【お城の地元から:お城便り】山道整備が完了!戦国ロマンに思いを馳せて熊川城跡へ登ろう

全国各地のお城の地元の方々から、わが町のお城の魅力や最新情報を紹介してもらう新企画「お城の地元から:お城便り」。今回は、2020年・2021年放送のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』で主人公だった明智光秀ゆかりの地でもある熊川城(福井県三方上中郡)。長い年月を経てすっかり荒れ果てていた城跡への山道が、このたび整備を終えたそうです。(※2020年4月1日初回公開)



熊川の歴史にみる明智光秀と熊川ゆかりの人物たち

近江と若狭の国境・熊川に位置する熊川城。城主の沼田光兼の娘・麝香(じゃこう)が細川初代幽斎を支え、細川忠興・ガラシャへと続く細川家のルーツとなり、また大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公・明智光秀のゆかりの地でもあります。

熊川宿
伝建地区の熊川宿から城山を望む

沼田氏は、観応2年(1351)に室町幕府将軍・足利尊氏によって若州瓜生下司職に補任され、熊川城を築きました。以来、幕府御料所代官として、また将軍直属の武士として奉公しました。永禄8年(1565)には三好・松永の軍勢が将軍義輝を襲い、光兼の長男光長が戦死しています。永禄12年(1569)3月には、光長の弟清延が松宮玄蕃に敗れて近江に退いたと言われています。光兼の娘である麝香は、細川藤孝(幽斎)に嫁ぎ、その繋がりから清延は細川家の家臣となっています。その後、丹波長秀が若狭を支配するようになると熊川城は廃城になりました。

熊川城の廃城後、若狭国主となった浅野長政が、近江と若狭の国境の要衝でもあった熊川を宿場町として整備。江戸時代には問屋、旅籠、商家など200戸が建ち並び、人と物が行き交う街道の要所として大きな発展を遂げました。

沼田氏の居城「熊川城」跡地への道を整備

熊川城、山道
熊川城跡の櫓台から主郭を望む

また、若狭街道に面した山腹には張出郭があります。一方、西からの侵略を守るため、新道地籍には出城を築いていたとのことです。数十年前までは、熊川城跡や沼田氏出城跡から熊川が一望できましたが、現在は城郭や張出郭の原形は留めているものの、雑木や杉が大きくなり、城跡への山道も急傾斜で荒れ、往来が困難な状態になっていました。

このたび、熊川宿とその周辺環境改善の一環で、熊川城跡を中心とした山道の復元整備を行いました。山道は登山口(白石神社境内)から「中郭段・主郭」と「張出郭」のルートに分かれていて、登山口から主郭まで片道約10~15分で登ることが可能。中郭段からは熊川宿の町並みを、主郭からは河内川ダムの一部を望むことができます。

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熊川城跡の山道

国の重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けている熊川宿の歴史的価値を高めるとともに、伝建地区から十数分で登れる熊川城跡を通って河内川ダムから若狭駒ヶ岳へ、さらには沼田氏出城跡方面へのトレイルルートの開発を目指します。


執筆:若狭熊川宿まちづくり特別委員会 会長 宮本哲男・同広報部長 松見正幸・若狭町歴史文化課
※『明智光秀と熊川』展示資料より一部引用