チョイ寄り松江城を終えて、出雲未踏の城探訪2城目、荒隈城の在る天倫寺を目指す、車を駐めた城山西駐車場からは南西に2,3km程です。
駐車場:天倫寺北奥の参拝者、墓参者駐車場に一時停車。
参考資料:城郭放浪記さん、古城盛衰記さん、余湖図コレクションさん、グーグルマップに依る。
荒隈城東端の城跡は天倫寺境内辺り、天倫寺の参道、境内を見渡すが入り込めそうにない、北の駐車場から北に添った道、団地方向に続いてる道をゆっくり眺めて、ソーラー発電所への導入路へ、フェンス扉が設置されて進入不可、戻り駐車場から墓地方向を眺める、進入を考えるが私有地墓地、寺の私有地などで憚られて断念し眺めるだけ。
城郭放浪記さんの掲載写真には天倫寺参道階段横に洗合城跡(荒隈城)の案内板が有りましたが、当日は見つける事が出来ませんでした。
荒隈城は毛利元就が尼子氏攻略の拠点城として築城、尼子十旗の白鹿城と月山富田城の連携を断つために、宍道湖に突出たこの地を選び、水運、兵站の拠点とした模様、尼子が降りその役目を終えて廃城。
また掘尾公が関ケ原後月山富田城に入る領国経営上、宍道湖畔方向へ新城の築城を検討した際、宍道湖に突出た荒隈城跡再取立てを検討したみたいですが、石高に比して城域が広大との子・忠氏の意見を入れて、現在の亀田山松江城を築城した。
グーグルマップの航空写真を見れば北からの山稜が南の宍道湖に突出ている、その当時は東西の地は入江と湿田の様で絶好の城郭建設地だった様です。(城郭放浪記さん古城盛衰記さんグーグルマップを参考にしました)
それにしてもグーグルマップの航空写真は素晴らしいものです、地形がよく読み取れます。史跡マーク辺りはソーラーパネルで埋め尽くされている。
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