超入門! お城セミナー 第108回【歴史】実は危険な城!? 江戸城で起こった刃傷事件

お城に関する素朴な疑問を、初心者向けにわかりやすく解説する連載「超入門! お城セミナー」。今回は江戸城で起こった危険な事件のお話。約260年にわたり政治の中心地であったことから、殺人などの事件とは無縁なイメージがある江戸城。しかし、その城内では血なまぐさい殺傷事件が7度も起こっていました。

江戸城、殺傷事件、忠雄義臣録
江戸城の事件といえば、浅野内匠頭による松の大廊下の刃傷が有名だが、江戸城内では他にも大名・旗本による殺傷事件が起こっていた『忠雄義臣録(ちゅうゆうぎしんろく)』東京都立中央図書館特別文庫室蔵)

太平の象徴なのに…、何度も刃傷事件の舞台となった江戸城

めっきり春めいてきた今日この頃。木々が芽吹き、桜の便りもそろそろ…という、ちょっとウキウキする3月です。でもこの時季は寒暖差などによるストレスで精神のバランスが崩れやすいそうで、このため昔から注意すべき季節として「木の芽時(このめどき)」と呼ばれています。

……そのせいなのかどうなのか、最も警備が厳重でなければならなかった将軍の城・江戸城(東京都)の中で、旧暦3月には有名な刃傷事件が2件起こっているのです。そもそも、季節なんか関係なく、「殿中(将軍のいる所)」として抜刀だけでも厳禁だった江戸城は、城内で何度も刃傷事件が起こった、実はとても物騒な城だったのです。今回は、天下泰平のシンボル・江戸城内で起こった刃傷事件の数々をご紹介します。

幕府を震撼させた二つの刃傷事件

「殿中でござる!」といえば、浄瑠璃や歌舞伎、講談に仕立てられて江戸っ子たちが熱狂した、最も有名な刃傷事件である赤穂事件。かの「忠臣蔵」です。クライマックスの赤穂浪士討ち入りは、現代でも冬の風物詩となっているほど知られる元禄15年(1703)12月14日ですが、浪士たちの主君だった赤穂藩主・浅野長矩(ながのり/※内匠頭は官職名)が殿中で刃傷に及んだのは、元禄14年(1701)3月14日のことでした。この刃傷事件自体は、江戸城本丸御殿内、松の襖絵が描かれた大廊下が現場となったため、松の廊下(刃傷)事件などとも呼ばれています。

江戸城、松の大廊下
事件の現場となった松の大廊下跡。幕府の儀式や行事が行われる大広間に面した廊下で、後に水野忠恒事件(後述)の舞台にもなった

斬り付けられたのは、儀式などの作法を指南する家柄だった高家の旗本・吉良義央(よしひさ、よしなか/※上野介も官職名)。事件当日、江戸城では京からの勅使を接待する儀式が行われており、内匠頭長矩は接待役の一人として詰めていました。長矩に儀式の作法を教えたのが上野介義央でしたが、長矩は松の廊下でいきなり義央に斬りかかったのです。一説に「この間の遺恨覚えたるか!」と声をかけたとも。映画やドラマでは、高慢な義央のイビリに耐えられなくなる長矩の姿が描かれますが、実際は事件後に事情聴取を行ったものの、原因は不明だったようです。

義央は命に関わる傷ではありませんでしたが、将軍・徳川綱吉は激怒。吉良家はお咎めなしでしたが、長矩は即日切腹。播州浅野家も所領没収の上改易となってしまいます。筆頭家老・大石内蔵助以下47名は、赤穂城明け渡し後に身を潜めつつ「打倒吉良」の計画を進め、約1年半後に吉良邸に討ち入り、義央を討って長矩の墓前に首を供えました。浪士達を讃える声も多くありましたが、「徒党を組んで押し込みをはたらいた」彼らの処分は、切腹。でも「斬首」ではなかったことで、彼らの忠義心と世論への配慮がはたらいたということがわかりますね。

赤穂四十七士
吉良邸を襲う赤穂四十七士。彼らの忠義は世間に高く評価され、『仮名手本忠臣蔵』など作品が作られた(『国史画帖大和櫻』より)

もう一つの有名事件は、天明4年(1784)に起こった佐野政言(さのまさこと)事件です。こちらも事件後、斬り付けた側を庶民がやんやと讃えた一件。事件当時、賄賂政治で有名な老中・田沼意次(たぬまおきつぐ)の圧政で庶民は苦しんでいました。3月24日の江戸城内。将軍の警護役である番士の家柄だった旗本・佐野政言は、意次の子で若年寄の意知(おきとも)に「覚えがあろう」と複数回叫びながら斬りかかりました。一説に現場は番士の詰所前で、多くの目があったとも。意知は重傷を負い、8日後に死亡。その後、政言も罪人の収容施設で切腹して果て、佐野家も改易となりました。

佐野政言事件
意次失脚後に出版された黄表紙『黒白水鏡(こくびゃくみずかがみ)』。佐野政言事件と意次の失脚を題材にした作品だが、幕府の怒りに触れ、絶版の上、作者や挿絵を描いた絵師が罰された(国立国会図書館蔵)

