ならおかじょう

楢岡城

秋田県大仙市

別名 : 揚土城
旧国名 : 出羽

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夏の雪だるま

戸沢氏重臣 (2016/04/24 訪問)

角館城から南西20㎞にある大仙市南外にある楢岡城です。角館戸沢氏の重臣で5千8百石を領していたと言われる小笠原氏が城主です。小笠原氏はもともと楢岡城から約30㎞南の平鹿郡の増田城主でしたが、県南の雄、小野寺氏に攻められ、南外に落ちてきたもので、その当時この地の城主だった佐原氏の城を1458年奪い、小野寺氏に対抗するため角館の戸沢氏と関係を重ね臣下となったものです。小笠原氏はその後、この地の楢岡氏を名乗っています。1529年戸沢氏当主秀盛が亡くなり、わずか5歳の道盛が家督を継いだおり、叔父の忠盛が角館城を奪う事態が発生、楢岡氏は角館城から逃れた道盛を助け忠盛から角館城を取り戻したとされます。また、1543年横手城の小野寺氏が角館城攻略に出たおりには、開城に傾いた戸沢家臣団を道盛の生母と共に説得、戸沢氏の危機を救ったといわれます。伝承では、1556年跡継ぎの男子がなかった楢岡氏は、武田信玄に敗れた信濃国の守護小笠原長時が各地を放浪してたおり、同じ小笠原一族として長時の当時3歳の子供を養子にもらい、その後娘婿とし光兼と名乗らせ世継ぎとしたと言われています。記録にある小笠原長時の3人の子供ではないため、伝承が正しいとすれば長時に仕えた下女に生ませた子供ではないかと思われます。小笠原長時は会津芦名氏の食客となっていたおり、家臣の妻に手を出し殺害され68歳で亡くなったとの話もあり、ありうることと思われます。城は雄物川支流楢岡川の左岸丘陵の標高50mに本丸、二ノ丸、三之丸を配し、東西250m南北350mの規模を有していたとされます。楢岡氏の菩提寺であった常泉寺が城の入口にあります。城は関ヶ原の戦いの後、戸沢氏が角館から常陸国に移封となり、楢岡氏も戸沢氏に従い1601年廃城となったとされます。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 佐原氏
築城年 不明
主な城主 佐原氏、楢岡(小笠原)氏
廃城年 慶長6年(1601)
遺構 曲輪、腰曲輪、堀切、横堀(空堀)、土塁、虎口
再建造物 碑、説明板
住所 秋田県大仙市南外揚土