前田慶次の自腹でお城めぐり 【最終章】凸『城びと道中日記』

多くの方に愛された連載「前田慶次の自腹で城めぐり」。2026年3月28日に慶次様の魂が今世の体から天に還られるため、今回で最終回となります。足掛け7年という長い間、いろいろなお城を慶次様節で楽しく、興味深くご紹介いただきました。ついに迎えてしまった最終回は、これまでの総括です。皆さまの思い出とともにぜひご覧ください。

皆の衆、我こそは名古屋おもてなし武将隊天下御免ノ傾奇者前田慶次である。
本年令和8年3月28日をもって此の前田慶次出立する事を決め申した。城びとと同盟を結び、城郭や大河ドラマ解説記事を執筆し続け6年の月日が経ったが、此度で最終章となる。最終章なれども先ずは、名乗りを上げよう。(自己紹介)

名古屋おもてなし武将隊,前田慶次様

前田慶次齢四八十四歳。戦国の世では天下御免ノ傾奇者として名を馳せ申した。現世に蘇りは名古屋おもてなし武将隊の一角として、名古屋城を拠点に名古屋を世界一の観光都市にせんが為、日々戦働きに勤しむ。
演武といったパフォーマンスなるものを披露し、全国各地に遠征を繰り広げる。
結成十七年目を迎え、全国の武将隊の先駆けとして日ノ本を代表とする武将隊である。
して、儂前田慶次は現世に蘇り歴史の語り部として多くの戦に出陣して参った。

伝統芸能を伝える舞台出陣、歴史学者との対談、寺子屋(学校)での歴史授業。
名古屋城検定名誉顧問に叙任され、検定過去最高得点を叩き出す。日本城郭検定にも挑戦し合格。
日ノ本が誇る歴史文化をより多くの者に伝えるべく、城びとでの連載を始めた次第。

題して

前田慶次の自腹でお城めぐり、犬山城

【前田慶次の自腹でお城めぐり】

他の連載と何が違うのか!?
・現世に生きる戦国武将自らが感じたことを紹介!
・傾奇者による城郭魅力度数値化!
・城巡りの手引書(案内)となる!
・地域の特色を織り交ぜ、観光が楽しくなる!
・イケメン(前田慶次)が見られる!
・要点を抑えた紹介!
・兎に角分かりやすい!
全国の城に直接己が足で出向き、城の見方、歴史を伝え、其の城の傾き所(見所)や天守閣、男前田度(イケメン)を前田慶次の独断で評価する。
歴史初心者から玄人まで楽しめる、国宝連載となっておる。
それも此度が最後というわけじゃ。此れまでの記事も是非この機会に読み返してちょ。

此度は城びと連載の総まとめ、即ち『城びと道中日記』と題目を掲げて6年間の城めぐりで伝えたい事を書き残す。

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

【1-1.城郭傾奇番付 作事編】

此の六年数多の城郭を巡って参った故に、傾奇番付と題して作事(建物)と普請(石垣堀類)と城下町に分けて其々で儂の心が動いた城郭を振り返り紹介致す!
城の象徴として現世では天守閣(天守)が大変人気であるが、作事は天守閣だけが見所ではないわな。『門、蔵、櫓、御殿』を始め天守閣以上に貴重な建物も現世には多くある。斯様な作事部門にて儂が最も傾いた城郭として認定するは…
 
前田慶次,名古屋おもてなし武将隊
 
『大坂(大阪)城』である! 
天下人の城郭が堂々の一位は味気ないように感じる者も多いやもしれぬが、此の慶次の見方を聞けば納得するはずじゃ!
先ず、城郭の象徴でもある天守閣は復興天守第一号であり、再建の中で文化財指定を受けるなど後世の者達に戦争の爪痕を伝える重要な建築物では右に出る城はいなかろう。
まさか復興再建天守閣が文化財指定となろうとは誰が予想したか…。此れは他の城郭の希望の光となったはずじゃ。即ち、城郭の保護を続ければ地元の城も文化財になるやも!?と城郭好きには心温まる伝令となったのも評価すべき!

また、高さも日ノ本一であり当時最大の望楼型天守閣は魅力的であるし、儂が評価したいのは天守閣が嘗ての数少ない史料から細部の意匠を再現しておる点じゃ。これには驚いた者も多かったはずじゃ。壁画の絵画の復元努力は感服いたしたわ。

加えて作事部門と銘打った故に、天守閣だけで判断しておるわけではない! 江戸時代には天守閣と同等の扱いであった3重櫓を何と、10基以上も備えており、その数、日本一を誇っておった。此の規格外の数には敵も味方も腰抜かすわ! 屏風でしか現在確認できぬが惜しいがな。

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

更に御覧の通り櫓門も日ノ本最大の大きさ! 多門櫓形式というのも現在では貴重な建築物であり、此の大きさは高さ14.7m、内部の広さは70畳分! 最強の多門櫓大坂城に在り!(多門櫓の総延長距離も日本一)
 
他にも蔵が唯一現存しておるし、井戸も文化財指定受ける程の価値あるものが幾つも見られるぞ! 

