超入門! お城セミナー 第101回【歴史】天守の階段はなんであんなに急勾配なの?

初心者向けにお城の歴史・構造・鑑賞方法を、ゼロからわかりやすく解説する「超入門! お城セミナー」。お城に行って天守に上った際、「なんて急な階段なんだ」と思った経験はありませんか? スカートで行って困ったという声も多く聞かれます。天守の階段は、なんであんなに不便なのでしょうか。


丸亀城、天守、階段
丸亀城(香川県)天守内の階段。急な階段に恐怖心を感じる人もいるだろう

階段が急勾配なのは防御のため?

お城は石垣や曲輪、門や塀などさまざまなパーツから成り立っていますが、「城を代表するパーツは何?」と聞かれたら、多くの人が「天守」と答えるでしょう。人類史において「デカイは正義」。古来、人類はピラミッドや大聖堂、前方後円墳や五重塔など高さへの挑戦を続けてきて、高層建造物に畏敬の念を抱いてきました。天守もそうした「デカイは正義」の系譜に連なっており、天守を見上げることは、どこか崇高な行為に結びついているのです。

そしてまた、高い場所を見たら上りたくなってしまうのも人の性(さが)。お城を訪れたらまず天守を目指し、天守に上るのが1番の楽しみという人も多いはず。確かにどの城でも、お殿様気分で眺める天守最上階からの光景は絶景です。

ただし、最上階にたどり着くには、あの急な階段を上らなければなりません。鉄筋コンクリート製の復元天守や模擬天守の場合は普通の階段ですし、エレベーターが設置されている天守も多いですが、現存天守や木造復元天守だとそうはいきません。階段がきつく反り立ち、一段一段もとても高い。四つん這いで上ったほうが早いんじゃないかと思うほどで、実際に子どもや高齢者の方が両手をついて上る光景を見かけます。また、女性だとスカートを着用していたため、押さえながら上る必要があったという声もよく聞かれます。

彦根城、天守、階段
天守内の階段は傾斜がきつい上に幅も狭いので、しばしば渋滞の原因となる。写真は彦根城(滋賀県)天守

どうして天守の階段はこんなに急なのでしょうか。それを考えるため、天守は何のための建物だったのかを簡単に振り返ってみましょう。

天守は「権威のシンボル」と説明されることも多いですが、それ以前に城の最終防衛拠点でした。まだ戦乱の収まらない安土・桃山時代から江戸時代初期までは、本丸まで追い込まれた兵が玉砕覚悟で籠もり、最後まで抵抗を続けるための軍事施設だったのです。天守に籠もって反撃することで、城主や味方兵が逃げ切るための時間稼ぎをするということも想定されていたでしょう。鉄砲や弓矢を放つための石落しや狭間、銃弾を通さない厚い外壁を天守が備えているのはそのためです。

石落し、松本城、松江城
天守に備わる石落し(左/松本城・長野県)と狭間(右/松江城・島根県)

ここでカンの良い読者は、軍事施設であることと急な階段を結びつけて考察されているかもしれません。階段の傾斜を急にすることで、敵の突撃を妨げ、上の階から狙い撃ちできるようにしたのではないか、と。この推測は説得力を持ちますが、疑問もわきます。敵が上りづらいということは、味方にとっても同様です。味方が大人数で階段に押し寄せたら、階段前で渋滞ができてしまい、防御も何もあったものではありません。

そもそも、敵が上の階に侵入するのを防ぎたいのであれば、階段を切り離せるようにすればよいのです。木橋の場合は敵の侵入を防ぐために、橋を落として渡らせなくする工夫がされていましたが、現存する天守でそのような工夫がされている階段はありません。どうやら、階段が急であることと天守が軍事施設であることは関係ないようです。

大洲城、天守
木造復元された大洲城(愛媛県)天守の内観。規模の小さな天守では、階段が大きなスペースを占めている

階段は非日常的な施設だった

天守の階段が防御と関係ないのであれば、急勾配の理由は何なのでしょうか?

戦乱の世が過ぎ去り泰平の世が訪れると、天守は急速にその役目を失います。天守には殿様が住んでいたと誤解されがちですが、天守に居住機能はありません。城には城主の住まい兼政治の場所として御殿が備わっており、住居にも軍事施設にも使えない天守は無用の長物と化してしまいます。江戸時代を通じて、天守は倉庫や貯蔵所として用いられました。(参照「第12回【歴史】お殿様って天守に住んでいたの?」(https://shirobito.jp/article/300))

姫路城、天守
姫路城(兵庫県)大天守内の光景。板張りな上に部屋割りもされておらず、住居には適していない

ここで、なぜ住まいとして天守ではなく御殿が選択されたのかを考えてみましょう。天守と御殿の最大の違いは何か? それは、天守は2階建て以上の建物であり、御殿は平屋であるということ(御殿は遊興空間を除き、1階建てが一般的)。2階建て以上の建物はそれだけで行き来が面倒なものですが、特に面倒なのは上下水。2階以上にお住まいの方は想像してみてください。水を飲むたびに1階まで下りないといけない、または排水・下水をいちいち1階に持っていかないといけないと考えたら、手間がかかって仕方ないでしょう。上下水道がそこまで発達していなかった江戸時代に、天守に住まなかったのは至極当たり前のことでした。

結局、階段が急できついのは、それで誰も困らなかったからです。天守に荷物の運搬をするときもありましたし、天守内の床の間で行事をすることや城主が最上階まで上り城下を眺めることもあったようですが、それはある種のイベントで、日常的なことではありませんでした。たまに行くだけの建物であれば、多少階段が急で不便であっても我慢するでしょう。

階段、天守
天守内の階段では頭上に梁が張り出していることも多い。十分に注意しよう

よくよく考えてみると、天守以外にも五重塔や金閣寺のような高層建築は以前からありましたが、それらはすべて日常的に用いられる建造物ではありませんでした。日本で一般の住居が2階建て以上になるのは、近代の明治以降のこと。それ以前の日本では階段は急勾配なのが当たり前で、階段を上りやすくするという発想自体が希薄だったのでしょう。

執筆・写真/かみゆ歴史編集部
「歴史はエンタテインメント!」をモットーに、ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。手がける主なジャンルは日本史、世界史、美術史、宗教・神話、観光ガイドなど歴史全般。主な城関連の編集制作物に『カラー図解 城の攻め方・つくり方』(宝島社)、『隠れた名城 日本の山城を歩く』(山川出版社)、「廃城をゆく」シリーズ(イカロス出版)など。

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