宮崎城は図師六郎入道慈円が南朝方に応じて挙兵した際に築かれたとされています。北朝方の土持氏に攻められ落城した後は、土持氏の城となり、文安4年(1446)に伊東祐堯が攻略して以降は、伊東48城の一つとして家臣の落合彦左衛門が置かれました。島津氏に追われ、伊東氏が豊後に逃げてからは島津氏の持城となっています。
この地域では外せない城だと思い、朝から攻略をしていますが、朝方からの雨で限定的な攻略に留まっています。満願寺口から攻略し、分岐を北に回って、目曳城と周辺を散策します。その後分岐に戻って、本丸から彦衛門城(百貫城?)を散策して引きあげました。
本丸と彦衛門城の周辺には堀が残っています。城域もなかなか広く、この周辺では名の通った山城ですが、整備の手は行き届いておらず、案内の標柱なども見当たりませんでした。もっと登城道や藪刈などの整備がされれば、面白い城になるとは思うのですが、いささか残念ではあります。
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