丸山城からの転戦です。県道23号沿にある城址道標手前の道①(34.169984、133.792245)を北側に入りそのまま進みます。
この地点②(34.172863、133.789984)にある道標に従い、西側に進むと城址に着きます。
コンクリート舗装されていますが道は細く、落葉が多く雨の日はスリップする危険がありますので車は②地点に置いてきた方が無難です。
築城年代は定かではないようですが、近藤出羽守国久の居城でした。国久は獅子の鼻城主大平伊賀守国祐の弟でする。
大平国祐が雨霧城主香川氏に属していた事から、近藤国久も香川氏に属していたものと推測されています。
1577年(天正5年)阿波国白地城主大西覚養は長宗我部元親に対して一度は帰順しながらも心変わりし、長宗我部氏に攻められ国久を頼って落ち延びています。
その後、天正年間にこの麻城も攻められ落城、戦いに敗れた国久は谷に落ちて横死したといい、この場所は「横死ヶ谷」と呼ばれています。
落城年は定かではないようですが、近くの本篠城が1578年(天正6年)秋に落城していることから、麻城もその頃に落城したと推測されています。
右ひざ痛に痛み止めを飲んで攻城。ムリをせずゆっくり歩きました。
城址入り口に説明と鳥瞰図があります。
土塁、堀切、土橋、ねらい岩(大門石)などが確認できます。
本丸は木が生い茂り、朝日山城の模擬天守は見えなかった。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=甲山城に向かいます。
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