いわさきじょう

岩崎城

秋田県湯沢市

別名 : 一名建ヶ城、(岩崎陣屋)
旧国名 : 出羽

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3郭より1郭を望む
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カズサン

独立丘陵の丘城 (2020/10/25 訪問)

 湯沢城を終えて北に約5km程城びと登録未踏の城岩崎城にチョット寄りました、ナビは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさんの情報、ガイドにより3郭下の帯曲輪、八幡神社の東、駐車場に合わせ走行、直前の村中の道が狭く若干迷いましたが無事同駐車場に到着。
 夕暮れ前少し暗く成って来ましたが余湖図コレクションさんの俯瞰図で城域を探訪、3郭、玉子井戸、1郭下帯曲輪から1郭へ藤棚が有る、2郭に降り2郭北の櫓台に神社が鎮座、2郭虎口から3郭へ、薄暗い中での早足探訪、八幡神社の岩崎陣屋の移築唐破風を探訪忘れました。
 千年公園として保存整備され大切に管理されています草も刈られ大変探訪しやすい。

 歴史的には小野寺氏一族で雄勝郡支配の支城として約300年以上の領地経営していましたが最上氏の抗争で小野寺一族と共に滅亡へ。

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夏の雪だるま

小野寺・最上攻防の城 (2018/05/12 訪問)

秋田県湯沢市の北部の皆瀬川左岸にある丘の先端部標高110mに位置する、本丸・二の丸・三の丸を配する東西250m南北180m規模の岩崎城です。城西側の羽州街道と皆瀬川の監視を目的とした湯沢城の支城とされます。築城年代は定かでありませんが、戦国時代秋田県南を領した小野寺氏の庶流岩崎氏が城主でした。1590年奥州仕置で雄勝郡は山形の最上義光の領土とされますが、小野寺氏は雄勝郡の支配を継続したため、最上義光は、1593年より雄勝郡侵攻を開始、国境の諸城を攻略、1595年雄勝郡の重要拠点である湯沢城を最上軍6千の兵で攻撃、激戦のうえ落城させると、岩崎城を6百の兵で夜襲。岩崎城は援軍も無く守兵2百と手薄であったため落城。最上氏家臣原田氏が城主となます。1602年佐竹氏が移封となると佐竹氏の城となりますが、1615年一国一城令により廃城となっています。1868年岩崎城址南麓に佐竹支藩2万石が陣屋を構えて岩崎藩を置きますが、1871年わずか3年で廃藩置県により廃藩となっています。城跡は現在、千年公園として藤棚などを整備、5月には藤祭が開催されています。本丸東側の堀をJR奥羽本線が走り、二の丸東端櫓台跡に高辻神社、三の丸に玉子井戸・能恵姫像があります。三の丸の下にある帯郭の八幡神社拝殿の唐破風が陣屋殿舎からの移築と伝えられ、その奥に水神神社と鹿島様の藁像があります。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 岩崎(藤原)河内守
築城年 建長・文永年間(1249〜1275)
主な城主 岩崎氏、原田氏(最上氏家臣)
廃城年 元和元年(1615)
遺構 曲輪、櫓台、土塁、横堀、井戸跡
再建造物
住所 秋田県湯沢市岩崎(千年公園)