理文先生のお城NEWS解説 第57回 安土城の再発掘①

加藤理文先生による「理文先生のお城NEWS解説」。全国のお城では日々発掘調査や研究が行われていますが、この連載ではお城のニュースについて「こんなところに目を向けると面白い!」というポイントや、注目すべき点を加藤先生から教わります。今回のテーマは、2023年に発表された安土城(滋賀県近江八幡市)の調査・整備計画です。過去に行われた調査・整備事業を振り返りながら、令和の再発掘調査がどの部分を調査し何を解明しようとしているのか見ていきましょう。

滋賀県は令和5年(2023)3月末に『特別史跡安土(あづち)城跡整備基本計画』を完成させ、この計画に基づき特別史跡安土城跡調査・整備事業をスタートし、さらなる特別史跡安土城跡の実像解明と保全・活用に取り組んでいくと発表しました。県が発表した概要(がいよう)から、今後の安土城の調査・整備計画の見どころを見ていきたいと思います。

安土城
西から見た安土城跡。発掘調査が実施されたのは、史跡指定地内の約20%です。今も地下には手つかずで織田信長の城が眠っています

1.平成の『特別史跡安土城跡調査整備事業』

天正4年(1576)、織田信長は安土城の築城を開始します。当代最高の技術を持った職人たちを動員し、かつて誰も見たことが無い豪華絢爛な天下統一の拠点造りを目指しました。築城開始から3年後の天正7年(1579)に天主が完成し、すべてが完成したのはその2年後のことでした。天正10年(1582)、本能寺の変後、天主・本丸は焼失してしまいます。秀吉政権になると安土城はその役目を終えて廃城となり、城内に建てられた摠見寺(そうけんじ)がその菩提を弔いながら、現在に至るまで城跡を守り続けています。

城跡は大正15年(1926)に史蹟に、昭和27年(1952)には特別史跡に指定され、保護されることになりました。昭和15・16年(1940・41)には天主・本丸の調査と仮整備を実施、同35年(1960)以降には本丸周辺から黒金門にかけての石垣修理が行われています。

安土城、石垣
昭和35年に修理された黒金門跡周辺の石垣。城内最大規模の巨石を積み上げた場所です。この巨石は、見せるための「鏡石」と考えられます

そして平成元年度から、20年計画で『特別史跡安土城跡調査整備事業』がスタートし、2008年度で終了しました。天主跡や大手門周辺、伝羽柴秀吉邸跡などの屋敷地などを調査・整備し、城跡を訪れる人々に分かりやすく示しながら保存が図られました。これまでに調査・整備を終えたのは史跡指定面積96haのうち約17haです。眺望が開ける本丸後方に位置する伝菅谷邸跡(でんすがやていあと)(八角平(はっかくだいら))や、そこに至る通路などは手つかずのままで、宣教師ルイス・フロイスが記した山中の庭園の有無も確認できていません。調査終了から15年、再び城の全容解明に向けた調査が開始されることになったのです。

安土城、大手道
平成元年度から、20年計画で実施された調査整備事業によって整備された大手道です。幅は6~7m、両側に幅1mの溝が配され、ほぼ直線で約180m登っています

2.令和の再発掘調査の開始

平成元年に開始された20年間に渡る発掘調査は、前述のように史跡指定範囲から見れば、その20%程度が調査されているだけでしかありません。主要部でさえ手付かずの部分が多く残されており、安土城本来の姿は未だ未解明です。

安土城、主郭部平面図
主郭部平面図(『安土 信長の城と城下町』滋賀県教育委員会 編著 サンライズ出版より転載)

そこで滋賀県では、今年度から20年がかりで城跡を再調査し、整備し直す計画をまとめることになりました。まず、安土城のシンボルである天主の姿に迫るための調査を最優先する計画を立てています。

安土城は、本能寺の変の後、主要部が炎上焼失したため、どんな城だったのか詳しくわかっていません。昭和と平成に行われた調査は、安土城天主台の穴藏(あなぐら)内部が中心で、天主台の周囲での発掘調査は未実施です。この調査で瓦類は多量に出土していますが、天主の姿に迫る資料である金具類や飾り瓦や鯱瓦などは極めて少なく、断片的な状況しか判明していません。

安土城、礎石群
天主台穴藏に並ぶ礎石群。天守台は、不等辺七角形で、南北約38m×東西34m、高さは約12mの規模でした。この上に五重六階の天主がそびえ建っていました

令和の第1回調査は、天主台の周辺を中心に発掘調査を始めることが発表されました。前回までの調査で、礎石の傾き具合などから天主は焼け落ちた際に北方向に倒れたと推定され、今回の調査では天主台の東側から北側にかけて約3000平方mの調査が予定されているようです。金具類など天主に関係した資料の発見が期待されます。

『信長公記(しんちょうこうき)』やルイス・フロイスの記録から、金銀の豪華な金具類や、登り龍や下り龍という装飾、風鐸(ふうたく)が吊り下げられていたこと等が推定されます。安土城天主に使用されていた金具類の一部でも発見されれば、天主構造の解明の大きな資料になるはずです。倒れたとされる箇所での初調査ですので、いったいどんな出土遺物があるのか、今からその成果が期待されます。

このほか、安土城の築城から450年にあたる3年後の2026年に、デジタル技術を用いて安土城の姿を復元するプロジェクトも進めることが予定されています。

安土城、伝本丸南虎口
伝本丸南虎口を見る。この門を下ると伝堀邸・伝煙硝蔵へ行くことができますが、現在は立ち入ることはできません。令和の調査後、立ち入りが可能になることが期待されます

安土城、伝本丸東虎口
伝本丸東虎口。この先が伝台所になります。徳川家康饗応に際しては、この通路を使用して料理が運ばれたのかもしれません

次回は「安土城の再発掘調査➁」です。

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加藤理文
加藤理文
公益財団法人日本城郭協会 理事、学術委員会副委員長
NPO法人城郭遺産による街づくり協議会監事
1958年 静岡県浜松市生まれ
1981年 駒澤大学文学部歴史学科卒業
2011年 広島大学にて学位(博士(文学))取得
(財)静岡県埋蔵文化財調査研究所、静岡県教育委員会文化課を経て、現在袋井市立浅羽中学校教諭