萩原さちこの城さんぽ 〜日本100名城・続日本100名城編〜 第36回 高知城 天守のほか本丸御殿や追手門も現存

城郭ライターの萩原さちこさんが、日本100名城と続日本100名城から毎回1城を取り上げ、散策を楽しくするワンポイントをお届けする「萩原さちこの城さんぽ~日本100名城と続日本100名城編~」。36回目の今回は、現存天守で有名な高知城(高知県)。実は高知城には、天守以外にも古くからの建造物がたくさん残っているのです! その見どころに注目していきましょう。

高知城、追手門、天守
現存する追手門と天守

江戸時代から残る、天守と本丸御殿

高知城は、関ヶ原合戦後に土佐一国を与えられた山内一豊が、慶長6年(1601)9月から前身の大高坂城を大改修した城です。

現存するばかり天守が注目されますが、天守以外にも多くの現存建造物が残っているのが魅力です。享和元年(1801)に再建された追手門も、そのひとつ。城の正面玄関らしい堂々たる構えで、厚い欅の化粧板で覆われ、柱の隅には銅板、扉には鉄の金具が取り付けられています。

本丸御殿も現存しています。天守と本丸御殿がともに現存するのは、高知城が全国で唯一。全国に4棟しか残っていない城の御殿のひとつで、天守に接続する珍しい構造をしています。

一豊が建造した天守は享保12年(1727)に焼失したため、寛延2年(1749)に再建されました。四重六階で、最上階には高欄付きの廻縁がめぐります。天守の壁面にはさまざまな形状の破風が絶妙に飾られ、躍動感に溢れた印象を受けます。どっしりとして見えるのは、天守台がなく石垣の上に直接建てられているからでしょうか。懸魚や鬼瓦の種類も多く、鬼瓦は向きや表情がさまざま。築城した山内家の家紋、丸に三つ葉柏の鬼瓦も見られます。二重目と四重目の屋根は、軒隅が反り上がる「本木投げ」と呼ばれるもので、土佐漆喰とともに土佐独特の工法だそうです。

高知城、現存天守
高知城の現存天守

「忍返」や「石樋」にも注目

天守以外にも、本丸内には多くの建造物が残っています。本丸内で門や櫓などがどう配置され、連動しているのかがわかります。

注目したいのは、詰門です。本丸と二の丸を分断する堀切を塞ぐように築かれ、1階と2階が立体交差しています。1階の入り口と出口扉が筋違いに配置されているのは、直進を防ぎ、簡単に通り抜けられないための工夫でしょう。2階の橋廊下の出口は頑丈な扉で守られ、いざというときは橋を壊せば封鎖される、手の込んだ設計です。

「忍返(しのびがえし)」や「石樋(いしどい)」など、珍しい装置や多く残るのも特徴です。忍返は、石垣をよじ登ってくる敵を撃退するためにしかけた槍のような鉄棒。天守1階の北面に、城外に向かって設置されています。飛び込み台のように石垣から飛び出した石樋は、排水が石垣に直接当たらないようにする排水路。地面には水受けの敷石が設置されています。高知県は全国屈指の多雨地帯のため、特殊な排水対策がされているようです。

高知城、現存天守、忍返
天守に設置された忍返

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執筆・写真/萩原さちこ
城郭ライター、編集者。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演など行う。著書に「わくわく城めぐり」(山と渓谷社)、「お城へ行こう!」(岩波書店)、「日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)、「戦う城の科学」(SBクリエイティブ)、「江戸城の全貌」(さくら舎)、「城の科学〜個性豊かな天守の「超」技術〜」(講談社)、「地形と立地から読み解く戦国の城」(マイナビ出版)、「続日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)など。ほか、新聞や雑誌、WEBサイトでの連載多数。公益財団法人日本城郭協会理事兼学術委員会学術委員。

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