ほきたじょう

穂北城

宮崎県西都市

別名 : 上野城
旧国名 : 日向

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しろちゃん

西都市北部の台地上に築かれた城跡 (2019/01/19 訪問)

西都市の北方に一ツ瀬川の流れの北側の台地があるのですが、西端の崖上に築かれた城跡です。

都於郡城の伊東氏四十八城の一城に挙げられている城で、伊東氏が敗北した時には、長倉洞雲斎が城主であった様です。

城跡は、九州南部に多く見られる構造で、曲輪は、周辺より一段高く切り立っています。
穂北城の碑のある曲輪へは、曲輪と曲輪の間にある堀底を通り、道なりに進むと着きます。眺めは眼下に西都市の中心部を眺められ良いです。
この時は、夏の大雨で道がかなりデコボコしてました。
城跡の殆どが、竹林で覆われ遺構をクッキリ見る事が出来ませんでした。

この城跡へは、西都市の方から行くと、小さい看板があるのでわかりやすいと思います。県道313号線で茶臼原台地へ上がり切る手前で小さな看板があるので、それを頼りに左へ曲がり、看板に沿って行くと穂北城の駐車場があり、3台分くらい停められます。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 伊東氏
築城年 天文年間(1532〜1555)
主な城主 長倉氏(伊東氏家臣)、平田宗張(島津氏家臣)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建造物 説明板
住所 宮崎県西都市大字穂北
問い合わせ先 西都市社会教育課
問い合わせ先電話番号 0983-43-0846