みやざきじょう

宮崎城

宮崎県宮崎市

別名 : 池内城、目引(目曳)城、龍峯城、馬索城
旧国名 : 日向

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満願寺口より登城
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しんちゃん

城域南部の整備がされると、面白い城になりそう。 (2025/05/06 訪問)

宮崎城は図師六郎入道慈円が南朝方に応じて挙兵した際に築かれたとされています。北朝方の土持氏に攻められ落城した後は、土持氏の城となり、文安4年(1446)に伊東祐堯が攻略して以降は、伊東48城の一つとして家臣の落合彦左衛門が置かれました。島津氏に追われ、伊東氏が豊後に逃げてからは島津氏の持城となっています。
この地域では外せない城だと思い、朝から攻略をしていますが、朝方からの雨で限定的な攻略に留まっています。満願寺口から攻略し、分岐を北に回って、目曳城と周辺を散策します。その後分岐に戻って、本丸から彦衛門城(百貫城?)を散策して引きあげました。
本丸と彦衛門城の周辺には堀が残っています。城域もなかなか広く、この周辺では名の通った山城ですが、整備の手は行き届いておらず、案内の標柱なども見当たりませんでした。もっと登城道や藪刈などの整備がされれば、面白い城になるとは思うのですが、いささか残念ではあります。

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カズサン

群郭式山城意外と登城はキツイ (2020/11/22 訪問)

 鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻りにリストアップし第4弾4城目、新富町のビジネスホテルを7時半に発ち国道10号線を南下県道44号線池内交差点を南下し道端に案内看板有りここより入り万願寺口のの登城路へ、(ナビは宮崎県宮崎市池内町寺迫1600に合わせGoogleMap微調整)車は入口の駐車エリアに停める。専用駐車場かどうかは分かりませんが結構広く当日日曜日で他に駐車無し。
 宮崎城は宮崎県の城として城郭雑誌、ネットに宮崎県ベスト10に入って居り以前から認識はしてたのですが山城土の城で宮崎県何回と尋ねる中外してばかり今回初登城しました。
 
 万願寺登城口から築城400年を記念した登城冠木門(結構経年してくたびれてます)を通り道なりになだらかなツズラ折の坂道を登るが比高80mながら結構きつい、本丸と目曳城左右を示す看板に当たり、ここは両曲輪の大堀切、本丸に登る、結構広い、本丸を示す標柱は朽ちて倒れてる、南の彦衛門城への登城路と空堀を見下ろす、本丸を降り大堀切を通り目曳城へ道と一部曲輪は草刈りされてるが殆ど藪や草伸び放題、服部城方向の道へ、昇り降りがきつそうでまた城域が広くここまでとして下城した。
 切り立った断崖、群郭式の南九州型、しっかりと認識しましたが草の茂り、藪化で全体を観るのは至難の業と言わざるを得ないが一部でも拝見できて有り難い。

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todo94

古事記編纂1300年 (2012/02/25 訪問)

伊東氏が佐土原城から移った城・宮崎城にはさほど期待していなかったのだが、これが中々の城。南九州に多い群郭式の城だからさほどの登山はないだろうと思っていたが、結構な山城でしっかりと汗をかいてしまった。それぞれの郭を城と呼ぶのは南九州の群郭式の城の特徴である。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 図師六郎入道隋円・慈円父子
築城年 建武2年(1335)頃
主な城主 伊東氏、上井覚兼(島津氏家臣)、権堂種盛(高橋氏家臣)
廃城年 元和元年(1615)
遺構 曲輪[椎城(本丸)・野首城・百貫城・目曳城・射場城・斉藤城・長友城・服部城・彦右衛門城・丸城・馬乗馬城]、堀切
指定文化財 市参考文化財
再建造物 碑、説明板、冠木門
住所 宮崎県宮崎市池内町字城
問い合わせ先 宮崎市教育委員会文化財課
問い合わせ先電話番号 0985-21-1836