6月に庄内町清川に行った際、世界かんがい施設遺産に登録されている「北楯大堰」を知りました。最上義光の臣狩川城主北楯大学助利長が開削した農業用水で、工事は慶長17年(1612)に着工され、総延長10kmもの堰は現在も米どころ庄内平野の水田を潤しています。
戦いに明け暮れた戦国時代の終わりにこのような大規模な工事をと意外な気がしました。しかし戦国大名は築城や、城下町の設計、道路の整備、鉱山開発や治水などの土木工事を領国経営のために行っていたのだと思います。
所用で庄内を訪れることとなり、気になっていた狩川城を攻城しました。城跡は庄内町狩川にあり、現在は桜の名所楯山公園として住民に親しまれ、この日も本丸跡ではグランドゴルフ大会が開催されていました。
比高40mほどの丘陵北端に位置し、西側は切り立った崖、南北に長く広い本丸に、小ぶりの二ノ丸、三ノ丸が続く連郭式縄張り。本丸は公園化でかなり改変されているようですが、本丸南端の土塁や大規模な堀切、虎口跡など遺構を観ることができ、中世城館の面影も感じられました。
当時原野だった庄内平野も見渡すかぎり田んぼが続き、北楯大堰のありがたさを感じました。
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