また、作事編とは異なるが普請も圧倒的である!

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

石垣の高さも日本一であるし、鏡石も日本一が皆を出迎えるし、堀の広さも規格外! 此れは公儀普請という国家事業で全国約60家の大名が集うて築いたものである! 中でも最も壮大な堀と石垣は我が前田家が担当しておるのは手前味噌であるが、天晴なものよ。故に普請編でも天下一の称号贈りたいが、江戸時代の技術が高まった時分も良いが、古き良き普請を次に紹介致す。


【1-2.城郭傾奇番付 傾奇普請編】

傾奇普請番付一位は『松坂城』である。
大坂城のような規模感ではないが、圧倒される魅力が松坂城にはある。築城者は織田家の勇将、蒲生氏郷が担当。信長様の城の特徴と申せば、他よりも早い石垣や天主や御殿と考える者も多いやもしれんが、儂が見てほしい点はそこではない!
革命的なのは大手(正面)を真っ直ぐな道とされることよ! 乱世の城では有り得ない造り! ワッハッハー。
戦う側面だけでなく、相手をおもてなしするという考えは誠に傾いておるわ!
その特徴を受け継ぐ蒲生氏郷は、松坂城にも取り入れておるし、安土桃山期に築城された城とは思えぬ質の高い普請(石垣)に注目すべき! 無論、蒲生氏郷の後には古田家、徳川家が入城し最新の改修も楽しめる! では、見所を紹介致そう。

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊
 
御覧の通り戦国期とは思えない高石垣は、紀州徳川が改修したものである! 実に15m前後もあり東海地方では圧倒的な高さの部類となっておる。写絵の奥側は石垣が出っ張っておるじゃろ?
あそこは紀州が拡張した箇所で歴史の変化も楽しめるのは一石二鳥と思わぬか?
ほいで肝心の蒲生時代の石垣は…
 
前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

 こちらである。野面積みの工法は自然石を用いた築城なれど、加工もある程度しており”打込接ぎ”という技術との間という具合で城好きにはゾクゾクするじゃろ?
野面積みの質とは思えない石垣には、蒲生氏郷の数寄者としての風格さえ感じる。それこそ、当時のおもてなしを石垣に込めておる! 算木積みも完成してない時分の石垣では、異常な高さの石垣。また、食違虎口にしておるし平山城として石段を絶妙に差し込み目線を下に落とさせ、防御面も抜かりないのは流石としか言えぬ。実は、蒲生氏郷が築城するにあたって、当時最高峰の技術をもった穴太衆を呼び寄せて築いたのだ! やはり近江者だで!(穴太衆、蒲生氏郷、儂は近江生まれ。)
つまり、安土桃山期の最高峰の技術と江戸時代の質の高い石垣の双方を楽しむことが叶うのは松坂城くらいであろう!

前田慶次,名古屋おもてなし武将隊
 
別途であるが、松坂城からも割と近い『津城』も勧めである。築城の名手藤堂高虎が築城した津城であるが、藤堂高虎入城前の石垣を御覧の通り隣り合わせで楽しめる! 綺麗な境目となっており、左側が織田信包様時代の野面積みである。右側が拡張の為に藤堂高虎が広げた石垣補強というわけじゃ。こちらも双方楽しめるし城内には犬走もある故に貴重である。

【1-3.城郭傾奇番付 城下町編】

続いては、傾奇城下町番付一位は『名古屋城』である!
身内贔屓と言うわけではない故に、よぉく聞けのう! 旧国宝第一号でもある名古屋城は城郭としての魅力が圧倒的であると同時に城下町も見所一位であろう! 昔と今を楽しめる城下町がどんなものか教えてやろう!
先ず、『金シャチ横丁』という城前に横丁があるのは非常に観光客の心を温める。飯処、土産処を備えるだけに留まらず、芸者の演武披露があったりと見て楽しむ要素も他の追随を許さぬ満足度である! 究極城に入城せずとも横丁だけでも楽しめてしまうのは大きい。また、城下町編と括るわけだで、交通の良さも重要と言える。その点名古屋城の城下町は駅を降りれば目の前という、まさかの徒歩0秒! 男前田過ぎる立地じゃ! 更に注目すべき事がある。

 前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

城下町とは、一体何処までを指すのか? そんな問題にもなってくるやもしれぬが、現在の城下町は『金シャチ横丁』のみ。であるが、実際名古屋城三の丸内は斯様に愛知県庁や名古屋市市役所も配置されており、見学も可能。映画やドラマの撮影ロケ地なるものでも有名で、食以外の要素でも満足度を高めてくれよう! 城下町としてこの要素は非常に貴重ではなかろうか? また、歩いていける距離というのも嬉しい点である!
 
