ひらさじょう

平佐城

鹿児島県薩摩川内市

別名 : 諏訪之尾城
旧国名 : 薩摩

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城址碑
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しんちゃん

詰めの城の無い仮屋の跡。かつては寡兵で大軍を相手取る。 (2033/01/04 訪問)

平佐城は応永14年(1407)ころから記録が残る、島津氏の城です。
豊臣秀吉の九州征伐の際、島津氏の地頭桂忠昉が300の兵をもって籠城し
8500の豊臣勢を相手に戦いました。
江戸時代は島津系列の平佐北郷家の私領となり、かつての二の丸跡に領主(地頭)
の仮屋が置かれました。
現在の平佐西小学校がそこに当たり石碑が立っています。
訪問した際には、正月でもグラウンドで子供たちが遊んでいましたが、
同伴の保護者の方にお願いして石碑を確認させていただきました。

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城好きのメガネ

「平佐城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
平佐城は、入来院重朝が改修したとされる。1569年頃に、入来院氏が島津氏の傘下に入ると、島津氏の拠点となり。豊臣秀吉の九州征伐の際、地頭の桂忠昉が300人で籠城。豊臣軍8500人の軍勢を相手に奮闘した。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR川内駅 徒歩10分

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todo94

大晦日の攻城 (2016/12/31 訪問)

小学校の一角に城址碑があります。川内駅にかけて城域が広がっていたそうです。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 薩摩氏
築城年 鎌倉時代後期
主な城主 薩摩氏、入来院氏、桂忠(島津氏家臣)
遺構 消滅
再建造物 石碑
住所 鹿児島県薩摩川内市平佐町藤崎他