にしはらじょう

西原城

鹿児島県鹿屋市

別名 : 舞天城
旧国名 : 大隅

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二の丸土塁と図師氏の五輪塔
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しんちゃん

朝田さん神奈川県コンプリートおめでとうございます   西南戦争の際には官軍が陣を敷き敗北。 (2025/05/08 訪問)

朝田さん 神奈川県コンプリートおめでとうございます。
西原城は現在、城山公園となっており、舗装された車道が上まで続いています。公園として整備されているため、堀切などの遺構が解りづらくなっている所はあります。二の丸と思しき場所の一角に土塁が残り、城主の図師氏の宝塔や五輪塔が並んでいます。ちなみに左の三基が図師氏のもので、右の立派な三基は元町長が近くの墓地から藪に埋まっていたのを移転して来たものらしいです。どうやら百引地方を治めていた鶴田家の祖先の墓のようです。二の丸の東に有る大きな曲輪が本丸と思われます。
車だと非常に訪問がしやすい城址で、未訪の城として残っていたのも、あまり人が訪れない場所にあるからだと思われます。

西原城主・図師氏が二十代・434年もの間、居城とし高山の本城の支城として機能し、北朝方の島津氏に備えていたようです。図師氏は当地で南朝方として活躍しましたが、後に島津氏に従ったようです。ちなみに東方200にあるAマート輝北店の駐車場には図師氏の居館があったようです。
西南戦争の際には官軍がここに陣を敷いたようですが、薩軍に攻められ大敗を喫したとされています。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 図師祐貞
築城年 養和元年(1181)
主な城主 図師氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建造物 碑、説明板
住所 鹿児島県鹿屋市輝北町上百引一番郷