高良山神籠石からの転戦です。納骨堂入口(33.356666、130.606385)から進入し、納骨堂駐車場に駐車しました。
その後、徒歩で城址碑(33.356105、130.605037)➡赤司八幡宮入口(33.356704、130.606932)と廻りました。
築城年代は定かではないようですが、赤司氏によって築かれました。
赤司八幡宮の前身は平安時代以前からといわれ、筑後川流域の肥沃な土地と交通の要所としての位置付けから、勢力争いが繰り広げられ、度々戦火によって焼失したそうです。
これを防ぐ為に八重の堀と七重の築地を巡らした城郭が形成されたそうです。
江戸時代になると、久留米城主田中吉政の家臣田中左馬尉清政が城主となりましたが、元和の一国一城令で廃城となりました。
赤司城は赤司八幡宮一帯に築かれていたようです。
本丸は南の納骨堂の辺りで、石碑は納骨堂の前から西へ進んだ道路にあります。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=杷木神籠石に向かいます。
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