2025/01/07
前田慶次の自腹でお城めぐり 【第24回】凸大阪城 前編~アジア最大ノ軍事工場~
お城に関する豊富な知識を持つ前田慶次様(名古屋おもてなし武将隊®)が、全国のお城を実際にめぐりながら歴史・特徴・魅力を解説する人気連載。今回は、大阪城(大阪府大阪市)の前編です。
皆の衆、我こそは名古屋おもてなし武将隊天下御免ノ傾奇者前田慶次である。
此度(こたび)城びとと同盟を結び、此の前田慶次が連載を持つ事と相成った。
先ずは、名乗りを上げよう。
演武といったパフォーマンスなるものを披露し、電波放送戦(テレビ)は常戦番組(レギュラー)持ち、全国各地に遠征を繰り広げる。
結成十六年目を迎え、全国の武将隊の先駆けとして日ノ本を代表とする武将隊である。
して、儂前田慶次は現世に蘇り歴史の語り部として多くの戦に出陣して参った。
伝統芸能を伝える舞台出陣、歴史学者との対談、寺子屋(学校)での歴史授業。
名古屋城検定名誉顧問に叙任され、検定過去最高得点を叩き出す。
日本城郭検定にも挑戦し合格。
日ノ本が誇る歴史文化をより多くの者に伝えるべく、城びとでの連載を始める次第。
題して
【前田慶次の自腹でお城めぐり】
他の連載と何が違うのか!?
・現世に生きる戦国武将自らが感じたことを紹介!
・傾奇者による城郭魅力度数値化!
・城巡りの手引書(案内)となる!
・地域の特色を織り交ぜ、観光が楽しくなる!
・イケメン(前田慶次)が見られる!
・要点を抑えた紹介!
・兎に角分かりやすい!
全国の城に直接己が足で出向き、城の見方、歴史を伝え、
其の城の傾き所(見所)や天守閣、男前田度(イケメン)を前田慶次の独断で評価する。
歴史初心者から玄人まで楽しめる、国宝連載となっておる。
ただ城を巡るのではなく! 儂の金子(金)で城に登城する。つまり限られた金子で巡る
旅の道中劇にも注目してもらいたい!!
また巡り方については、王道の道順を歩む故に参考にすると良い。
凸大阪城(大阪府) 城郭の魅力度を数値化
復興天守として文化財!5重8階天守の秘密とは!?
【基本情報】
城郭構造:平城
主な築城者:豊臣秀吉、徳川家、石山本願寺
主な改修者:豊臣家、徳川家
築城年:1583年(豊臣秀吉時代) 1620年(徳川時代(寛永期))
廃城:1868年(明治元年)
主な指定文化財:重要文化財、特別史跡
【歴史】
■戦国最強の石山本願寺の拠点!?
大阪城の地は室町時代から安土桃山時代初期にかけては浄土真宗の寺院である石山本願寺が拠点としていた! 当時は大坂御坊や石山御坊と呼ばれておった! 堀や土塁で防御を固め、見た目は城同然であった! 戦国時代の一大勢力を誇ったが、1580年石山合戦(織田信長との戦い)で本願寺の住職である顕如が明け渡し石山本願寺の時代は終りを迎える。
■織田信長も注目した土地!
大阪城と申せば、豊臣秀吉様の印象を抱く者も多かろう。然し、秀吉の主君織田信長様が本願寺から奪い取った後に信長様は西日本を抑えるのにこの土地に注目され巨大城郭築城を決められていた! 安土の城も築城された丹羽長秀様がこの地を守備を任せられていたのは、築城を考えての行動であったやもしれんのう。
■豊臣秀吉の大阪城は大願であるが居城は短い?
1583年に豊臣大阪城築城開始! 奉行には築城の名手黒田官兵衛孝高が担当し10年以上の歳月をかけて水上都市大阪城は完成した! 秀吉様は1586年には聚楽弟、後に伏見城も築城され居を移されているが、現世では滅んだ豊臣家を神格化したせいか大阪城が政権の中心のように見えがちである。
■徳川家が築いた日本一の大阪城
戦国最期の決戦大坂の陣を経て豊臣家が滅亡し徳川家が大阪城を手にする。1620年天下の大号令で大阪城は大改修される。現在の大阪城へと生まれ変わるのじゃ! 普請だけで10年近く年月をかけて日本一の高石垣と巨石を築いた!
■重兵器を生産!復興天守第一号!
明治時代陸軍の所轄地となり、巨大城郭大阪城の広さを活かして大砲、車両等の重火器を生産する大阪砲兵工廠が造られる。アジア最大の軍事用工場として名を馳せる! 故に太平洋戦争ではアメリカ国から攻撃対象となってしまう。昭和6年1931年には復興天守が完成し全国初、復興天守第一号である! 現在は文化財指定も受けておる!
