西都市の北方に一ツ瀬川の流れの北側の台地があるのですが、西端の崖上に築かれた城跡です。
都於郡城の伊東氏四十八城の一城に挙げられている城で、伊東氏が敗北した時には、長倉洞雲斎が城主であった様です。
城跡は、九州南部に多く見られる構造で、曲輪は、周辺より一段高く切り立っています。
穂北城の碑のある曲輪へは、曲輪と曲輪の間にある堀底を通り、道なりに進むと着きます。眺めは眼下に西都市の中心部を眺められ良いです。
この時は、夏の大雨で道がかなりデコボコしてました。
城跡の殆どが、竹林で覆われ遺構をクッキリ見る事が出来ませんでした。
この城跡へは、西都市の方から行くと、小さい看板があるのでわかりやすいと思います。県道313号線で茶臼原台地へ上がり切る手前で小さな看板があるので、それを頼りに左へ曲がり、看板に沿って行くと穂北城の駐車場があり、3台分くらい停められます。
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