上杉氏との勢力争いの地で伊達政宗が攻略、戦国期は伊達家臣の横尾氏、その後は一門の石川氏が詰めた。江戸期は石川氏重臣が藩境警備や街道警護に当たったという。
七ヶ宿街道、上山や米沢への分岐点近く、湯原集落北側、標高520mの高台に連郭式の中世山城遺構がよく残っている。西側の広い区画が主郭の上館で北側の土塁は高く背後の堀は深い。副郭というべく東郭の間には堀、土塁、虎口があり、絵図によると廊下橋があった。絵図通りの上館東郭の遺構がよくわかる。居館や表門を構えた二の丸は、今は街道Hostelおたてになっている。
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