(※“大阪”“大坂”表記は正式名称に基づいて表記しております。大坂城時代の話でも現在大阪城表記のため大阪城としています。)
慶次「銭がねぇー。ワッハハハハハハ! 此度は誰に頼むか…。それにあたり何処の城について調べるべきか。聞けば、最近は万博の話で大阪が賑やかと聞く。この機会に“大阪城”へ参るか!! となれば、徳川様か秀吉様が良いな。前回の松本城で徳川様に銭を出してもらった故に…。
此度は秀吉様から頂戴する!」
秀吉様が築城された大阪城は後に徳川家によって埋め立てられ再建されてしもうた。故に儂が秀吉様の大坂城(大阪城)の魅力を皆に伝えまする!
故に銭を…
秀吉様「幾ら欲しいんだで?」
慶次「話が早い! 流石秀吉様! 気前の良さ日ノ本一!」
と僅か数秒で資金を調達し儂は向かう!
【名古屋駅から出陣!】
名古屋の虎口(玄関)名古屋駅から出陣し向かう! お金もたんまりあるからのう、此度もちぃと速い鉄籠で向かうぞ!
JR殿の光の速さを誇る鉄籠、新幹線で参る! 新大阪まで5940円也!
鉄籠新幹線が光の速さが分かるであろう。窓の先の景色が乱れておるように見えるじゃろ。儂の槍捌きに匹敵する速さ也!
半刻は約1時間ばかしで新大阪に着陣! 乗り換えるぞ!
新大阪駅は交通の要所故に、駅構内は各地四方八方へ出陣できるように線路が数多あり、儂は迷った!! ワッハハハハハハ
迷路の如く感じ構内が城造りのように感じたのぅ。
慶次「大阪へ参りたいが何処に。」
周りを見渡せば何と! 柱に御丁寧に誘導の文字が!!
して、驚いた!!
慶次「すべての電車が大阪駅に停車する!!!…どれでも良かったんではないか!!」
新大阪駅へ向かい、そこから大阪城公園駅へ。
【南蛮貿易と秀吉様】
大阪城の最寄り駅、大阪城公園駅着陣!!
駅構内はご覧の通り、戦国期を感じさせる現世の長押に壁画があり南蛮貿易の様子が描かれておる! 秀吉様が異国との交易を楽しまれておられた故に栄華を極めたのが現世の者にも伝わるのではなかろうか?
南蛮貿易では鉄砲、火薬、ガラス、織物、時計なんかは輸入品として有名じゃな! 秀吉様と申せば、西洋音楽を楽しまれた方でもあるからのう!
【大阪城の全体図と上町台地】
駅構内には大阪城のジオラマ模型なるものが御座った! どの城にも斯様な物があるが、駅にあるのは珍しいではないか! 実際の大阪城はまぁーっと大きい巨大城郭であるが、現在の大阪城なれども見事な堀や台地の様子が分かり易く、城巡りする前に全体図を見る事が叶い良き策である!
大阪城天守閣がある地は他と比べて高い位置である! 外から参れば平山城なのか?と思う者もおるはず。本丸といった大切な曲輪は他と比べて高い台地に築かれるのは定石也! 水害系に強いのは想像つくであろう?
此の土地を“上町台地”と申して大阪城本丸は約32mの高台らしいのう。
駅の虎口を出て目の前には“キャッスルガーデンOSAKA”と申す横丁の様な様々な店が立ち並ぶ! 早朝より参った場合や休息するのに誂え向きな場所である。大阪城は広い故に斯様な場が設けられておるのは、天下人の城らしい!
【全体図看板で巡り方を抑えようぞ!真田丸はどこ?】
見よ! 大阪城は大阪城公園の看板図! 広い! 広いぞ大阪城! 広大な大阪城は嘗て豊臣家が築いた大阪城と比べると現在4/1の広さのようじゃ!現在の城は徳川家が築城した大阪城となっており、豊臣家時代は地中に埋まっておる。。
駅から近いのが搦手という事で北は搦手から此度は巡って参る! 大手の正面から参ろうと思ったが、搦手側が近いというのは逃げ道としても得策と言えよう!
我等の時代は埋見門等を搦手に築いて脱出経路を確保したものじゃ。
本丸を取り囲むように曲輪が築かれておる此れを“輪郭式”と申す!
慶次「看板には載っておらぬが、此処より随分と南に進むと有名な”真田丸”があり申す! 大河ドラマなるものにもなっておる故に、気になる者は足を運ぶが良い! 三光神社が真田丸跡周辺となる! 因みに、我が前田家は大坂の陣において真田丸に酷くやられた。儂がおれば斯様な事にはならんかったはずじゃ! また、内堀と中堀は看板に載っておる故に分かるが、外堀はどこか。此れは後に天守から見下ろして確認致そうと思う! 堀を見れば分かるが、虎口が横矢造りになっており非常に守りが堅いのが分かる。直線的な二の丸の縄張りなれども、屏風折れになっており十字砲火可能となっておる!
