穆佐城は伊東氏の城で四十八城の一つです。
古くは南北朝時代に松尾城の土持氏がこの城を攻めたという
記録があり、後に伊東氏と島津氏で、この城を
奪い合い、最終的に島津氏の城になりましたが
慶長20年(1615)の一国一城令により廃城となりました。
城域は広く、全体に郭が配され中央の主郭の西側には大きな堀切があります。
私が訪れた際には東の登城口から主郭周辺までは良く
整備が行き届いておりました。西側のCの郭の周辺あたりは
いささか雑草が成長してましが、西に抜けると北側には
出丸があり、なぜかビタミンの父・高木兼寛氏の銅像と案内板があります。
ビタミンB1には脚気を防ぐ効果があって玄米やそばに含まれているそうです。
江戸で庶民が白米を食べるようになり、将軍病と言われた脚気がはやった際に
そばが脚気に効くと評判になり、そばを食べるようになったといわれています。
そんな江戸時代の知恵も高木氏の功績も日露戦争に生かされず多くの
兵士を脚気で失ったのは痛恨の限りです。
話がそれましたが、この地域には珍しい縄張りの
非常に堅固な城だと思いました。
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