ゆざわじょう

湯沢城

秋田県湯沢市


旧国名 : 出羽

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TMN97

湯沢城址 (2021/11/22 訪問)

湯沢城址

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カズサン

車で本丸近く熊ベル鳴しドキドキの本丸探訪 (2020/10/25 訪問)

 稲庭城を終えて北西方向約12、3km程の湯沢城を目指す、情報、ガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさんにより車で行ける本丸近くへ通ずる湯沢高校北の通りに合わせる、県道277号線の湯沢高校北の辺りに湯沢城の標柱在り、さらに進んで山に入る辺りに湯沢城への標柱、そこより舗装林道を1,5km弱に案内看板、林道を幅広くした駐車エリア5、6台は可能。
 杉林と陽が傾き薄暗くなり熊注意も不安に成りながら5分から10分ベルを鳴らしながら整備された遊歩道、尾根道を進むと馬場跡と土塁、更に進み本丸手前に櫓台の様な社土壇切岸の様、直ぐに本丸わりと小さい、その先北に馬屋、池、各曲輪群と北端に二の丸が有る様ですが本丸で引き揚げドキドキの20分弱でした、下城して中央公園側に別登城路が有り登城口に佐竹南家の城門が移築されてるとの情報で中央公園駐車場に停めて招魂社の階段を上がり移築城門発見、これで湯沢城終了です。

 歴史的には雄勝郡を領有してた小野寺氏の城郭ですが最上氏との抗争で湯沢城は落城、関ヶ原では最上氏との確執で上杉方と成った関ヶ原の結果小野寺氏は改易された、秋田に佐竹氏が入封し湯沢には佐竹南家を置いた一国一城令により廃城。

 湯沢市は現在菅総理誕生で整備された市街地に菅総理の誕生を祝う幟旗が連なって立てられています、まだまだ新総理誕生の興奮が充満してました、綺麗な市街地です。

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夏の雪だるま

小野寺・最上の攻防の城 (2016/05/08 訪問)

秋田県南部の湯沢市にある湯沢城です。鎌倉時代後期秋田県雄勝郡に入部した小野寺氏稲庭城の支城として築かれ、のちに小野寺氏は雄勝・平鹿二郡を領する戦国大名に成長してます。しかし、1593年山形最上氏の雄勝郡侵攻が始まり、国境の八口内城など数城が最上氏に攻略され、さらに、1595年雄勝郡の小野寺方の重要拠点である湯沢城周辺の小野寺方の西馬音内城主など5城主が最上氏に従属、しかし、湯沢城主小野寺孫七郎兄弟は従わなかったため最上氏は主将楯岡満茂、先鋒鮭延秀綱の兵6千で湯沢城を攻撃。湯沢城には小野寺孫七郎兄弟が兵8百で籠城。小野寺本軍の援軍は来ず、多勢に無勢で落城必須と知った城主孫七郎は妻子を殺害、残った兵3百と城から突撃。最上軍に多大の被害を与えますが残兵50名となり燃え盛る城へ引き返し切腹したとされます。以後最上氏家臣楯岡満茂が湯沢城主となり小野寺領侵攻の前進基地となります。関ヶ原の戦い後、佐竹氏が秋田に転封となり湯沢城には佐竹南家が城代となり城と城下町を整備します。しかし、1620年一国一城令により廃城。城山麓に館をたてこの地を治めたとされます。城は、湯沢市街地の市役所向かい側の標高230mの古舘山に築かれた山城で本丸、二ノ丸、馬場郭からなり東西400m南北650mの規模といわれ、現在は中央公園となっています。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 小野寺道定
築城年 建治3年(1277)
主な城主 小野寺氏、楯岡満茂(最上氏家臣)
廃城年 元和6年(1620)
遺構 曲輪、土塁、堀切、櫓台
再建造物 碑、説明板
住所 秋田県湯沢市古館山
問い合わせ先 湯沢市丸ごと売る課
問い合わせ先電話番号 0183-73-2111