朝日山城からの転戦です。大楯公園として整備されています。広く平坦な本丸ですが、空堀がしっかりと残っていました。小さな三の丸は庄内平野ビュースポットになっています。北楯大堰を開鑿した北楯大学助利長の銅像がありました。佐久地域の4用水を大学の卒論の対象とした私ですので大堰には非常に興味があります。
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2024/11/07 07:21
2024/09/06 23:05
「北楯大堰」開削功労者の居城 (2024/09/01 訪問)
6月に庄内町清川に行った際、世界かんがい施設遺産に登録されている「北楯大堰」を知りました。最上義光の臣狩川城主北楯大学助利長が開削した農業用水で、工事は慶長17年(1612)に着工され、総延長10kmもの堰は現在も米どころ庄内平野の水田を潤しています。
戦いに明け暮れた戦国時代の終わりにこのような大規模な工事をと意外な気がしました。しかし戦国大名は築城や、城下町の設計、道路の整備、鉱山開発や治水などの土木工事を領国経営のために行っていたのだと思います。
所用で庄内を訪れることとなり、気になっていた狩川城を攻城しました。城跡は庄内町狩川にあり、現在は桜の名所楯山公園として住民に親しまれ、この日も本丸跡ではグランドゴルフ大会が開催されていました。
比高40mほどの丘陵北端に位置し、西側は切り立った崖、南北に長く広い本丸に、小ぶりの二ノ丸、三ノ丸が続く連郭式縄張り。本丸は公園化でかなり改変されているようですが、本丸南端の土塁や大規模な堀切、虎口跡など遺構を観ることができ、中世城館の面影も感じられました。
当時原野だった庄内平野も見渡すかぎり田んぼが続き、北楯大堰のありがたさを感じました。
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2023/04/09 23:31
赤い城さんへ。 (2023/03/04 訪問)
赤い城さん,クイズがホントに精神的負担となっていたようで,察することができずに失礼いたしました。
今回はたまたま正解しましたが,私はあまり正答率がイイほうではないですよ。コロナでの籠城期間,todo94さん,カルビンさん,にのまるさんにクイズで随分と鍛えられました。なんと,越後関連は解答指名されてました。しりとりの最適なリレーを考えてる中…。「まぢかぁ~!」と心の中で叫びつつも,自分の居場所が少しずつ固定されてきたカンジです。
笑い飛ばすぐらいの気持ちで受け止めていただけたら幸いです。
さて,城輪柵の近くに,赤い城さんが喜びそうな空堀がありました。もう,雪は完全に解けていると思います。赤い城さんは車でのアクセスがほとんどかと思いましたので,比較的スイ~ッと行けるのでは。「風車村」を目標に。
群馬へはしばらくごぶさたです。コロナで新潟~高崎間の高速バスが全便運休。いまだに運転再開しておりません。私の中ではリーズナブルで重宝してました。再開したら,佐野か伊勢崎あたりでホテルをリザーブして,廻りたい気持ちはあります。
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分類・構造 | 山城 |
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築城主 | 斎藤俊氏? |
築城年 | 建武2年(1335) |
主な城主 | 斎藤俊氏、北楯利長 |
遺構 | 曲輪、土塁 |
再建造物 | 説明板 |
住所 | 山形県東田川郡庄内町狩川楯下 |