なおやじょう

直谷城

長崎県佐世保市

別名 : 内裏城、内裏山城
旧国名 : 肥前

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大手道側の本郭下垂直岩盤
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カズサン

【お城川柳】垂直岩盤切岸で一句

 ・ 松浦党 岩盤刻みし 直谷城

 お城川柳の投稿期限が後1週間と迫り詠んでみました。
 長崎県佐世保市吉井町に在る直谷城は松浦一族の城郭ですが岩盤を切り刻み垂直な切岸状態で急峻な地形を活用して堅固な城郭です、垂直岩盤に驚愕しました。
 城内に入り込んでしまうと全体像が掴めませんが案内板の想像俯瞰図を合わせて観ると凄さが実感出来ます。

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カズサン

松浦党垂直岩盤の堅城 (2020/11/26 訪問)

 怡土城、伊都国歴史博物館を終えて県道56号線、国道263号線を南に脊振山地を越えて佐賀大和IC経由今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り第23城目直谷城を目指す、ナビは長崎県佐世保市吉井町直谷、GoogleMapを微調整して直谷城の搦手駐車場に合わせる、(吉井小学校の裏山内裏山の西)、長崎道、武雄JCTを佐世保道経由終点佐々ICを降り国道204号線を松浦市方向県道40号線へ松浦市方向、吉井小学校に着くここには直谷城大手口等の看板が有るが過ぎて約800m程に直谷城搦手口の案内看板が有り橋を渡り林道舗装道に入る、約600m程回り込む様な形で直谷城の搦手駐車場がある、駐車は十分に余裕有り大型バスも駐車可能、トイレ有り若干古い。

 駐車場の南に登城階段、脇に案内板、想像俯瞰図、石碑、搦手道からの入城はアップダウンが少なく登城しやすい、岩盤を削った搦手道、竪堀、搦手門跡、岩盤土塁を切った虎口、虎口を越えて、岩盤土塁の裾を通り、「搦手、本丸」の分岐案内板、ここから南下が大手口ですが本丸に進む、鳥居を潜り一ノ木戸から本丸へ、垂直岩盤の上が本丸、天守台、物見櫓台、今は通行禁止の姫落としの崖、天守台の西に二の丸、草は刈られて整備されてる、覗くとゾッとするくらいの崖です。
 
 先程の分岐案内板まで戻り折角楽な道で探訪したのにと思いましたが大手口方向に降りる事に、二の木戸、大手道を南へ、両岸の岩盤が迫って来そうな深さ高さ、馬蹄形に南に開けてる、杉枝で埋まってるが四角な井戸跡、渓谷いっぱいに土塁が4連で南大手口へ連なってる、二の木戸側から1の土塁2の土塁3の土塁4の土塁と防御、間には当然空堀が有ります、小学校までは行きませんでしたが4の土塁の先の案内板まで、来た道を登り搦手駐車場へ。 大変見応えが有り感動興奮の直谷城探訪でした大満足です。
 
 帰りがけに地元の中学生がバス1台で直谷城社会授業、地元専門家案内付き、時間があったら一緒に回りたかったな!、専門家の方に直谷城の資料かパンフレット有りませんかと尋ねると頭の中との返事、中学生大いに勉強して下さい。

 歴史は松浦党一族の居城、室町時代には東シナ海を舞台に朝鮮国、琉球国との海上交易が活発、戦国時代竜造寺氏大村氏松浦氏相抗争し最終的には松浦隆信の所領と成った。元和元年(1615年)の一国一城令で廃城。

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todo94

歯朶の繁茂 (2014/09/14 訪問)

真っ直ぐ伸びる大手道に直交して4本ほどの土塁と空堀が連続しているが、残念なことに歯朶が繁茂していて土の城の魅力を堪能できる状況にはなかった。山城攻めは冬枯れの季節に限る。主郭はかなりの広さを持ち、物見台や天守台を従えて中々の佇まいであった。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 志佐貞
築城年 寛元年間(1243〜1247)
主な城主 志佐氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、物見台跡、門跡、井戸、帯曲輪、竪堀
指定文化財 県史跡(直谷城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 長崎県佐世保市吉井町直谷1007-134他(内裏山)
問い合わせ先 長崎県教育庁学芸文化課
問い合わせ先電話番号 095-894-3384