春の長崎天草を巡る旅、(2城目)は「三城城」です。
三城城の築城者は、キリシタン大名で有名な「大村純忠」です。純忠は、平戸で松浦氏と不仲になり行き場を失ったポルトガル商人らを受け入れ、商人に影響力のあるイエズス会よりキリスト教の洗礼を受けて、日本で初めてのキリシタン大名となります。平戸の松浦氏や武雄の後藤氏や龍造寺配下で諫早の西郷氏などから攻められるも、わずかな兵でこの城を守り抜き、有馬晴信の甥にあたる事から、秀吉から九州平定後も存続を許されたようです。
純忠はかなり熱心な信者で、ポルトガルとの関係を深めたかったようです。寺社仏閣などを壊し、強制的に領民をキリスト教徒にしたため、大村の領民は大半が信者となり、当時の日本最大のキリスト教の街になりました。
JR大村駅からまず三城城を見上げました(写真⑤)。そして歩いて15分で本丸へ着きました。キリシタン大名の城だったにもかかわらず、なぜか現在は戦没者忠魂塔になっていました。
純忠の時代の大村は、教会があり城下には貿易や商人で繁栄している南蛮文化で栄えた街だったと思います。この丘から大村市街や大村湾を眺め、そんな事を想像してしまいました。
しかし純忠死後、子の大村喜前はいち早く棄教し、教会などは破壊して棄教しないキリシタンを五島へ追放します。そして玖島城を築城して豊臣や徳川に忠節を誓ったため、大村家は幕末まで存続できたようです。
キリシタン大名と言えば、私はこの大村純忠の他にも、有馬晴信、大友宗麟、小西行長、高山右近らの名前が思い浮かびます。彼らはキリスト教に、いったいどんな救いを求めていたのだろうか🤔? そんな事までもふと考えてしまいました。
次は(3城目)その喜前の玖島城に続きます。
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