萩原さちこの城さんぽ 〜日本100名城・続日本100名城編〜 第33回 萩城 山上・山麓・城下町、広範囲に楽しめるのが魅力

城郭ライターの萩原さちこさんが、日本100名城と続日本100名城から毎回1城を取り上げ、散策を楽しくするワンポイントをお届けする「萩原さちこの城さんぽ~日本100名城と続日本100名城編~」。33回目の今回は、毛利輝元が築いた萩城(山口県)です。海に面した石垣や鍵曲の街路が今も残る城下町など、独特の見どころをご紹介します。

萩城、天守台
左が天守台、奥の山が指月山

毛利輝元が築いた、毛利家約260年間の居城

萩城は、毛利輝元により慶長9年(1604)から築かれた城です。指月山山頂の「要害」と、指月山南麓の「本丸(天守曲輪)・二の丸(二の曲輪)・三の丸(三の曲輪)」で構成されます。城と城下町は阿武川の河口に形成された三角州にあり、かつては現在とは違って陸繋島化されておらず、指月山の南東部は沼地、東側には海水が入り込んでいたようです。4年の歳月をかけ、慶長9年(1608)に完成。以後約260年間、萩城は毛利氏の居城となり、萩藩の政庁として機能しました。

本丸跡が、萩城跡指月公園として整備されています。駐車場になっているあたりが中堀跡で、そのすぐ北側にあるのが二の丸への出入り口のひとつである南門跡。萩城跡の石碑が建つ極楽橋を渡ったところが、萩城本丸の正門である本丸門前です。極楽橋の手前から、内堀を挟んで左手には天守台が見えます。本丸の半分は本丸御殿が占めていました。

城内に残る石垣は、場所により表面の加工の仕方や積み方、勾配が異なり見ていて飽きません。枡形跡のほか、石垣合坂というV字の石段、雁木と呼ばれる石段も必見。とくに、本丸門枡形を抜けたところから天守台に通じる雁木は、全国屈指の長さを誇ります。天守台は高さ約10メートルに及び、かつては五重の壮大な天守がそびえていました。海に面した二の丸東側は、銃眼(狭間)が開いた土塀が一部復元されており、独特の雰囲気が味わえます。

萩城、石垣
二の丸東側の石垣

指月山山頂の「要害」と城下町も散策を

本丸背後にそびえる標高143メートルの指月山山頂には、要害が築かれていました。おもに海陸監視の場だったとみられます。本丸の一角には、萩城の石垣に使われた石材の採石場(石切丁場)が残っています。

城下町も魅力です。嘉永5年(1852)に描かれた「萩城下町絵図」を現在の地図と重ね合わせてみると町割がほぼ一致し、古地図を片手に歩けます。御成道に直行する、菊屋横町、伊勢屋横町、江戸屋横町などの小路が、もっとも城下町風情が味わえるスポット。海鼠壁の土蔵や土塀、旧家の門などが残り、これらの道に沿って武家屋敷が並んでいました。「鍵曲」と呼ばれる、クランクする道筋も必見です。

萩城、鍵曲
口羽家住宅そばの鍵曲

▶「萩原さちこの城さんぽ 〜日本100名城・続日本100名城編〜」その他の記事はこちら

alt
執筆・写真/萩原さちこ
城郭ライター、編集者。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演など行う。著書に「わくわく城めぐり」(山と渓谷社)、「お城へ行こう!」(岩波書店)、「日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)、「戦う城の科学」(SBクリエイティブ)、「江戸城の全貌」(さくら舎)、「城の科学〜個性豊かな天守の「超」技術〜」(講談社)、「地形と立地から読み解く戦国の城」(マイナビ出版)、「続日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)など。ほか、新聞や雑誌、WEBサイトでの連載多数。公益財団法人日本城郭協会理事兼学術委員会学術委員。

関連書籍・商品など