ゆうげじょう

夕景城

島根県仁多郡

別名 : 寒峰城、感目城、馬木城、矢筈山城
旧国名 : 出雲

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ここまでか‥‥
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ぴーかる

攻城ならず‥‥ (2023/02/26 訪問)

【夕景城】
<駐車場他>北東麓の林道手前<35.111913, 133.044942>ポイント奥の道路脇に駐車できる。
<交通手段>車

<感想>1泊2日尼子十旗攻城の旅2日目10城目。馬木城(夕景城)の築城は年代は定かではありまんが、馬来氏によって築かれたといわれます。戦国時代には尼子氏に従い、毛利氏の進攻時に毛利氏に降り、関ヶ原後も防長移封に従ったようです。
 登城ポイントが分からず、ここは城郭放浪記さんのサイトを手掛かりに上記ポイントから南へ林道を進みました。添付写真の林道が笹薮化している場所に残雪が積もりすぎて、ここから沢を横切り山側に移るのですが沢も雪解け水で川のようになり渡れず、3分悩んで断念しました。先達の方々も攻略に苦慮していた投稿のおかげで、行けなかったら仕方ない一番最後に予定を入れることができました。ここは「行った」ポチを押さず、コンプリートは後々の楽しみに取っておくとしてこの旅を終了しました。尼子九旗攻城の旅でした。922㎞無事走破。

<所見>9城だけですが出雲地方の山城を巡り、私見ですがまとめの感想を記します。
①主郭を含む主要部の曲輪の周りを高く削って、傾斜のきつい高い切岸にしている城郭が多い。
②曲輪間の堀切はある城はあるが、尾根を分断する堀切が少ない、全く無い城郭が多い。私ならここに造るのにという箇所がどの城にも多々あった。
③尼子氏家臣の城なので尼子氏流築城(土塁を用いない)が当てはまるのかどうかは分からないが、私の見た限りでは曲輪内に尾根を残して枡形や仕切り土塁にしたり、尾根を水平に削り横矢を造っている城跡は多々見られたので土塁はありますという意見、確かに曲輪を囲む土居が残る城跡は見られなかった。

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ダイエティシャン

夕景城 (2021/10/08 訪問)

夕景城 攻城出来ず、

備中松山城の帰りに寄りましたが、案内板も無く、【熊注意】の看板に恐れを成し、断念しました。
最近、国内(県内)で、熊による大きな被害が報道されていたので。

次回は、下調べをして、土日の人通りがある時に、リベンジしたいです。

todo94さんの投稿も参考に、冬枯れの時期に、その頃には、熊も冬眠中であることを願って、。

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todo94

尼子十旗コンプリート (2021/03/27 訪問)

尼子十旗の第九旗・夕景城(馬木城)。2019年11月に攻城を断念した城です。県道沿いの標柱を確認して林道を上っていきました。沢を渡って尾根をガンガン登って行くと前回と同じ衝撃の光景が。進行方向右手に夕景城である矢筈山が聳えていたのです。またしても間違えた山に登ってしまったかと下って別の尾根筋に突入するものの灌木に阻まれ断念。指にとげまで刺さって心が折れてしまいましたが、冷静に考えてみるとこのあたりにいくつも山があるはずがない。もう一度、最初の尾根をとことん登っていくことにしました。ピンクのテープの目印がついているこの尾根は、大きく弧を描いて矢筈山に続いていました。遂に念願の尼子十旗コンプリートを果たすことができました。比高が500mほどもあり、下山時も迷って一筋縄ではいかない山城です。冬枯れかつ雪のない時期と攻城時期もかなり絞られてしまうかと思います。雨中や雨上がりなど無理な攻城はお薦めできません。馬木氏がこの城から移った小林城から、遠景を望むこともできました。車なら奥出雲おろちループに脚を伸ばすこともできますよ。私は道の駅で昼食を頂きました。

因みに、金言寺の城址碑は2019年11月に撮影いたしました。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 馬来満綱?
築城年 不明
主な城主 馬来氏
遺構 曲輪、土塁、堀切
住所 島根県仁多郡奥出雲町小馬木大峠