しおみじょう

塩見城

宮崎県日向市


旧国名 : 日向

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主郭虎口
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しんちゃん

日向三城 (2025/05/05 訪問)

塩見城は南北朝時代に土持氏が築いたとされ日知屋城、門川城とともに「日向三城」と呼ばれました。その後、都於郡・伊東氏の支配下に置かれ綾民部左衛門義恒が居城しました。戦国末期には伊東氏庶流の右松四郎左衛門が塩見地頭として入りましたが、天正5年(1577)に伊東氏が豊後に敗走すると島津氏の城となりました。
城址は比較的コンパクトで丘陵の頂部に主郭が置かれ虎口周辺には土塁も残ってます。主郭の東と西に郭があり、いずれも主郭と繋がっています。城址近くの道から舗装された登城道が東郭まで通じていますが、歩いて行った方が良さそうです。

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しろちゃん

日向三城の一つ (2019/01/19 訪問)

塩見城は、南側が塩見川が西より東へ流れて、台地の上に山があり、その山頂に築かれた山城です。

塩見城の築城は、土持氏によって築かれた城で、戦国時代、伊東氏の勢力下に入りますが、島津氏との高城の戦いによって大敗北をきっし、島津氏の所領となりますが、その後、豊臣秀吉の九州征伐により、延岡の高橋氏の所領となり、廃城になりました。

塩見城へは、日向市街地から国道327号線を西へ進み、水月寺を目標にして、国道から、右折『交差点名、覚えてないので、後で調べます』し、水月寺に向かって登りになります。城山墓園を通過し水月寺の後方の山が塩見城です。水月寺の左側の車道を進むと、右前方に登る道があるので、そこを登ると城跡に到着。
車3台程停めれそうでした。

城跡は、冬場であった為か、草刈もされていて遺構の状態も把握しやすかったです。
本丸と思われる一段高い所は、細長く、その本丸から東側は、駐車した場所になり、一方で南側へ降る道があり、虎口がありその下はL字型の曲輪がありました。
見晴らしは良いです。

この、城びとには出てませんが、塩見城の麓にある国道327号を更に西へ10キロ弱進むと、山陰城の出城と思われますが、西城があり公園化され曲輪と堀切が残っています

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todo94

日向三城其の参 (2019/02/10 訪問)

日向三城の1つで、城山公園として整備されています。東九州道が近くを走る山城ですが、城名から連想されるように日向灘を望むことができました。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 土持氏
築城年 南北朝時代
主な城主 土持氏、綾氏、右松氏(伊東氏家臣)、吉利氏(島津氏家臣)
廃城年 元和元年(1615)
遺構 曲輪、土塁、堀切
再建造物 説明板
住所 宮崎県日向市塩見