どくさわじょう

毒沢城

岩手県花巻市

別名 : 毒沢館
旧国名 : 陸奥

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駐車場からの登城階段
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カズサン

初登城にて毒沢城初番投稿 (2024/05/22 訪問)

 未投稿に成っていた寺林城に続き毒沢城も初登城して毒沢城初投稿致します。
 平成29年(2017年)5月には花巻市土沢城、遠野市鍋倉城探訪し毒沢城はパスした経緯の有る城跡です。

 住所:岩手県花巻市東和町中内9区
 駐車場:県道284線沿い毒沢城登城口前駐車場(39°20'49"N 141°14'06"E h=170m)、小型車2台可能、グーグルマップに駐車場マークが載っています。
 参考資料:城郭放浪記さん余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。

 寺林城を終えて東北道経由釜石道東和ICを出て県道39号線を南下し県道284号線へ国道456号線手前400m程に駐車場、標柱、案内板が有り良く分かりました。
 駐車場に毒沢城跡周辺案内図(平成5年4月15日毒沢城跡保存会作成)が有り本丸までのポイントポイントの距離が記載されて、登城口を登ると、本丸まで400mの指示板、320m、300m、250m、200m、100mと記載あり、県道沿いに毒沢城跡案内解説板縄張図付き(平成13年9月東和町教育委員会作成)が有り、隣スロープ登城口に毒沢城跡入口の標柱が在ります。
 
 駐車場側の丸太階段を登って本丸まで400mの表示板、踊り場過ぎて第二段の丸太階段、踊り場、第三段目の丸太階段上ると本丸まで320mの表示板、近づいてくる誘惑で登城を誘われます、その後は、山寺の水、池、水芭蕉池と続き平場の遊歩道、本丸まで100mに来てロープ付き手摺、二段階の登り丸太階段が続き本丸到着です、本丸手前右手に本丸切岸と曲輪案内図では二の丸?とある、登って左手に曲輪三の丸?とある、西側から北側に廻り込んでる三の丸、北側には東屋、本丸内部は草叢状態、他の二の丸三の丸も同じ状態、本丸中心に毒沢城跡の標柱、本丸一段下がった東曲輪に毒沢館の由来案内板、草叢状態であまり歩き回れませんでした。
 本丸まで100m辺りに低い堀が有り南側の東に伸びた尾根曲輪の様子が窺える。また平場の遊歩道本丸まで250m~200m辺りは北郭の南裾に当たるようです。
 北郭が北東方向に有るようですが草が茂り道もわからず、本曲輪のみで終了しました。
 遊歩道は草もあまりないが100m手前から左右の曲輪本丸は草叢状態、この時期ですからしょうがないのでしょう、山城は晩秋から春先まででしょうかね?

 歴史は案内板によると、毒沢氏の築城、源氏流れの和賀氏族、天正18年の秀吉奥州仕置きで毒沢氏は追放、毒沢氏一族の毒沢一忠は末子作十郎(藤吉)を伊達政宗に願い出て小姓に奉公その折、毒沢氏から只野氏に改めて、その後中新田に1200石を給わった。一女は政宗の側室に成り政宗第10子宗勝を産み後に一関藩主(3万石)となる。(案内板抜粋)

 
 毒沢城を認識してから7年振りの登城と成りました、熊を警戒しての登城ですがここには熊注意の看板は無く少しは安心でした。
 

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 毒沢氏
築城年 不明
主な城主 毒沢氏(只野氏)
遺構 曲輪、帯曲輪、土塁、堀切
指定文化財 市史跡(毒沢城跡)
再建造物 説明板
住所 岩手県花巻市東和町毒沢
問い合わせ先 花巻市教育委員会文化課
問い合わせ先電話番号 0198-45-1311