こちらも襲撃の理由は明確ではありませんが、事件前年、将軍・徳川家治(いえはる)の鷹狩で、政言が雁を射止めたのに褒賞を受けなかった事実がある他、田沼父子が家系を粉飾するため、藤原秀郷の末裔である佐野家の系図を借りて返さなかったこと、佐野家の領地に鎮座する「佐野大明神」を意次の家臣が「田沼大明神」として横領したこと、田沼家に賄賂を送っても何の見返りもなかったことなど、事件の原因として様々な説があげられています。積み重なった私憤だといわれますが、実は田沼政治に不満を抱く者たちが裏で糸を引いていた、なんていう説も。実際、この事件は反田沼派躍進のきっかけになりました。しかし理由はどうあれ、にっくき意次の後継ぎを討った政言は、庶民から「世直し大明神」として讃えられたのでした。

江戸初期から幕末まで…、7度の刃傷沙汰が起こった江戸城

殿中の刃傷事件は、江戸初期から幕末にかけて7度起きました(本丸・西の丸などの中心部で大名や旗本が起こした事件に限定)。発生順にご紹介しましょう。

江戸城内初の刃傷事件となったのは、寛永5年(1628)8月に起こった豊島信満事件。現場は西の丸廊下。旗本の豊島信満は、自身が口利きしてまとめた老中・井上正就の嫡子の縁談を、正就が突然なかったことにしたため、正就に斬りかかりました。その場で自害した信満、正就、止めに入った番士の3人が死亡。「武士の面目」が引き起こした陰惨な事件でした。

江戸城、殺傷事件、春日局
この事件の発端となった縁談には、大奥の権力者・春日局が関わっていた。春日局は正就に別の縁談を斡旋し、彼女の圧力に屈した結果、正就は信満が勧めた縁談を破談にしたのだという

貞享元年(1684)8月に起こったのが、稲葉正休(まさやす)事件。現場は本丸御用部屋でした。美濃青野藩主・稲葉正休は、現地視察の上まとめた淀川の治水対策案をめぐって大老・堀田正俊と対立し、解任の憂き目に。ある日正俊を呼び出して突如斬りかかり、正俊は後日死に至ります。正休も、その場にいた老中らに斬られて死亡しました。事件後、御用部屋は将軍の居室のある中奥(なかおく)から、表(おもて)へと遠ざけられたとか。

赤穂事件から20年近く経った享保10年(1725)7月、またまた松の廊下で悪夢が。松本藩主・水野忠恒(みずのただつね)は、もとは温厚で学問熱心だったのに、いつしか酒に溺れ政務も怠るようになっていました。ある日、将軍・徳川吉宗へ婚儀の報告をするために江戸城に登城。拝謁を無事終えて退出中、長府藩主の跡継ぎ・毛利師就(もうりもろなり)に、すれ違い様にいきなり斬りかかりました。鞘で応戦した師就は無事でしたが、水野家は改易、忠恒は蟄居となり15年後に生涯を終えました。師就とは初対面で、錯乱ゆえの刃傷だったよう。やはり酒には、呑まれてはなりませぬ。

さらに約20年後の延享4年(1747)には、旗本・板倉勝該(いたくらかつかね)が江戸城大広間付近で熊本藩主・細川宗孝(ほそかわむねたか)を殺害。なんとこの事件は人違いで起こったもの。勝該の本当の標的は、板倉本家の当主・板倉勝清(かつきよ)でした。勝該には精神病の気があり、本家の勝清は彼を隠居させようとしていました(これは勝該の思い込みだったとも)。勝該はこれを恨んで襲撃し、殺害。しかしその相手は全くの別人だったのです。人違いの理由は、着物に染められた板倉家と細川家の家紋がよく似ていたから。しかも若い宗孝には後継ぎがなく、細川家は御家断絶の危機に。 その場にいた仙台藩主・伊達宗村(だてむねむら)の機転でどうにか改易を逃れましたが、宗孝と細川家にとっては、ほとんど通り魔に等しい事件でした。

九曜巴、九曜星
左が板倉家の「九曜巴」、右が細川家の「九曜星」。星が巴形になっているかどうかという違いはあるが、着物に染められた小さな家紋では判別が難しかった。この事件後、細川家は星を小さくした「細川九曜」に家紋を変更する

最後は、文政6年(1823)4月に起こった松平外記(げき)事件。西の丸書院番部屋で、旗本の松平外記が、同僚5人に斬りかかりました。外記は長らく同僚達に執拗な嫌がらせを受けていました。ほとほと嫌になり、病と称してしばらく勤めを休んでいましたが、久々に登城した日も嫌がらせは相変わらず。外記の堪忍袋の緒はついにブチ切れ、刃傷に至ってしまったのでした。結果、自刃した外記を含む5名が死亡という惨劇に。いじめと欠勤、その果ての殺人事件、自殺…。現代でも聞いたことがあるような、なんとも胸が苦しい事件です。

江戸城、刃傷事件
今回紹介した刃傷事件の一覧と発生地。全7件の事件の内、5件が政務の中心地である本丸で発生している(『江戸城全図』国立国会図書館蔵)

他にも、桜田・坂下門外の変や大奥の事件など、建物内外で他にも陰惨な事件が多く起こった江戸城。次の訪城時には、泰平の世の裏であえなく命を落とした彼らに、ねんごろに合掌を。そしてその後は、大いに史跡めぐりを楽しみましょう!


執筆・写真/かみゆ歴史編集部
「歴史はエンタテインメント!」をモットーに、ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。城郭の専門家が山城の見どころを紹介する『隠れた名城 日本の城を歩く』(山川出版社)や、全国の都市に残る城郭の遺構を紹介する“再発見”街中の名城 −−廃城をゆく7−−』が好評発売中!

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