戦国期は、戦略上の拠点として大友勢や秋月勢などの間で争奪が繰り返され、戸次(立花)道雪も居城したという。その後、田中吉政の弟・清政が城主となり、赤司八幡宮や城下が整備された。写真の城址碑は、八幡宮や納骨堂から少し離れた道端にある
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2026/05/17 16:37
20260503赤司城(福岡県久留米市) (2026/05/03 訪問)
戦国期は、戦略上の拠点として大友勢や秋月勢などの間で争奪が繰り返され、戸次(立花)道雪も居城したという。その後、田中吉政の弟・清政が城主となり、赤司八幡宮や城下が整備された。写真の城址碑は、八幡宮や納骨堂から少し離れた道端にある
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2025/11/20 15:19
大刀洗・震電に魅かれて赤司城初探訪 (2025/10/26 訪問)
※大刀洗平和記念館「震電」編
筑前犬鳴別館を終えて九州道経由大分道築後小郡ICを降りて国道500号線大分方向約3.3km道沿いに大刀洗平和記念館が有ります。先に筑前町立大刀洗平和記念館へ入場して、大東亜戦争末期の試作機「震電」にご対面、映画シンゴジラにて脚光を浴びた実物大模型だそうです、初見で大きい!胴体が太い!と感じました高度1万mまで飛び上がって数分でB29と対峙する海軍局地戦闘機震電ですから、さも強力なエンジンを搭載していたのでしょう!、実際は大東亜戦争末期までに試作機3機造り、試乗テスト中に終戦を迎えてそうです。
今回の10日間城廻主目的でも有りました、見たい訪ねたいと思っていましたので願いが叶いました。
筑前町立大刀洗平和記念館住所:福岡県朝倉郡筑前町高田2561-1、入館時間9時~17時、入館料600円
※赤司城編
震電とお別れして近くの探訪城跡として、南に約6km程の築後の名城「赤司城」(アカジジョウ)を選び訪ねました、城びと会員福岡のトクさんと同じ選択でしょうか?
ひたすら田園の中を走り県道740号線に赤司城跡・赤司八幡宮200mの標識が有り狭い交差点を西に折れて川を渡れば赤司八幡宮へ、駐車場は南の納骨堂前に在りますが、交通量も少なく八幡宮の南前が道幅広く幅寄せして路駐しました。
八幡宮に上がり資料案内板を探す、西側の第二鳥居近くに赤司城跡・赤司八幡宮の解説盤と赤司の歴史案内板が有りました。解説盤の赤司城跡には概略縄張図が有り、寺院風の建物納骨堂辺りが本丸の様です(グーグルマップの史跡マークは納骨堂の東)、その西が二の丸、道筋は堀跡の様です、寺院風納骨堂から畦道、狭い集落道を西に100m程進むと、築後赤司城のメイン写真である「史跡赤司城址」の石碑が曲輪跡微高地の脇に立っています、周囲は微高地土塁の残りの様です、現在は畑に成って居ます。
八幡宮も微高地に立って立っており城郭の一部なのでしょう東側に低い土塁上の高まるが走っています、東の川の名前は判りませんが築後川に注ぎ支流で東から南に流れて外堀の様です。
歴史は、鎌倉時代にさかのぼり、川や堀をめぐらせた平城で赤司氏によって築かれたと伝わる。
戦国時代には、大友氏、赤司氏、筑紫氏、秋月氏などの豪族により、戦国の拠点として争奪がくりかえされた。特に大友氏築後進出に伴い立花道雪などの重臣を城主して統治させた。
慶長6年(1601年)田中吉政が築後領主となり弟清政を赤司城主にした。清政は赤司八幡宮の社地に城を修復整備しました。元和7年(1621年)有馬豊氏が久留米藩主に成ると、一国一城令により廃城になっていた赤司城の石垣を久留米城の修築のために使用された。(赤司八幡宮設置の解説盤に依る)
参考資料:城郭放浪記さん城びと投稿者グーグルマップに依る。
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2024/07/15 07:41
ミラーレス一眼レフのデビューの地 (2024/07/13 訪問)
献血プラザ佐賀に献血の予定を入れてあったため、九州行きを取りやめることはしませんでしたが、この海の日の3連休の天気は雨予報でした。連休初日だけはなんとか天気が持ちそうだったので、予定を変更して城めぐりに勤しむことにしました。連休二日目の最後に行く予定だった赤司城を献血前に攻めてみました。赤司八幡宮の説明板はすぐに見つかりますが、城址碑は見つけるのが難しい場所でした。トクさんの投稿を拝見していなかったらスルーしていたと思います。貴重な情報、ありがとうございました。この城が新たに購入したミラーレス一眼レフのデビューの地となりました。