前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

そして、名古屋城は未完成の城であるという事が面白い! 計画の一部には名古屋城よりも南に下った観光地『大須』付近まで取り囲む総構えの予定!?であったとも聞く。
となるとじゃ…大須は実質城下町!!ワッハッハー
屋根付きで雨天でも食べ歩きができ、様々な文化が融合した大須は一日楽しめる遊園地と言っても過言ではなかろうぞ。嘗て芝居小屋が100以上存在しており、現在も東海地方で唯一の寄席が此処に在り!
これ程の城下町は他には無かろう!? 故に一位である。他にも長浜城の黒壁スクエアも儂は気に入っておるし、熊本城の城彩苑も捨てがたい。参った事が現世ではないが、総構の祖とも言える小田原城ならば上回ったやもしれんな!? 昔の景観を楽しむならば郡上八幡城は実に勧めであるぞ!

【2.参りたかった城郭】

さぁ誰しもが心に抱いた事がある題目『参りたい城』。皆には未来がある故に今後足を運んでほしいものであるが、儂には時間が許されぬ故に参りたかった城と掲げて紹介致す。
現世でも城びとに関わらずで考えると多くの城に登城した儂であるが、唯一訪れることが叶わなかった土地が御座る。それが『琉球王国』である。現世の沖縄には足を運べておらぬ故に、異国技術を取り入れた珍かな城(グスク)をこの目で見たかったし参りたかったわ。石造アーチ門や広大な祈りの間といった本土で見られぬ造りは必見であるな。他には日本一桜木がある『松前城』も参りたかったわ。桜木が1万本とは驚いたわ誠に。壮大な景観なのが想像つくじゃろ!?
ん…。最北端と最南端の城。嗚呼。本土ではやはり阿尾城かのう。我が城でもある越中の阿尾城は現世の者には中々存在も知られておらぬが、前田家の激闘『阿尾城の戦い』の舞台となり、儂が籠城戦で苦労した戦よ。道幅を狭くすれば強固と考える者は行くべきぞ! 脱出ができぬ背水の陣である守備と行けば分かるぞ!

【六年の歳月を振り返る】

読書の皆々はいつ頃の記事から読み始めたであろうか?
城びと殿にて連載を持ち、城めぐりの執筆を開始させて六年。思い返せば、現世に蘇り儂は文化人として、現世の者等に歴史の語り部として何を成せるのかを考え、名古屋城検定に挑んだ。2017年には当時の歴代最高得点を記録し城郭の講演会や教授達との対談等にも登壇する機会も増え申した。更に見聞を広め、日本城郭検定準一級まで取得。昨年10周年を迎えた日ノ本最大級の城イベント「お城EXPO」ではほぼ皆勤賞という稀有な武将にもなった。城郭が結んだ縁が数多あり、中でも城びとは特別なものであった。
 前田慶次,名古屋おもてなし武将隊

城びと殿の本城は江戸にあり信長様と共に登城したのが2019年。当時城びとの本城は大奥なのか?と思うばかりに女中が働いておったし、儂の登場に色めき立ったわけじゃ!
懐かしや懐かしや。
そして軍議の末、信長様から頂戴した壱萬円という軍資金で始まった『前田慶次の自腹で城めぐり』である。当時武将隊界隈では初の単騎連載戦であったのもあり、文化人として熱を帯びて挑んだ戦。
途中軍資金が底を尽き、皆から矢銭を募ったり、叔父貴から援助を受けたりと自腹とは?と思う者も多かったと思うが、名古屋城を皮切りに27城巡り執筆して参った。いやー誠に楽しかった!

どの城にも想いがあり江戸期の堀の如く深いものじゃ。其処で出会った民達、学芸員、ボランティアガイドの皆々には世話になった。本に忝い。今も交流があり名古屋城へ登城してくれた者も多くおるし、城郭の催しにて再会も多い。城郭関係各位が皆、温かく迎え入れてくれて嬉しかったのう。
連載で儂は27城に番付を付けたり傾いた天守に点数を付けたが…どの城も其々の良さが御座る。天守が無くとも櫓が無くとも、石垣が無くとも良いのじゃ。
築城状態がそのままの城は全国で一城も御座らぬ。現世の者が、想像し楽しみ城を保護して未来へ繋いでゆくのじゃ。

我、前田慶次の城めぐりは一旦此処で終いとなるが、多くの縁が結ばれたこと改めて嬉しく思うし感謝致す。儂が参ること叶わなかった城には、きっと主等が足を運んでくれるのであろう?
城めぐりは生涯の趣味にできる。毎日巡っても全制覇が出来ぬほど数がある。

歴史を学び人生を豊かに。

儂が歴史語りをする時に大事にしておる【信念】である。皆に託す。

城郭界の更なる発展と皆々の城めぐりがより楽しめることを願う。読者の皆よ、今まで本に有難う御座った。
また会おう。

以上
名古屋おもてなし武将隊
天下御免ノ傾奇者 名古屋城検定名誉顧問 城びと連載人
前田慶次郎利益


凸伝令
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前田慶次X(旧Twitter) https://twitter.com/keiji_bushotai?lang=ja

名古屋おもてなし武将隊
ホームページ https://busho-tai.jp/ 

執筆・写真/前田慶次(名古屋おもてなし武将隊®)