みかさやまじょう

三笠山城

島根県安来市


旧国名 : 出雲

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①堀切
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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征7日目:三笠山城(尼子十砦③ 1砦目) (2026/05/17 訪問)

尼子十砦:出雲国尼子氏の本城月山富田城の周囲を固める支城群
尼子十砦(①十神山城②神庭横山城③三笠山城④赤崎山城⑤亀遊山城⑥高尾城⑦高守山城⑧勝山城⑨寺山城⑩安田要害山城)
道の駅広瀬・富田城駐車場から車で5分弱で、広瀬中央公園駐車場(35.360751、133.168745)に着き、その後、登城口付近(35.361505、133.167720)に向かいました。

築城年代は定かではないようですが、1391年(明徳2年)伯耆守護の山名満幸(山名播磨守満幸)が、後円融上皇の御領であった出雲・仙洞領の「横田荘」を横領し、代官となった石原宗政が築いたのが、出雲・三笠山城と伝わってます。
その後、室町幕府3代将軍・足利義満は、当時1ヵ国の守護と大勢力になっていた山名一族を抑えるため,山名満幸を丹波に追放します。
そのため「明徳の乱」となり、山名氏の勢力は減退し、三笠山城は破却されたとされています。
戦国時代になると、西村治右衛門が出雲・三笠山城に入っており、尼子十砦のひとつになりました。
1565年(永禄8年)毛利元就が月山富田城を攻めた際、毛利方の軍勢が布陣したといわれています。
山中鹿之助は、三笠山にかかる三日月に向かって「願わくば我に七難八苦を与え給え」と祈ったと伝わる、月見の名所のようです。

赤テープを目印に登りますが、本丸の目印がないので、どこが終点かわからなかった。
三笠山山頂部分で平坦地になっていたので、ここが主郭と自分で認定しました。
攻城時間は65分くらいでした。次の攻城先=寺山城(尼子十砦⑨)に向かいました。

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todo94

年度末山陰の攻城・尼子十砦編① (2026/03/28 訪問)

山陰ドライブ2日目はぴーかるさんに倣って尼子十砦にチャレンジです。東出雲のホテルで朝食をとってから朝一番で向かったのは、三笠山城。広瀬中央公園の野球場で少年野球の大会が開催されていたため、駐車場が埋まっていましたが、普段なら駐車場所に難渋することはないでしょう。また、登城口前の道路が工事中でしたので、付近の景観は数年で変貌を遂げるものと思われます。城郭放浪記さんの記述を頼りに出丸経由で主郭を目指しました。ぴーかるさんの投稿にある通り、二股の道の右を登ると堀切に達し、その右手が出丸のようです。ここからは尾根をひたすら登っていきますが、主郭にたどり着くのにさほどの困難はないかと思います。尾根伝いの登城路は帰りに迷う事が多々あって苦手なのですが、ここは、ピンクリボンの目印もあるので迷う心配はそれほどしなくても大丈夫かと思います。主郭付近の遺構より、出丸付近の遺構の方が見栄えが良いと思います。

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ぴーかる

尼子十砦5城目 (2024/02/23 訪問)

【三笠山城】
<駐車場他>広瀬中央公園に駐車しました。
<交通手段>車

<登城口>広瀬中央公園の体育館裏が登城口になります。お墓が1基ありますので、お墓の右手の登山道に入ります。
<見所>堀切・居館跡?曲輪
<感想>1泊2日尼子十砦の旅5城目。初投稿いただきます。三笠山城の城郭情報は少なくよく分かりません。城びとの城郭情報では築城年・築城主とも不明であり、主な城主が西村治右衛門となっています。毛利氏の月山富田城攻めでは飯梨川を挟んでちょうど富田城の正面にあたり、毛利氏の陣城群のひとつになっていたかもしれません。
 上記登山道から少し登ると道が2股に分かれています。右手に曲がり、朽ちたビニールハウス(添付写真)の横を通り、尾根に上がります。尾根に上がった所が堀切になっています。堀切から山方向の上段が広い削平地になっています。植林整備されています。広い削平地を抜けてまた尾根上に上がります。15分程登ると城びとのフラッグ位置に到達します。主要部は小さく一応段にはなっていますが細尾根の曲輪で一見気付きにくいです。奥の方に尾根曲輪と並行して土塁があり、堀切があります。

<満足度>◆◆◇

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 不明
築城年 不明
主な城主 西村治右衛門
遺構 曲輪、堀切
住所 島根県安来市広瀬町広瀬