つくもばしじょう

津久毛橋城

宮城県栗原市


旧国名 : 陸奥

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主郭に在る碑と祠
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カズサン

義経伝説が活きている (2023/09/17 訪問)

 宮沢遺跡の探訪前に若柳金成ICを降りて義経伝説の義経北行伝説なる義経身代わり杉目太郎行信公供養碑と同室の祠が主郭に祀られている津久毛橋城を初登城しました。

 駐車場:栗原市金成津久毛岩崎沢の岩崎集会所、県道186号線沿いで数台は可能、約500m手前
 参考資料:古城盛衰記さんグーグルマップに依ります。

 車を駐車利用した岩崎集会所から県道186号線を西行約500m、途中に猿田彦神社、岩崎舘跡、岩崎舘標柱、手作りの津久毛橋城跡案内指示板があり散策気分、指示板山手に登城口、脇に津久毛橋城跡案内板、草の刈られた登城坂を登って行くと切岸城塁、杉林、畑跡か?帯曲輪跡か?階段状に主郭まで連なっているが比高は20m程、途中には幟「義経北行伝説の影武者 杉目太郎行信公の供養碑」が数本、津久毛橋城跡標柱が立っている。
 主郭には杉目太郎行信公の供養碑(グーグルマップでは胴塚碑と成っていますが?)と同室の小祠が並んで祀られています、また脇に「源義経の身代り杉目太郎行信公の碑」解説板が有ります。
 高舘で自刃したのは影武者杉目太郎行信公で源義経北行伝説の立役者との伝聞が記されています、歴史読本で義経ジンギスカン伝説なるものを読んだ記憶が蘇って来ました。
 また南北朝時代には北畠顕信が南朝回天の拠点を津久毛橋城に築き北朝方の足利氏の武将石塔義房と大合戦を展開したと解説板にあります。
 

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ぎりょう

陸奥 南北朝期の戦いの歴史が残る城 (2019/12/14 訪問)

栗原市金成地区に残る南北朝期に築かれた城。三迫川沿いの平野の北端に位置する小高い丘の頂上が主郭で、北、東、西は急斜面で守られ、南側は三段の腰曲輪が廻る。現在も一部は畑地に利用されているがとても見やすい状態である。駐車場は無く路上駐車となる。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 北畠顕信
築城年 興国2年〔南朝〕/暦応4年〔北朝〕(1341)
主な城主 北畠氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建造物 碑、説明板
住所 宮城県栗原市金成津久毛字平形松迫