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2024/05/16 09:40
「筑後赤司城」と「太刀洗平和記念館(ゴジラ-1.0)」 (2024/05/15 訪問)
筑後赤司城を訪れてきました。西鉄甘木線大城駅から北へ徒歩10分の所にあります。
平安時代に赤司八幡宮が建立され、鎌倉時代に赤司氏により赤司城が築城されたとされていますが、年代や詳細は定かではないようです。赤司八幡宮(写真②)の境内の南にある一段高くなっている場所が本丸とされています(写真①)。八幡宮には説明板がありました(写真③④)。過去に何度か戦があった場所のようですが、今回は立花道雪にゆかりがある城と聞き、さらに別の理由もあってここを訪れました。
1584年沖田畷の戦いで龍造寺氏が敗れると、大友義統(宗麟の嫡子)は大友配下であったが龍造寺に寝返った筑後一円の豪族たちの鎮圧に乗り出します。大友家の重臣である立花道雪(立花山城主)と高橋紹運(岩屋城主)は黒木氏の猫尾城を攻め落とした後、蒲池氏の柳川城攻めに向かいます。しかしその途中に、何と道雪の病が悪化したため反転帰途に。本陣を高良山城(モトさん5/14投稿の場所)から赤司城に移すも、紹運らに見守られながらこの地で息を引き取ったという説があります。その死に際に道雪は、「我が死体には鎧兜を着せ高良山に頭を柳川に向けて埋めよ」という遺言を残したとか、よほど蒲池氏が憎かったのでしょうか? しかし宗茂が、敵地に埋めるには忍びないと立花山へ運び帰るよう命じたそうです。
その後に豊臣秀吉から、道雪の実娘「誾千代」とその婿養子で紹運の実子の「宗茂」には、蒲池氏の居城であった柳川城(8万石)が与えられるので、これも何かの皮肉と言うか因縁めいたものを感じます。
関ケ原後は、筑後柳川に入った田中吉政の弟で田中清政が城代となり、赤司城は現在のような城郭になりました。しかし一国一城令で廃城となったようです。そしてその石垣や廃材などは、後に筑後久留米に入った有馬豊氏により、久留米城の一部に使われたそうです。
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【余談】太刀洗平和記念館
ここからは、実はここを訪れたもう一の理由です。
この赤司城から北へ3kmの広大な一帯には、太平洋戦争中には日本陸軍の「太刀洗飛行場」がありました。その場所には現在は平和記念館が建てられています(写真⑤)。ここから沖縄へ向け飛び立った特攻隊員たちの遺書や遺影、マーシャルから引き揚げられた実物の零戦32型などが展示され、また当時の飛行場の様子やB29の空襲で犠牲となった31名の小学生たちの悲しい物語などがシアターで語り継がれています。もし機会がありましたら、皆さんにも合わせて是非一度は訪れていただきたい場所です(甘木鉄道太刀洗駅前に記念館はあります)(パンフレット⑥)。
実は、この記念館を訪れたかった理由は、最近の映画「ゴジラ-1.0」(写真⑨)の撮影で実際に使用された戦闘機「震電」が、今何とここに展示されているというので見に来ました(写真⑦⑧)(🤔デカい!)。震電は当時日本で3機試作されましたが終戦となり、実際に戦闘に出る事はありませんでした。その震電を映画のために忠実に再現したそうです。私もその映画を見に行きました。特攻隊員の生き残りを演じる神木隆之介さんがこの震電に乗り、1000kgの爆弾を抱え、そして日本を救うため、ゴジラの弱点とされる口の中めがけて突入して行ったラストシーンは衝撃でした(😱お~!)。その震電が今ここに展示されています! そして最後はどうなったのか!・・・それは映画を御覧あれ(え?😲教えてくれないの?)。
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| 分類・構造 | 平城 |
|---|---|
| 築城主 | 赤司永直? |
| 築城年 | 鎌倉時代 |
| 主な改修者 | 田中清政 |
| 主な城主 | 赤司氏、秋月氏、田中氏 |
| 廃城年 | 元和元年(1615) |
| 遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
| 再建造物 | 石碑、説明板 |
| 住所 | 福岡県久留米市北野町赤司 |