国道194号線から細い道に入ったところにあります。
駐車場はありませんが隣接する倉庫のようなところに車を置きました。
跡地には民家が建ち、今でも住人がいらっしゃいます。
二段になった石垣で守られた立派なお家です。
石垣の前の水路が堀跡のようです。
北側にも門の跡のような遺構がありますが畑越しに眺めるのみとしました。
河野通道が居館として築いたあと、代々高峠城主の居館として使用されました。
住民の方に迷惑がかからないよう見学しましょう。
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2024/02/16 06:55
高峠城主の居館 (2024/02/09 訪問)
国道194号線から細い道に入ったところにあります。
駐車場はありませんが隣接する倉庫のようなところに車を置きました。
跡地には民家が建ち、今でも住人がいらっしゃいます。
二段になった石垣で守られた立派なお家です。
石垣の前の水路が堀跡のようです。
北側にも門の跡のような遺構がありますが畑越しに眺めるのみとしました。
河野通道が居館として築いたあと、代々高峠城主の居館として使用されました。
住民の方に迷惑がかからないよう見学しましょう。
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2022/08/15 06:42
2022夏の青春18キップ遠征5日目:土居構 (2022/07/24 訪問)
高尾城からの転戦です。土居構手前の空スペース(33.897593、133.186812)に路駐しました。
築城年代は定かではないようですが、南北朝時代に河野通直によって築かれたと云われています。高峠城城主の累代の居館として河野氏、石川氏が利用したようです。
1575年(天正3年)石川氏がこれに拠ったが、1585年(天正13年)豊臣秀吉の四国征伐で高峠城が攻められ、その兵乱で建物は焼失しました。
1642年(寛永19年)久門政武が中野村庄屋として入居し、子孫継承し今日に至ります。家屋はその後改造を重ねながらも猶旧態を保っているそうです。『西条市教育委員会説明板』より。
民家敷地門脇に「土居構跡」の石碑と案内板が立っており、石垣で囲まれています。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=西条陣屋に向かいます。
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2020/03/15 01:53
分類・構造 | 平城 |
---|---|
天守構造 | なし |
築城主 | 河野通直 |
築城年 | 南北朝時代 |
主な城主 | 河野氏、石川氏 |
遺構 | 石垣、土塁、横堀(空堀)、犬走り |
指定文化財 | 県史跡(土居構跡) |
再建造物 | 石碑 |
住所 | 愛媛県西条市中野甲字日明 |
問い合わせ先 | 西条市教育委員会社会教育課歴史文化振興係 |
問い合わせ先電話番号 | 0897-52-1628 |