たねさとじょう

種里城

青森県西津軽郡

別名 : 山上館
旧国名 : 陸奥

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復元光信公の館
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カズサン

復元光信公館と牡丹 (2024/05/21 訪問)

 亀ヶ岡石器時代遺跡を終えて南下鰺ヶ沢へ約30km弱、探訪を長年願って居た津軽藩発祥の地なる種里城へ初登城。

 駐車場:麓の休憩所駐車場、トイレ有(17時に閉まります)
 参考資料:グーグルマップ、パンフレットに依る。

 16時半を過ぎていましたが登城開始、光信公の館は大扉は閉まり脇扉が開いており入館OK、電灯も灯して頂き見学できるようにしてくれました。
 延徳3年(1491年)光信公南部下久慈から部下を伴い津軽種里へ勢力の拡大し津軽藩統一の基礎固め、歴史勉強、種里城の模型、発掘調査、光信公の胴丸鎧レプリカなどの館内展示を見学して、光信公の像、裏の本丸跡、建物跡の地表展示見学、光信公の御廟所を本丸跡から拝み終了、5時を回って居ましたので登城口はロープで閉鎖、潜って出ましたが、トイレも17時閉鎖中でしたが待っていただき用を足しました。
 当日は火曜日でボタン祭り(5月下旬~6月上旬)中は無休と有りましたので見学出来たようです。開館期間は5月1日~10月31日
 開館日は金曜日、土曜日、日曜日となっています。が城跡、御廟所の見学は自由との事。

 開館日、開館期間を知らずに訪ねたまたまボタン祭り期間に入って居たので見学出来ました。色とりどりの牡丹が咲いていました久しぶりに牡丹を鑑賞しました。
 
 種里城の光信公の館は1990年平成2年の光信公入部500年祭のイベントに合わせ、事前の発掘調査、復元光信公の館設計等プロジェクトを組み建設したそうです。
 30年前に光信公の館復元は認知して居たのですが中々青森は遠く、鰺ヶ沢までは弘前中心部からも遠く、やっと今回の企画に入れて探訪が叶いました。

 弘前の帰路は館の方に聞き岩木山を北に廻って帰る県道31号線ルートを選択、昼以降晴れていましたので岩木山を、西から北から東から眺めての走行約40km、駐車出来る所で写真を撮りたかったのですが適当な駐車エリアが見つからず撮れず。脳内にバッチリ残しました。
 十三湖から鰺ヶ沢、深浦、岩木山、岩木川と廻ると津軽を歌う演歌に地名が出てきて、何か懐かしくまた初なのに久しぶりと言う感覚に成りました、鰺ヶ沢からの日本海も本州北の日本海は初めて、ふるさと鳥取と比べ感慨深い、城廻も地域めぐりと一緒でありがたく楽しい事です。

 種里城の探訪で青森県2日間は終了しました。明日は岩手県、岩手山が待っている。
 

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todo94

津軽氏発祥の地 (2012/05/03 訪問)

この日の津軽の城めぐりの中で最大のターゲットとしたのは国史跡の種里城。幸い、雨は上がっていた。津軽氏発祥の城とのことで大浦氏初代・光信の居城である。大浦光信の銅像は中々の出来。そして弘前城では既に散ってしまっているソメイヨシノがここ種里城ではきれいに咲いていた。城内に建つ光信公の館で城と大浦氏について学習、それから外に繰り出していった。土塁や空堀が中々良好に残っている。本丸には御主殿跡が柱の形で表示されていた。城内にある大浦光信廟所は素木で囲ってあるだけの簡素なもの。質素を旨とする大浦光信の指示によるものだそうで、この場所には不思議なことに草が生えないのだという。

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退会済み
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種里城

津軽氏発祥の地とされています。場内には光信公の御廟館があります。光信公の遺言により、甲冑を身につけて立ち姿のまま埋葬されたとか…。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 南部光信
築城年 延徳3年(1491)
主な城主 津軽氏
廃城年 元和元年(1615)
遺構 曲輪、土塁
指定文化財 国史跡(津軽氏城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 青森県西津軽郡鰺ヶ沢町種里町大柳
問い合わせ先 鰺ヶ沢町教育委員会教育課
問い合わせ先電話番号 0173-72-2111