あさじょう

麻城

香川県三豊市


旧国名 : 讃岐

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登城口
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赤い城

ゴルフの帰り道 (2024/10/26 訪問)

この日のゴルフ、結果に打ちひしがれた帰りに立ち寄りました。
傷を癒すには城成分の補給が必要ですね。

県道23号線(詫間琴平線)に案内板があり、それに沿って進みます。
果樹園脇に案内板があり、駐車できるスペースがあるのでここに駐車。
恐らく昌官忠さんと同じ場所かと思います。

途中案内板がいくつか設置されているのでそれに沿って進めば迷うこともありません。
10分くらい歩くと説明板が立っていてその先が城跡です。

まずは左手へ、外郭の間の堀切を見学。
久しぶりに見る堀切です。
引き返し主郭方面に進みます。
馬切と呼ばれる堀切を越え曲輪部分へ。
主郭まで6つの曲輪が並んでいます。
主郭には碑が立っていました。

天霧城主・香川氏に属する近藤出羽守国久の詰の城でしたが長宗我部氏の讃岐侵攻の際に落城、国久も討死してしまいました。
コンパクトではあるものの遺構もよく残る良い城でした。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征6日目:麻城 (2022/07/25 訪問)

丸山城からの転戦です。県道23号沿にある城址道標手前の道①(34.169984、133.792245)を北側に入りそのまま進みます。
この地点②(34.172863、133.789984)にある道標に従い、西側に進むと城址に着きます。
コンクリート舗装されていますが道は細く、落葉が多く雨の日はスリップする危険がありますので車は②地点に置いてきた方が無難です。

築城年代は定かではないようですが、近藤出羽守国久の居城でした。国久は獅子の鼻城主大平伊賀守国祐の弟でする。
大平国祐が雨霧城主香川氏に属していた事から、近藤国久も香川氏に属していたものと推測されています。
1577年(天正5年)阿波国白地城主大西覚養は長宗我部元親に対して一度は帰順しながらも心変わりし、長宗我部氏に攻められ国久を頼って落ち延びています。
その後、天正年間にこの麻城も攻められ落城、戦いに敗れた国久は谷に落ちて横死したといい、この場所は「横死ヶ谷」と呼ばれています。
落城年は定かではないようですが、近くの本篠城が1578年(天正6年)秋に落城していることから、麻城もその頃に落城したと推測されています。

右ひざ痛に痛み止めを飲んで攻城。ムリをせずゆっくり歩きました。
城址入り口に説明と鳥瞰図があります。
土塁、堀切、土橋、ねらい岩(大門石)などが確認できます。
本丸は木が生い茂り、朝日山城の模擬天守は見えなかった。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=甲山城に向かいます。

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todo94

昨日の攻城5 (2018/01/27 訪問)

11時台の攻城。下の方に車を駐めたのでかなり歩きました。朝日山城がよく見えます。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 近藤国久
築城年 不明
主な城主 近藤氏
廃城年 天正6年(1578)頃
遺構 曲輪、土塁、堀切
指定文化財 市史跡
再建造物 石碑
住所 香川県三豊市高瀬町上麻