい人と一緒にめぐると、お城の楽しさが何倍にも増すもの。しかも、それが武将によるガイドだったら最高!! ふだんお城をガイドされている武将隊や案内隊の皆さまによる「我らが自慢の城ちょこっとガイド」シリーズが始まります。武将のみなさまが、自慢のお城の魅力やオモシロどころを、ピックアップしてちょいと見せ! 一番槍を飾るのは、「躑躅ヶ崎歴史案内隊(山梨県甲府市)」です。ちなみに、皆さま「躑躅ヶ崎」って、書けますか??(編集部はお手本がないと書けませんでした!)

■躑躅ヶ崎歴史案内人って?

こんにちは。躑躅ヶ崎歴史案内隊(つつじがさきれきしあんないたい)の上田絵馬之助です。
躑躅ヶ崎歴史案内隊は、躑躅ヶ崎館こと史跡・武田氏館跡(現・武田神社)で不定期にボランティアガイドをしているグループです。
無名の武田家臣団が自前の甲冑を身にまとい、楽しくわかりやすくをモットーに、境内に眠る戦国の史跡をご案内しています。

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まずはメンバーのご紹介!

大塚與左衛門(中央):隊の局長。歴史講座の講師を務めるほどの知識を持つ大黒柱。最新研究成果も把握している「努力と学びの人」で、本格的かつ丁寧なガイドは初心者からマニアにまで人気を博している。
弥三郎景政(右から2人目):躑躅ヶ崎歴史案内隊の双璧の一人。子供から大人まで好評を博しています。渋みのある外見と物腰とは裏腹に、オモチャや巻物などのアイテムを駆使するお茶目な人。
新之丞(左端):甘いマスクと高身長の堂々たる武者振りで、躑躅ヶ崎歴史案内隊期待のホープ。硬軟織りまぜながらの親しみやすいガイドが持ち味。
K・マゴイチ(仮名)(右端):ガイド歴が長いのに(仮名)のままのベテラン。地域の観光名所や隠れた名店にも詳しい。
上田絵馬之助(左から2人目):トリを飾るは私こと上田絵馬之助。映画演劇お笑い好きの性で、ガイドはエンタメ重視、「楽しく面白く」が信条。公式Twitterの十割を担当。通称(E)。

■躑躅ヶ崎館って?

「躑躅ヶ崎館」は、戦国大名武田氏の館です。「躑躅」は「つつじ」と読むのですが、館の東側にかつてツツジが多く咲いていたことから「躑躅ヶ崎」と呼ばれる尾根があることに由来しています。読むのも書くのも難しいですよね!
あんまり詳しく書くと、実際にいらしていただいた時のお楽しみが減ってしまうので、ごくごく簡単に躑躅ヶ崎館をご紹介します。

躑躅ヶ崎館(現・武田神社)は永正16年(1519)、甲府盆地の北辺に近いこの地に武田信虎公が居館を築いて以来、信虎公、信玄公こと晴信公、そして勝頼公の三代にわたって、武田家の本拠としてその歴史を支えてきました。のみならず、武田滅亡後も織田・徳川・豊臣と支配者が次々に変わっても、甲府盆地の中央により近い甲府城が完成するまでの間、甲斐国支配の拠点であり続けました。しかし、拠点が甲府城に移ると、躑躅ヶ崎館は廃城され、江戸時代を通じて荒れるに任されました。
とはいえ、信玄公の居館として一定の崇敬は集めていたようで、敷地内に信玄公を祀ったと思われる小祠(しょうし)が残されています。そして明治から大正に至って、信玄公の遺徳を慕う地元の人々の運動によって、ついに大正8年(1919)にこの地に信玄公を祭神とする武田神社が創建され、現在に至ります。

躑躅ヶ崎館,曲輪配置図

城郭としての躑躅ヶ崎館は、正方形状の土塁と堀とに囲まれた主郭部分が守護屋敷として築かれながら、次々に周囲に曲輪に設けて拡張・複雑化して防御力を高めています。建築物が現存してないこともあって一般的なお城のイメージから離れていますが、土塁や堀の東国の城郭の特徴に加え、その中には丸馬出しや桝形虎口といった武田流築城術による防御施設さらには徳川、豊臣の築城技術による石塁などが見られ、戦国時代の実戦的な城郭の特徴が今も残され、あるいは復元されています。

■現在の出入口は○○時代のもの!

ここでひとつ、ガイドのネタをご披露します。
現在、躑躅ヶ崎館の出入口となっている南側の鳥居付近は、鳥居に堀に石段そして壮麗な石垣と境内でもっとも城郭らしさが感じられるスポットです。

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南側出入口。あ、遠くに見えるは我らが局長!

実はこれ、戦国時代のものではありません。
この鳥居口は大正8年(1919)武田神社の創建時に開削されたものでなのです。それまでのメインの出入口は大手門と呼ばれ、現在は駐車場への出入口となっている主郭の東側にあります。

躑躅ヶ崎館は甲府盆地の北辺に所在して、北は山を後背に、東西は川を守りにして、盆地につながる南側に城下町がひろがり、また、攻めてくる敵の侵攻ルートも南からと考えられました。
このため、これに直面する南側に出入口を設けず、あえて東側に迂回させることでより多くのダメージを負わせようとする意図によるものと考えられています。

★躑躅ヶ崎歴史案内隊が推す!ここが見どころ!★

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武田神社東側にある“大手門”と、我が隊大黒柱・大塚與左衛門

大手門のある東側は現在は当時の土塁や豊臣・徳川に改修されたと思われる、出入口を守る大手石塁が整備されています。また、発掘調査によって武田氏時代に設けられた丸馬出の跡が発見されています。
当隊もガイドに気合が入るポイントですので、現地で詳しくご説明します!

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大手門付近に立つ私、絵馬之助。実際に皆さまをご案内したい!

以上、ほんのさわりのさわりですが、躑躅ヶ崎歴史案内隊による紙面ガイドをお届けしました。YouTubeチャンネル(https://www.youtube.com/channel/UCj-lnsj1U20rBNGmRWCDdyg?app=desktop)に動画も掲載していますので、躑躅ヶ崎館の雰囲気を感じてください。
なお、当隊は武田神社様とはいっさい無関係の有志団体なので、活動その他に関するお問い合わせは、神社ではなく当隊のツイッターまでお願いします。

【今回の武将隊 活動データ】
躑躅ヶ崎歴史案内隊
●主な活動場所
躑躅ヶ崎館跡(現武田神社)
●活動日
不定期(主に土日祝)
●在籍メンバー
大塚與左衛門、弥三郎景政、新之丞、K・マゴイチ(仮名)、上田絵馬之助 
●公式SNS
Twitter:https://twitter.com/KoufuSamurais(https://twitter.com/KoufuSamurais
●城びとサイトにある躑躅ヶ崎歴史案内隊の公式アカウント(https://shirobito.jp/user/a1fffddd245175aeafb80365543dc55c

▼全国の武将隊紹介記事:「おもてなしこそ武功なり!」地元を盛り上げる全国の武将隊大特集!(https://shirobito.jp/article/1332

執筆・画像提供/躑躅ヶ崎歴史案内隊

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