城と光秀|小和田哲男 第1回 謎の前半生と明智城

本能寺の変で織田信長を討った武将として知られる明智光秀。2020年・2021年放送のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」では、主人公としてその人生が描かれました。今回から、「麒麟がくる」の時代考証を担当される小和田哲男先生に、「城と光秀」というテーマで連載していただきます!(※2019年1月30日初回公開)



美濃源氏土岐氏の一族明智氏

2020年・2021年放送のNHK大河ドラマのタイトルは「麒麟がくる」で、主人公は明智光秀である。光秀というと、どうしても「謀反人」とか「主(しゅう)殺(ごろ)しの大悪人」といったイメージが先行し、これまでのドラマでは悪役として描かれる傾向にあった。そうしたイメージをドラマを通じてどこまで払拭できるか、時代考証の立場でドラマ作りに携わる一人として責任の重さを感じているところである。

そこで、時代考証とも深くかかわってくる光秀の関係する城について、「城と光秀」というテーマで連載をはじめることにした。

意外に思われるかもしれないが、光秀は生年だけでなく、父親の名前も諸説がある状況で、彼の前半生は謎だらけで、どこで生まれたのかすら、いくつかの説があるくらいである。生年に関していえば、通説とされているのは享禄元年(1528)誕生説で、これは『明智軍記』や系図類に書かれているものである。ほかに、永正13年(1516)誕生説、天文9年(1540)誕生説もある。

おもしろいのは、いずれも子年だという点で、江戸時代の川柳「丹波の鼠、京に出て馬を喰い」というのにつながる。織田信長は天文3年(1534)の午年の生まれである。ただ、永正13年説だと、本能寺の変のとき67歳で、老齢すぎるとの印象があり、天文9年説も、信長・光秀の関係を考えると、光秀の方が年長とみられるので、確たる証拠はないが通説の享禄元年説でいいのではないかと考えている。

父親の名前も系図によって異なり、光綱・光隆・光国の三つの説がある。当時、一生の間に何回か改名する例もあるので、同一人をさすと考えることもできるが、謎である。ただ、同時代の史料「立入(たてり)左京亮入道隆(りゅう)佐(さ)記」に「美濃国住人ときの随分衆也。明智十兵衛尉」とあるので、「とき」すなわち美濃源氏土岐氏の一族である明智氏の出であることは確実と思われる。

明智城はどこにあった?

江戸時代のはじめに編纂された地誌『美濃国諸旧記』の「明智城の事并地の戦記」に注目される記述がある。

明智城といふは、土岐美濃守光衡より五代の嫡流、土岐民部大輔頼清の二男、土岐明智次郎長山下野守頼兼、康永元壬午年三月、始めて是を開築し、居城として在住し、子孫代々、光秀迄是に住せり。

明智城本丸跡
明智城本丸跡

つまり、土岐頼兼がはじめて明智城を築き、明智を苗字としたというのである。問題は、その明智城というのが、どこにあったかということになる。

明智城の有力候補地が岐阜県内に2ケ所ある。一つは、恵那市明智町の明知城で、もう1つが可児市瀬田の明智城である。明知城址には本曲輪・二の曲輪などの遺構もあり、「光秀産湯の井戸」と称する井戸もある。しかし、こちらは明智は明智でも、遠山明智氏の本拠で、土岐氏とはつながらない。

その点、可児市の明智城の方が、かつて明智荘といわれた範囲に入っており、また、明智城の別名を長山城ともいっており、『美濃国諸旧記』にあるように、土岐頼兼が長山下野守と名乗っていたとの伝承とも符合する。

そこで、可児市の方では、城址入口に冠木門を復元し、また、本曲輪とされる部分に城址碑もたてているが、残念ながら遺構がはっきりしていない。

明智城二の丸跡
明智城二の丸跡

そのため、2004年に岐阜県教育委員会が編纂した『岐阜県中世城館跡総合調査報告書』第3集加茂・東濃では、長山城跡(明智城跡)とし、「少なくとも現況から長山城とされる場所に城館遺構を見出すことは困難である」とされ、2010年に刊行された『可児市史』第2巻通史編古代・中世・近世でも、「市史編纂に伴なう長山城(明智城)の調査では、明確な城郭遺構は認められないとされているが、なお不明な点も多いことから、これについても今後再検討を要する課題となっている」としている。

私は現地を何度か訪ねているが、確かにこれといった人の手による構築物の跡は認められない。しかし、曲輪とおぼしき平場があり、また麓の集落に小字名として「大屋敷」「東屋敷」「西屋敷」「竹の越」があり、特に「竹の越」は「館(たて)の越」が転訛(てんか)した地名と考えられるので、麓に平時居館としての明智城があり、長山城とされる山上の部分は一種の詰の城といった位置づけだったのではないかと考えている。

竹の腰付近、明智城
竹の越付近、後方の山が明智城

▶第2回「土岐氏の本城・大桑城と光秀」はこちら
▶城と光秀 その他の記事はこちら

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執筆/小和田哲男(おわだてつお)
公益財団法人日本城郭協会  理事長
日本中世史、特に戦国時代史研究の第一人者として知られる。1944年生。静岡市出身。1972年、早稲田大学大学院文学研究科 博士課程修了。静岡大学教育学部専任講師、教授などを経て、同大学名誉教授。


著書 『戦国武将の手紙を読む 浮かびあがる人間模様』(中央公論新社、2010)
   『井伊直虎 戦国井伊一族と東国動乱史』(洋泉社、2016)ほか多数


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