西条陣屋からの転戦です。別子銅山記念館駐車場(33.921741、133.308901)に駐車し、えんとつ山入口(33.920289、133.308705)に向かいました。
築城年代は定かではないようですが、南北朝時代に松木通村により築かれたと云われており、以後松木氏歴代の居城でした。
1369年(正平24年・応安2年)河野氏の一族一条修理俊村が七百余騎を率いて生子山城に立て籠もり、細川氏の軍勢と度々戦ったが、敗れて落城しました。
1585年(天正13年)豊臣秀吉による四国征伐では、伊予へ侵攻した小早川隆景の軍勢を迎え撃つ為、城主松木三河守安村は金子山城主金子元宅に従い高尾城へ入り、野々市原の合戦で討死しました。
生子山城には鈴木四郎太夫重保ら少数の兵しか残っておらず、ときを同じくして落城したといいいます。
高尾城での右ひざ負傷により登城を断念し、えんとつ山入口を確認して引き返しました。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=金子山城に向かいます。
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