ひめののじょう

姫野々城

高知県高岡郡

別名 : 半月城、半山城
旧国名 : 土佐

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小城小次郎

ハイブリッドな城 (2024/02/20 訪問)

堀を埋めてまで居住空間を確保した「住む城」と、畝状竪堀と連続堀切でびっしり固められた「守る城」の両面を見られるハイブリッドな城だが畝状竪堀のあたりがちょっと荒れているので今一度光を当てたいところ。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征4日目:姫野々城 (2022/07/23 訪問)

須崎台場からの転戦です。白雲神社駐車場(33.441271、133.21500)に駐車しました。

築城年代は定かではないようですが、津野氏によって築かれたと云われています。
津野氏は藤原仲平の子山内蔵人経高が伊予より、913年(延喜13年)に土佐に入り津野山を本拠として津野氏を名乗ったことに始まると云われています。
津野氏は土佐七雄の一人に数えられる勢力を誇っていたが、1517年(永正14年)津野元実は一条氏の家臣戸波城の福井玄蕃を攻めて敗れ討死しました。
これによって津野氏の勢力は衰退し、天文年間(1532年〜1555年)には一条氏に降りました。
1571年(元亀2年)頃になると勢力を拡大していた長宗我部元親の三男親忠を養子に迎えその支配化に入りました。
津野親忠は長宗我部元親が豊臣秀吉の四国征伐により降伏し、土佐一国を安堵されると秀吉の元に人質となって大坂に送られました。
豊臣秀吉による九州征伐で元親の嫡子信親が討死すると、家督相続争いに巻き込まれ、1599年(慶長4年)には元親によって岩村に幽閉されました。
長宗我部盛親が1600年(慶長5年)の関ヶ原合戦で西軍について敗れると、親忠は親しかった藤堂高虎を通じて徳川家康に長宗我部家の存続を願い出ていたが、盛親によって殺害されたそうです。

城山公園として整備され、白雲神社から遊歩道(入口に案内板)があります。
竪堀、堀切のオンパレード。堀切好きな自分は大満足です。
白雲神社駐車場にあるトイレは令和4年7月21日より使用禁止になっていました。
攻城時間は45分くらいでした。次の攻城先=久礼城に向かいます。

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小城小次郎

姫野々城

土佐七雄の一つである津野氏が本拠としたお城には、ある時期に主郭下の横堀を埋めて居住スペースを確保するという決断が下された痕跡が残る。何らかの理由で山の上へと移住したのだろう。

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ぽんたっく土佐守

竪堀&堀切の宝庫 (2018/10/13 訪問)

高知市内から車で約1時間。
白雲神社(写真8)まで車で行けます(駐車場あり)。
神社への登り口がわかりにくいですが、
保健福祉センター「里樂」を目印にするとわかりやすいかと思います。
竪堀&堀切を多数見ることができ、
山城党にはたまらない城址です。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 津野氏
築城年 南北朝時代
主な城主 津野氏
遺構 曲輪、堀切、畝状竪堀
指定文化財 町史跡
再建造物 説明板
住所 高知県高岡郡津野町姫野々886-1他