脅威的な縄張りに加えて三重櫓や多聞櫓が日本最大級と聞いておる故に、此れは見ごたえがありそうじゃ!!」
“キャッスルガーデンOSAKA”の中に案内所があり申す! こちらで手持ちの地図を手にしてゆくぞ! 城巡りで地図は必定である! 皆も必ず手に致せ!
土産も多くある故に帰りに色々と買うのも良いやも!
【北搦手側には大阪城ホール!隠されし〇〇】
店所を抜けると右手には大阪城ホールと呼ばれし芸を披露する建物が見える! 現世の歌い手達が公演するそうじゃが、建物周りは石垣で築かれており景観を意識しておるのであろう。
申すと、石垣は切込接ぎの布積造りのようになっておるが現世のモルタルなるもので築かれておるようじゃ。強度も高く見事であるが、びっしり積み上げられてた現世の石垣に何と埋見門が築かれておった! 此れには儂も大興奮致したわ! 電気供給の重要な間のようで景観を汚さぬ為に埋見門とは。脱出以外にも使い道があるとは!! 天晴れである!
歩みを進めると
【大阪砲兵工廠!アジア最大級の工場?年貢も集まる?】
大阪砲兵工廠跡の看板が御座った! この地は明治期にアジア最大級の軍事工場が築かれておったそうじゃ。日ノ本最強の城に現世の軍事工場が築城されるとは因果を感じるのう。
また、此れが民需品も手掛ける故に此の地一帯の工業化を推し進め近代化に貢献。大阪城ホールも元々本館が建っておったそうじゃ! 然し乍ら、軍事工場故に昭和の戦争においてアメリカ国の攻撃対象になり空襲で壊滅。
ほいで、江戸期においては御蔵曲輪と命名され大坂の年貢米が此処に集めることになっており、備蓄されておったそうじゃ!
慶次「搦手部分は大阪の要として後の時代に活躍したとは。大阪は商いの町として発展した事は儂も知るが、城内に工場を築くとは大阪らしいのう!」
して此の目の前には見えるは…
【東外堀は前田家の功績!壮大な堀と石垣!】
ご覧の通り、壮大な堀と石垣である! 遂に天下人の威光放つ城郭の姿が眼に写ったのう!
此れは東外堀と現在命名されておるが、幅は約90mという日ノ本最大級規模! 何より此の東外堀の普請担当は我が前田家である! 他にも松平家や山内家等の16家が担当! 此れだけの広さ故に江戸期の普請は石高数に応じて担当域が定められるのが常である故に細かく分担しておる。
して、此の堀は現在東と北に分断されておるが、元は繋がった堀であった! 北東周辺は湿地帯であった故に防御面も南西に比べて重要視されておらず、櫓も少なめで石垣の石も小ぶりで築城されておる。その違いを後程参る南西と比べて参ろうと思う。
慶次「木々は無く、多聞櫓であったと考えると恐ろしかろう? 築城期が寛永期、徳川家による築城故に築城技術も全盛! 圧巻で城好きにはたまらんじゃろ? 幅の広さは城内一でもある故に、ゆっくりと見物すると良い!」
堀を眺めつつ北搦手より二の丸の曲輪へ。狭き道は嘗て高麗門があったのであろう。
【櫓門、青屋門は文化財!?】
遂に建物が見えた。此の壮大な櫓門は青屋門と申してどう見ても日ノ本最強の櫓門ではないか!と唸ってしまう総鉄板張に加えて窓も多く鉄砲連射を考えると恐ろしい虎口ぞ!!
流石大阪城と儂も手を組み感心したが、意外であったのが文化財指定を受けていないと!
慶次「創建は1620年であるが、昭和の空襲で焼失。1969年に残材を用いて再建したのが現在の櫓門! 故に元は多聞櫓で連結していたが、今は櫓門の櫓しか石垣の上には建っておらず。守りの強さは此れだけ見ても圧倒されると思うが、枡形虎口を想像するのじゃぞ!
また、青屋という珍かな名前は大阪城以前にあった“石山本願寺”時代の寺内町である青屋町から命名したそうじゃ! 元あるものから命名するのも戦国時代あるある。権力者の交代を伝えつつも土地の者達を大切にする心が伝わるであろう? 因みに青屋とは紺屋。つまり染物屋のことであるぞ!」
して。此の枡形虎口の見所は他にもある。
櫓門側ではなく、今は無き高麗門側の目の前は現在石畳で地をスロープ造りにしておるが、嘗ては算盤橋であった! 水堀に対して橋を架けておったが、出し引き可能な橋“算盤橋”で普段は引いた状態で使用できぬようにしておったと! つまり非常時のみ使用可能な場所!
慶次「脱出口として考えておったわけじゃな!」
と言ったところで此度の記事は此処まで!
次回は天守閣の秘密も暴く!日本一の高石垣の全貌も明らかに!?
次回の記事も楽しみにしてちょ!
以上
名古屋おもてなし武将隊
天下御免ノ傾奇者 名古屋城検定名誉顧問 城びと連載人
前田慶次郎利益
凸伝令
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▶「【第23回】凸松本城」前編
執筆・写真/前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)