加世田城は平安時代、平氏の流れをくむ別府五郎忠明によって築かれました。
加世田城(別府城)は福寿城・尼ヶ城・中之城の三城で構成されていましたが
明治36年に地ならしがされ、尼ヶ城の一部を残し削り取られてしましました。
現在城址碑の建っている城址公園はその尼ヶ城の残された部分になります。
加世田城は島津氏に吸収されたので当然麓が存在します。
一国一城令で薩摩は各地に残った城の麓に地頭を置き、いざという時に備えました。
加世田城も江戸時代は加世田麓として存在していたはずです。
まずは加世田城の残遺構を確認したのち、加世田麓の地頭仮屋に向かいます。
現在は加世田幼稚園になっているようです。
石垣のようなコンクリートブロックの奥にいかめしい門柱がたっていて
たしかに地頭が住んでいてもおかしくないような雰囲気を漂わせています。
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